番組初のゲスト回! 寶船のコラボで「騒〜ZOMEKI〜feat. 寶船」、さらに2025年には「超楽しい feat. MINMI」を発表し、「踊る阿呆の無礼講!」でも何度も名前があがっていた徳島出身のヒップホップアーティスト・T-STONEさんが登場!
父の死、ラグビーからの転向、そして“超楽しい”という真っすぐな新曲に込めた想い。T-STONEさんがヒップホップを始めた理由や、曲づくりの裏側まで伺います。
(執筆:東田たま緒 編集:廣瀬翼)
※本記事は2026年9月15日のラジオ大阪の放送を元に構成しています。
※この番組は、「結果のわからないチャレンジャーを応援する」FIRST DOMINO株式会社の提供で放送されています。
【目次】
- 1:裏口で提出した婚姻届。陸の結婚1周年エピソード
- 2:初のゲスト! 徳島出身のラッパー・T-STONEさん登場!
- 3:ファンキーだったお父さん!? T-STONEがヒップホップに目覚めたきっかけ
- 4:父の死、ラグビーでの怪我。決意を固めた10代の日々
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裏口で提出した婚姻届。陸の結婚1周年エピソード
渉
さあ始まりました「踊る阿呆の無礼講!」。この番組は日本初にして唯一のプロ阿波踊り集団・寶船のリーダー米澤渉と——
陸
おなじく寶船の米澤陸でお送りして、いきます。
渉
さあ、というわけで始まりました。
陸
はい、というわけで、ちょっと久しぶりの収録になっちゃったんでね。冒頭噛んじゃった(笑)。
渉
実はアレですよね。陸君、誕生日だったってこと?
陸
そうなんですよ。今日が9月15日なんですけど。昨日、9月14日、僕、誕生日でね。
渉
おめでとうございます。
陸
はい、ありがとうございます。35歳になりましたね。
渉
どうですか? 誕生日は。
陸
いや、なんか。僕にとって9月14日っていう日が、めちゃくちゃ特別な日なのは、誕生日なのはもちろんなんですけど。
渉
はい、なんかあるんですか?
陸
結婚記念日でもあるんですね。
渉
おー!!! 同じ日!
陸
そう。去年のちょうど丸1年前。
渉
1周年!(拍手)
陸
1周年。結婚1周年だったんですよ。去年のね、2025年の9月14日がたまたま調べたら大安だったんですよね。僕、正直、結婚記念日って、この日っていうふうに絶対こだわりがあるってことじゃなかったんですけど。たまたま大安だったので、ここで結婚届出すか、みたいな感じだったんですけど。去年の思い出としては、その日、日曜日で市役所やってなくて。
渉
あ〜!
陸
そう。で、市役所で婚姻届出しに行くんですけど、なんか結婚——「婚姻届はこちら」みたいな、裏口のなんかよくわからない、警備員さんのとこに渡してくださいって言われて。
渉
え〜!
陸
全然ロマンチックでもなんでもない。まあ、あの言い方、アレですけど、なんかほんと“やっつけ”みたいな感じの。なんか、警備員さんみたいな人に、「あ、これ渡しといてもらえますか?」みたいな。
渉
あ〜、そうなってるんだ。
陸
って感じの結婚の仕方してて。なんか正直、これが9月14日に届けたいんだけど、ちゃんと今日中に届けてくれるのかどうかが、めっちゃ不安だったっていう思い出が去年ありました。
渉
へ〜!
陸
まぁ、あれから1年ですよ。
渉
じゃあ、その時にはあんまり、「さぁ、今日は結婚したんだ!」っていう実感も湧かない、みたいな?
陸
全然湧かない(笑)。ただ、なんか市役所の裏口に通されて、書類渡しただけっていうことだったんですけど。
渉
へ〜!
