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2026年6月2日「街角diary」加藤順彦がお届けします。

加藤順彦


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いざラジオ大阪をわたしたちの成長ビークルとするのだ。

20年ぶりに求人メディアの取材を受けた。
いま、ラジオ大阪で新しい仲間を迎える意味がとても大きいと感じているからだ。


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1999年を迎えた頃、僕は当時営んでいた広告会社・株式会社日広の規模を一気に拡大することを決めた。総員13名だった会社をできるだけ急いで3倍程度にする。前年から借りていたオフィスのキャパがその程度までは入ると踏んだのだ。
先ず新たに取締役を3名、社内からではなく外からお招きした。半年かけて一人ひとり口説いて取締役として参画してもらった。

それは僕の、会社の、器を変えるためだった。

1992年8月に創業した日広は、当初は雑誌専門の広告会社としてはじめた。それが1996年以降のインターネットの黎明期から普及への波に乗り、業態をネット広告代理店へとシフトさせていった。

そしてネットバブルの熱狂と、いわゆるドッグイヤー(犬の1年=人間の7年に匹敵する変化のスピード)の到来を体感するなかで、僕はそれまで考えていた仕事やお金儲けの意味を根本的に解釈し直していた。

それまでの日広は、声の大きなワンマン社長と助手たちの会社だった。そう、建築家や漫画家の事務所のような。(もちろん、そうした組織の在り方も全く否定しない。)

しかし当時の渋谷六本木に集まっていた周りのネット系ベンチャーの切磋琢磨を目の当たりにするにつけ、僕は「会社とは果ては社会の公器にすらできるものなのだ」ということを学んでいた。

僕は”会社”なるものは、その目的によって、以下の3つの手段(ビークル)に大別できる、と悟った。

・My Company わたしの会社
・Our Company わたしたちの会社
・Your Company みんなの会社

僕は会社(日広)の社会における役割を「わたしたちの会社」に変え、メンバーひとりひとりの成長/自己実現のためのビークル(道具)にすることに決めた。そのために経営の舵取りを共にする、僕よりも優秀な方を取締役に迎えたのだ。

やがてインターネット普及への強い追い風(ドッグイヤーの勢い)に乗って、メンバーを増やすプロセス<募集から採用、研修>も3名にまるごと渡した。

そして彼らは同じ価値観を持つ仲間を集めていった。メンバーの成長を導ける資質のある人材や管理職経験者を次々と雇用し、実際に成果が出たメンバーをどんどん引っ張ってくれた。
その結果、99年1月時点で僕いれて13人だったメンバーは、2005年末には連結ベースで180人にまで増えた。

年商は9億円が120億円になった。

楽しかったねぇ。あれは紛れもなく、全力で駆け抜けた青春のようなものだったとも思う。


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四半世紀前の昔話を語ったのには理由がある。

AIの登場によって、再びドッグイヤーが始まったからだ。

ラジオ大阪も今までの延長線上に未来があると思っていない。

器を変える。そのための仲間を探したい。

いざラジオ大阪をわたしたちの成長ビークルとするのだ。

僕が手を広げてるこちらをご覧いただきたい。「我こそは!」という熱い想いを持った方の挙手を待っている。

68年の歴史と信頼を礎にAI時代を勝ち抜く 大阪から世界へ、コンテンツIPスタジオ実現への挑戦【株式会社ラジオ大阪 代表取締役会長 加藤順彦インタビュー】

2004年当時、僕はこんな社訓=目指す組織像 をメンバーに掲げていた。 理想は今もほぼ変わっていない。

共にスクラムを組める日を楽しみに、ここにペタッと貼っておく。

・仕事を通じて社会貢献を果たす 誇れる組織

・目標に向かって走り 期限の成果を互いに褒め叱れる組織

・個々が時間と健康の管理を最低限のルールと心得る組織

 

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  • 加藤順彦 日記


    在シンガポール大阪人。ラジオ大阪の会長。関西学院在学中リョーマ参画を経て、92年日広を創業。03年LENSMODE起業。08年日広退任後シンガポール移住→10年永住権取得。14年ビットバンク創業に参画。20年ひろのぶと株式会社を設立。