ちょいと気になる㊳
おはこんばんちは。
広告探偵の上田豪です。
まだ6月になったばかりだというのに早くも日本に台風直撃。
東京ではいくつかの河川がレベル4の氾濫特別警報となったわけですが、台風が直撃するたびに氾濫しそうになる河川ってのは大体いつも同じだったりするわけで、目黒川や善福寺川や野川なんてもう御三家みたいなもんなんですよね。
特に善福寺川なんて地図見ればわかるけど、川筋がもうこれじゃあ溢れるよなあって形してるし、荻窪に住んでた高校時代の友達の家なんて、当時の台風で実際に浸水被害受けてたしね。
ただ、今回の台風では幸いにもこれら河川の流域では大きな被害がでなくて済んだようで本当に良かったと思います。浸水被害にあうと途方に暮れるしかないしねほんと。
でね、「政治は治水から」ってのは大昔から言われてたりするわけなんですけど、治水対策に事業仕分けする政治家とか調整地に反対する政治家とか、こういう人たちは危険と隣り合わせの地元に住んでないから言えるのかわかりませんけど、どこ向いて政治家やってんでしょうかね。ほんとにね。
台風が過ぎ去った夕方にベランダで煙草を喫ってたらね、綺麗な空が姿を見せたんだけど、たいふういっかと聞いて台風一家だと思ってた人や、タイフーンの語源が台風だと思ってた人とは昔から友達になれると思ってるYO!
というわけで、今日も「いま何を読まされたんだろう」という読後感を味わえる木曜日。
例によって今週も見切り発車で着地点の見えない旅へ。
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はい。もうね、今日も例によって深夜だからね、とっとと本題入ります。
「あの名曲を再解釈してみた⑤」。
いつもの感じです。暇つぶしにご覧ください。

まずはこの曲をじっくりとお聴きください。
はい。みなさんご存じ。
八代亜紀の名曲「雨の慕情」。
1980年にレコード大賞を受賞したこの名曲。世間的にこの曲は「帰ってこないかつての恋人を待つ女の歌」「失恋の歌」だと思われている。
だがしかし、今になってこの歌をじっくり聴いてみるとね、ちょいと気づいちまったわけなのよ。なんちゅうかね。
奥さんいいですか。
この曲はね、恋人の帰りを待つ女を歌ったものなんかじゃないんですよ。
この曲はズバリ言って「猫のことを歌ってる曲」なんですよ。
これまで実家にいた頃を含め、延べ10匹以上の猫と一緒に暮らしてきた俺にはわかる。すぐにピンときたね。もうね、間違いない。確信。ちなみに「自信が確信に変わった」のは松坂大輔だし、「もうパンツは履かない」のは勝新な。
さて。そんなわけでいまからその仮説をひとつひとつ丁寧に紐解いていこうと思う。また今回も長くなるんだろうなあと思いつつやれんのか俺。
*****
それでは順を追って歌詞を見ていくとする。

この一節は、忘れたはずなのについ思い出してしまう存在のことを言ってるよね。
「あの人」とは誰なのか。
昔の恋人?
いや、そうではない。
ここでいう「あの人」とは比喩なのである。騙されちゃいけない。
歌のはじめにあるこの一節のレトリックに気づけないと、この歌の解釈を間違えてしまうことになるし、往年の日産の高級車といえばセドリックだ。
この歌にでてくる「あの人」とは、実は「飼い猫」のことを指す。

これは俺の仮説を証明する決定的な一節だ。
歌詞の中で最も「あの人=飼い猫説」を裏付ける部分と言っていい。
むしろ裁判なら最高裁まで行くまでもなく地裁でとっとと有罪判決が言い渡されてもおかしくないくらいのわかりやすさである。
みなさんいいですか。そこの奥さんもいいですか。
そこのおっさんもよく考えてみてくださいよ。
これまで恋人が膝の上に乗ったなんてことありますか? その重さを覚えているなんてことありますか?あるわけがない。ないでしょ?え?ある?あるの?
ええと、仮にもしそんなことがあるとすればだよ、元恋人にまさかの風俗店で出会ったときに行きがかりで膝の上にさあ〜ほんとまいったぜ、みたいなかなり特殊な状況以外にないと思っちゃったりもするわけなんだけど、この辺はあまり深掘りしても誰も幸せにならないのでこの辺にしておくぜセニョール。
でね、膝の上に乗るのは元恋人じゃなくて、飼い猫って考えてみると、ほら、自然でしょ。
飼い主が仕事をしていようがTVを見ていようが本を読んでいようがトイレに行きたいと思っていようが街角diaryを書くのに追われていようが、そんなことはお構いなしに極めて自然にやつらは膝の上に乗ってくるんだよ。
かつてニュートンはうっかり重力を発見しちゃったんだけど、今、世の中の飼い猫たちはそれを存分に利用しちゃっているわけでね。
膝が重さを覚えてしまうとはそういうことなのですよ。

一般的な解釈なら「長い年月を共に過ごした恋人との思い出」みたいなことなんだろうけど、この仮説ではそうはいかない。
「長い月日」とは猫の寿命に重なるのだ。
「掌の上に乗るような子猫だった頃」
「吐くまでおもちゃで遊んだ頃」
「猫キックを練習してた頃」
「毎日膝に乗るようになってきた頃」