陸
まぁ、1年経ってようやくね。ちょっと自分の中で生活がね。あの、こう馴染んできたなっていう感じです。
渉
僕も、結構ようやく定着してきましたね。
陸
はい。ようやく!? あ、僕がね。
渉
僕が2人のこと見て、1年でようやく。弟だから。ああ、結婚したんだっていう実感が湧いてきましたね。
陸
そうですね。ということで、今日はなんか特別回らしいですね。
渉
はい、今日ね。冒頭に陸君がね、噛んでしまったのも無理はなくてですね。
陸
ハハハハ(笑)。
渉
この「踊る阿呆の無礼講!」初のゲスト回なんです。
陸
はい!(拍手)
渉
はい。もう寶船のこのラジオ、毎回聴いてくれてる方は、ついに来てくれたのかと。
陸
来ましたね。
渉
いつも名前出しているので、ちょっとようやく呼べてうれしいです。
陸
いや、うれしい。
渉
まずはタイトルコールからいきましょうか。アヤットサー!
陸
ヤットヤット!
渉・陸
「踊る阿呆の無礼講!」
初のゲスト! 徳島出身のラッパー・T-STONEさん登場!
渉
ということで始まりました「踊る阿呆の無礼講!」。なんと今日は初めてのゲスト回です。
陸
ヨイショ!!(拍手)
渉
はい、早速ご紹介いたしましょう。ヒップホップアーティストのT-STONEさんでーす。
T-STONE
どうも、はじめまして。徳島出身のラッパーのT-STONEと申します。よろしくお願いしまーす。

陸
よろしくお願いします。
渉
このね、ラジオでもT-STONE君の曲、何度も流してて。
陸
そうそう。
T-STONE
光栄です。
渉
今日は、もう僕らの出会いから新曲の話まで、いろいろと聞きたいんですけど、いいでしょうか?
T-STONE
それ、ラジオ1本分で足ります? 15本くらいかな。
渉
確かに。確かに濃いですね。
T-STONE
3日くらい。
渉
確かに、確かに(笑)。もう、本当それくらいしゃべりたいくらい濃厚なんですけど、まずT-STONE君、どんな活動してるかっていうのを聞いてもいいですか?
T-STONE
出身は、四国の徳島県徳島市というところで。ヒップホップという音楽ジャンルのミュージシャンをしてます。ラッパーですね、俗に言うところの。言葉を操る仕事をしてます。
最初はラップだけだったんですけど、今は音づくりとか、ミュージックビデオとかクリエイティブの幅を、今少しずつ広げている最中で。そういうタイミングで今日、ここの寶船さんのラジオに呼んでいただいて、とてもうれしく思っていま〜す。
渉・陸
ヨイショ〜!!
T-STONE
よろしくお願いします。
陸
T-STONE君って、声いいですよね。
T-STONE
そうですか。ありがとうございます。
渉
イケボ。
陸
この低音のね、なんて言うのかな。腹に響く声というか。これも、曲聴いてていつも思うんですけど、この声がやっぱりまず入ってきますよね。
ファンキーだったお父さん!? T-STONEがヒップホップに目覚めたきっかけ
渉
僕1番最初に今日、聞こうと思ったのが、ヒップホップに目覚めたきっかけとかを聞きたいなと思ってて。
T-STONE
ヒップホップに目覚めたきっかけは、ホンマにお母さんのお腹の中におるときから、「ヒップホップのラップやるんやな」って思っていて。「オギャー」と言わず「YO〜!」と言いながら生まれたという。
渉・陸
(爆笑)。
陸
カッコよすぎるな。
渉
実際に、家庭で——
陸
お釈迦様みたいな(笑)。
渉
実際にお腹の中にいるときから、家で流れてたっていう。お父さん、お母さんが聴いてたとか、そういうことがあるんですか?
T-STONE
そうですね。さっきのはボケなんですけど(笑)。小4のときに、離婚してた親父が僕のところに来てくれて。遊びに来てくれて。その時に親父が聴かしてくれたのがヒップホップで。
渉・陸
へ〜!!
T-STONE
母子家庭なんですけど。おかんの影響で、J-POPとかたくさん聴いてる中、突如、親父が登場して。僕、タクヤって言うんですけど、「タクヤ、そんな音楽聴くな。男はこういう音楽聴くんや〜」って言うて聴かせてくれたのがヒップホップやって。
渉
へ〜!
陸
ちなみにその時、なんの曲だったんですか?
T-STONE
Zeebraさんの「MR.DYNAMITE」とかが入ってる、「結婚と理想の現実」という曲とか——
渉
いかちー! かっこいい!
陸
かっこいい!