人間は猫を飼い始めると時間の感覚がおかしくなる。
「ついこの前うちに来たと思ったらもう5年か」などと8年も経っているのに言いはじめたりする。猫との暮らしというのは年月を数えるものではなく、抜け毛の量でその季節を感じるようなことなんだよね。
「長い年月が膝まくら」とは、「あいつ、いっつもここで寝てたよなあ」という回想なのだ。
そして、「煙草をプカリとふかしてた」の解釈。
普通の恋愛の歌であれば、男が煙草を吸っていた情景として描かれる。しかし俺の解釈からすると、「家にいるはずの飼い猫が何故かいなくなり、飼い主が途方に暮れている場面」として描かれたに違いないのだ。
家に帰ってみたら何故かそこにいるはずの猫の姿がない。
普段なら膝の上に猫がいる。そんな時は猫が嫌がるから煙草を吸えない。しかし猫がいない今、どこにいったのかという不安と手持ち無沙汰につい煙草に手が伸びる。そして再び窓の外を見ては溜息をつきつつまた一本。まだ帰ってこない。いつになれば帰ってくるのだろう。帰ってくるのだろうか。帰ってくるならば。三段活用している場合じゃない。気づけばもう一箱近く吸っている。

この一節を恋愛の最中の揺れる感情だと思っている人は多いだろう。しかしそうではない。この部分こそ、「猫と暮らしたことのある人間の本音」そのものだと言っていい。
朝5:00に起こしにくる。憎い。買ったばかりのソファで爪を研ぐ。憎い。研いだばかりの爪で戯れて飛びかかってくる。憎い。今日着ようと出しておいたスーツを毛だらけにされる。憎い。高い猫ベッドを買ったのに目もくれず段ボール箱で寝る。憎い。ノートパソコンでリモート会議を始めればキーボードの上に乗る。憎い。酒のつまみの刺身をひったくっていく。憎い。夜中に顔を踏まれる。憎い。一丁前にシャーと威嚇してくる。憎い。飼い主が本気で怒っても「は?何か?」みたいな顔をしやがる。憎い。憎くてたまらない。

それでも猫の姿が見えなくなると話は変わる。
雨の夜。何故か家にいるはずの猫がいない。どこかに潜んでいるのか探してみるがどこにもいない。少し開いたサッシに気づいて外に出かけたことを悟る。ちゅ〜るを用意して外に呼びかけてみるも一向に戻ってくる気配もない。そんな時に何故か憎いと思った数々のことばかりを思い出してしまう。いざ、時々憎いと思ってたりする存在がいなくなると、不意に訪れる静けさは恋しさを伴ってやってくる。
「あいつ本当に困ったやつだな」と思った次の瞬間に「あいつ可愛いいんだよな」となる。その振り子のような感情の往復が愛なのかもしれない。
結局、人間は猫に振り回されるために存在しているのではないかと思うことすらある。人間にとっての猫とは、神であり、「憎い」と「恋しい」を繰り返す永久機関なのだ。


普通に考えれば、これが恋愛の歌だとしても少し不思議な歌詞である。
恋人に会いたいのならばむしろ晴れてほしいと思うところで、わざわざ豪雨を願う理由がない。電車も止まるかもしれないし靴だって濡れる。それでも豪雨を願うのならばそこには邪な企みがあるとしか思えないが、まあそれはここでは言及しなくてもいいでしょう。
だが、「いなくなった飼い猫のことを歌っている」と解釈するなら自然だ。
猫がいなくなった飼い主にとっては、雨が強くなればなるほど、「さすがにそろそろ帰ってくるだろう」という期待が生まれる。いくら自由奔放な猫だとしても、雨の日だけは屋根のありがたみを思い出す。
つまり、「もっと降れ=いい加減帰ってこい」なのである。
したがって「私のいい人つれてこい」の「いい人」とは「うちの猫」ということになるのだ。

*****
こうして歌詞を順番に検証してみると、「雨の慕情」が元恋人を思った歌ではないということがお分かりいただけたと思う。
この歌は、「雨の夜に窓辺で猫の帰りを待つ飼い主の物語」でしかない。
いなくなって初めてわかる存在の大きさ。困らされた思い出ばかり浮かぶのに、最後に残る感情は恋しさだけ。そう思わせる猫はまるでレジェンド級のヒモ。
そう考えると、
憎い 恋しい
憎い 恋しい
めぐりめぐって今は恋しい
という一節は、失った恋人ではなく、なかなか帰ってこない猫への思いとして捉えた方が自然で、むしろ切ないと思いませんか。どうですかお客さん。
ちなみに俺がこの解釈にたどり着いてしまってからというものの、雨の日にこの歌を聴くたびについつい窓の外を見てしまうようになってしまった今日子の吾郎。
でも結局のところ、この街角のdiaryでエッセイのようなものを書き始めて以来、一番帰ってこないのは俺の理性なのかもしれないネ。
どうでもいいか。どうでもいいな。
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はい。トークライブのお知らせです。
「コンプライアンスなんてぶっ飛ばせ 3」
日時:2026年7月14日(火)19:30〜
場所:阿佐ヶ谷ロフトA
出演:よけいおじさん(オケタニ教授・上田豪)
https://www.loft-prj.co.jp/schedule/lofta/355246
普段サシ飲みで二人で話しているあんなことやこんなこと(格闘技、野球、特撮、昭和ドラマなどなど)を生暖かい目で覗き見するようなトークイベントです。配信なしだからできる大っぴらに話せない内容を現場で目撃してください!多分打ち上げもあるよ。きてねー。

上田 豪 広告・デザイン/乗り過ごし/晩酌/クリエイティブ
1969年東京生まれ フリーランスのアートディレクター/クリエイティブディレクター/ ひろのぶと株式会社 アートディレクター/中学硬式野球チーム代表/Missmystop