T-STONE
離婚している親父に「結婚と理想の現実」を聴かされるという、皮肉な(笑)。
渉
子供の時に聴いたヒップホップって、最初から好きになったんですか? それとも、「なんだこれ?!」みたいな?
T-STONE
なんだこれ?! お経やん! って。
渉
確かに、確かに。
T-STONE
そんなん言ったら怒られますけど(笑)。でも、親父も結構ファンキーやったんで。黒のワゴンRにウーファー積んで。40、50のおっさんっすよ。
※ウーファー(Woofer):主に低音域の再生を担当するスピーカーユニット、または低音を補うための専用スピーカー(サブウーファー)。
陸
相当ファンキーだろ(笑)。
T-STONE
“ボンボンボンボーン”っていうので。Zeebraさんとか、その他のヒップホップ、レゲエのアーティストのCDを爆音でかけるみたいな。
渉
へ〜。英才教育っすね。
T-STONE
英才教育っすね。
陸
今の話聞いておもしろいって思ったのは、楽曲を聴いていると、ヒップホップな部分と、特に最近J-POPのちゃんとしたメロディーとして、いい曲だなっていうものが、ちゃんといい感じで合わさってるって感じがするんですよ。
お父さんの魂とお母さんのJ-POPが好きだっていう気持ちが合わさって、今のT-STONE君になってるような気もして。めちゃくちゃなんか。
T-STONE
あ〜。阿波出身やし、僕。
陸
あ〜、そうだね。
T-STONE
“あわ”さって。
陸
“あわ”さって!
T-STONE
なってるなって、思いますね。
渉
すごい。やっぱり言葉のリリックに敏感なのは、やっぱりすごいね。
父の死、ラグビーでの怪我。決意を固めた10代の日々
渉
じゃあそこで、ヒップホップにまだ目覚めたリスナーとして聴いてたところから、「自分でミュージシャンになりたい」とか、「自分でこの歌を作りたい」と思うようになったのはいつ頃なんですか?
T-STONE
中学生ぐらいから、結構その片鱗は見せてたんですけど。当時YouTubeとかでそれこそ、Zeebraさんのインストゥルメンタルをかけて、友達ん家で僕がこう歌詞書いて、それをこう「聴いてや」言うて、ラップするみたいな遊びは、僕だけやってて。
渉
早い!
T-STONE
他の奴らとかは全然興味ないっていうか、聴くだけやけど、「俺は歌いたい」みたいな感じだったんですけど。
中2ぐらい、中3かな? ぐらいのときに、親父が亡くなったんですよ。よく音信不通になることはあったんですけど。また音信不通になって。明らかに期間長めに音信不通になったから、「これ怪しいな」思って、親父のおかんに電話したんですよ。親父、よっちゃんって言うんですけど、「よっちゃん、どうなってます?」みたいに言ったら、「え?」みたいな。「この間の3月に亡くなったよ」みたいな。
渉
うわぁ……。
T-STONE
電話したのが7月のときだったんですけど、夏休み中で。それでも俺、死ぬほど号泣して「うわ、やばー」みたいな。それをおかんに言ったら、おかんが「身近な人が亡くなるっていうのは、その人の使命を果たしたから、あの世に旅立ったんだよ」みたいな。「だから、よっちゃんがタクヤに与えてくれた、与えたものがあるんかもしれないね」みたいな悟り系を言ってくれたんですよね。
渉
うん!
T-STONE
その時、僕、中学生14歳とかなんで、「何言っとんや」みたいな。「訳わからんこと言うな」みたいな感じやったんですけど。それはずっと心の中にもあって。そうなったときに、親父が唯一与えてくれたのは、間違いなくヒップホップっていうのがあるんで。そういうのも潜在的に気づいてて、活動するようになったんかな、って思います。今思うと。
陸
そこで決心というか、覚悟決まったんだ。
T-STONE
はい。
渉
じゃあ、もう他にやりたいこととかがあるんじゃなくて、その時から、もうミュージシャンになるというか、アーティストになりたいみたいなふうに1本で来てる? 今まで。
T-STONE
いや、途中でラグビーも本気でしてたりとか。
渉
あら、ラグビーもやってたの?
陸
ラグビーやってたんだ。
渉
全然知らなかった!
T-STONE
ラグビー、本気でやってて。それももう、結構僕やるってやつはとことんやってしまうタイプやから、死ぬほど練習しすぎて。両膝の前十字靭帯を“バンバン”って1年おきに切ったんですよ。
陸
えぇ〜っ!
T-STONE
全治1年だったんすけど。それでもう「ラグビーできひんわ」ってなって。高校3年間しかないし。そのタイミングで、その消化しきれない熱量がラップに向いて。
渉
うん、うん。
T-STONE
で、この大人の人たちがやってる会というか、ラップのサイファーって言うんですけど。路上でBluetoothのスピーカー置いて、フリースタイルするところに1人で行って。
陸
えっ!
T-STONE
で、こうやっていくうちに少しずつ、こうヒップホップの徳島のシーンっていうところにのめり込んでいき、「レコーディングはこうやってするんやで」っていうのを、当時の先輩たちが教えてくれて。で、お年玉でMacBook買ってみたりとか、機材買ってみたり。実家のタンスぶち抜いてレコーディングできる環境を作ってみたり。そういう段階を踏んで。
※サイファー:複数人が輪になって、順番に即興(フリースタイル)でラップを披露し合う文化のこと。
渉・陸
へぇ〜!!
「サイファー」と阿波踊りは根っこが似ている
陸
最初サイファーに参加する時って、単身自分で、一人で行くわけですよね?
T-STONE
そうですね。当時Twitterでいきなり連絡して。どうやら徳島サイファーっていうのがあるのがあるらしいなというのを見つけて。ドキドキしながら連絡して。
陸
それで「ラップやらせてください」みたいなことを言って、その場に行って?
T-STONE
そうです。
渉
そうすると、俺全然イメージでしかないんだけど、(みんなで)丸くなって一人ずつラップバトルみたいな感じで出ていくの?
T-STONE
そうですね、時によりですけど。みんなでターンを回しながらとか、一対一でラップバトルしてみたりとか。
陸
なんか、Eminem(エミネム)の映画みたいな、あれよね。イメージだけどね、いかつい奴らが囲んでいて、いかに1番すごいラップができる人が勝つかみたいなやつだよね。
※Eminemの映画:アメリカの伝説的ヒップホップアーティストであるEminemが主演した半自伝的映画『8 Mile』のこと。2002年公開。
T-STONE
そうですね。上手い人は上手いし。
渉
梅田サイファーというグループも、そういうサイファーからできたってことなの? あれが大阪梅田のサイファーで、同じように徳島にも「徳島サイファー」というのがあって、いろんなヒップホップの人たちがやり合ってたんだ?
※梅田サイファー:大阪・梅田駅で開催されていたサイファーとその参加者から派生したヒップホップグループ。『キングオブコント』のオープニング曲などを担当。2027年の活動休止を発表しています。
T-STONE
そうです、そうです。それこそ徳島駅のロータリーで。
陸
それ、今でもやってるんですか?
T-STONE
今はどうなんですかね? サイファーやってるのかな、どうなんだろう?
渉
でも四国から、結構ヒップホップのアーティスト、いろいろ出てきてるよね? 盛んな地域ではあるのかな?
T-STONE
そうですね、血気盛んですね。
陸
元々、阿波踊りの感じって、結構フリースタイルというか。要はサイファーっぽいじゃないですか。踊りのサイファーみたいなもので。
渉
輪踊りとかね。
陸
そう。自分のその生き様みたいなのを、いかに踊りで出すかっていうのを、基本アドリブ芸なんで。それとヒップホップがすごい近いんじゃないかなと思ってて。
T-STONE
確かに。ルーツの部分は、根っこの部分は近しいものある気が、僕もしています。
自分が生まれた「徳島」を大切にするのは、ヒップホップのカルチャー
渉
T-STONEくんがすごいなと思うのが、自分の地域とか、自分の人生——生まれ持った運命みたいなものとかを結構、曲に毎回毎回込めているような気がしてて。そういうのっていうのも、最初からあったの?
T-STONE
そうですね。やっぱ地元っていうのは、大切に最初からしている気がします。していますね。
渉
へぇ〜! 例えば、僕の10代の頃を思い出すと、例えば自分は日本で音楽をやっていても海外のものに憧れちゃったりとか。例えばね、ヒップホップだったらニューヨックっぽい感じに憧れちゃって、自分はそんなに特殊な人生じゃないから誰かになりたいって思っちゃう人も多いと思うんだけど。
T-STONE
はい、はい。
渉
最初から自分のアイデンティティを作品にしたいというのは、なんで思ったんだろう?
T-STONE
やっぱヒップホップってカルチャーは、やっぱ自分の生まれた街っていうのをすごく大切にしていて。それは映画とか、そういうので僕は影響を受けていて。日本のラッパーの人たちも、自分の生まれた街を大切にしているレジェンドの人たちがいる中で、それを聴いてカッコいいと思ってのめり込んでいるから。自然と自分が生まれた「徳島」という言葉が言霊となって、そういう未来になっていったんかなっていうふうに思います。
陸
僕らと出会ったときって、いくつぐらいでしたっけ?
T-STONE
22とかですかね。22〜23とかですね。
渉
僕らは元々、CO-KEYさんっていう徳島の徳島出身のラッパーの方が、今ではプロダクションみたいな事務所をやっていて。そこに当時所属していたT-STONE君をCO-KEYさん経由で紹介してもらったんですよね。
陸
そうそう、そうそう。
渉
CO-KEYさんも昔は阿波踊りの曲をつくったから、「新世代で阿波踊りをテーマにした曲をつくりませんか?」っていうことを、お話いただいて、っていうのがきっかけですよね。
T-STONE
そうですね。CO-KEYさんが「T、阿波踊りと一緒にコラボレーションして、曲つくるんどうや?」っていうことを言ってくださって。それはCO-KEYさんの歴史もあって、レガシーっていうか、「伝統を受け継がへんか」っていう。「CO-KEYさんの伝統を受け継がへんか」っていうことを僕に言ってくれて。当時、まだ22歳とかなんで。僕も全然、でも興味はあったし、「やりたいです」って言って、それで寶船さんとの席を作ってくださって、居酒屋かどっかでね。
陸
渋谷でしたね。
T-STONE
そう、渋谷でしたね。
陸
1番最初に会ったときね。
【曲紹介】T-STONE「騒〜ZOMEKI〜feat. 寶船」
T-STONE
そこでお話しして“やる”ってなったときも、そうなんですけど。“いざ、やる”ってなったんはいいけど、「僕、阿波踊りのこと、全然知らんな。徳島出身やのに」って気づいたんですよ。
“やる”ってなって、家帰ってスタジオ入って。「何を歌おうかな」「どういう言葉紡ごうかな」「どういう音がいいかな」ってなってるときに、「全然知らんなー」と思って。ネットでありとあらゆる情報をディグリまくって。
渉
はい、はい。
T-STONE
「こういう歴史があるんや。なるほどなるほど。こういうことがあるんや。こういうところから」っていうのを。とってつけたような知識であの曲は挑んだんですよ。
渉
最初の曲は。
T-STONE
最初の曲。それは逆に言うと、あの時にしか出せなかった僕のピュアな音の感覚と、そのとってつけたような言葉やけど、それでも熱のある言葉というか、その時にしか表現できない——
渉
そうね、初期衝動みたいな。
陸
それ、聴きたいね。
渉
ちょっとそれを早速、じゃあ1番最初、僕らの出会いとなった1曲をT-STONE君から紹介してもらっていいでしょうか。
T-STONE
はい。2022年ぐらいですかね。寶船さんと出会って、1撃目につくった楽曲になります。それではみなさん聴いてください。T-STONEで「騒〜ZOMEKI〜feat. 寶船」。
▶︎次ページ:新曲「超楽しい feat. MINMI」制作の裏側も!
米澤渉
文化/起業/対談
NEO阿波踊り集団「寶船 」連長/株式会社アプチーズ 代表取締役。 1985年東京都生まれ。パフォーマー全員が赤い衣装をまとい、派手なメイクを施して激しく踊る独自スタイルの「NEO阿波踊り」で演者と観客が一体となる熱狂を生み、多数の海外ツアーも敢行。2025年までに世界26カ国で活動を展開してきた。2024年Forbes JAPANが選ぶ「カルチャープレナー(文化起業家)」30組の一人として選出された。2025年、初の著書『踊る阿呆の世界戦略』(ひろのぶと株式会社)を出版。同年10月、父より引き継ぎ連長就任。





