おはこんばんちは。
広告探偵の上田豪です。
先週の日曜日、我がチームは春の全国大会予選でチーム始まって以来の大敗を喫し早くも今シーズンの公式戦が終了してしまったわけなのですが、ということは来年の新入団選手獲得へ向けての活動に本腰を入れなければならないわけで、来年も入団選手が少なかったりした日にはチームの歴史にピリオドを打たねばならなくなるわけです。
会社だろうがボランティア団体だろうが、自分が預かる組織が解散するような経験はもう二度としたくないと強く思う今日子の吾郎なわけなのですが、街角diaryの原稿〆切は容赦無く今週もやっぱりやってくるわけです。
そしていま10月29日(木)の深夜1:53。あと数日もすれば2026年も残りあと2ヶ月となるわけで、時が経つのが本当に早すぎるなあと思う次第なわけです。こんだけ時の移ろいが早いと、俺が死ぬまでに会いたい人にあと何回会えるのか、まだ会ったことがない人にはあと何人出逢えるのかみたいなことまで考えたりするわけです。
というわけで、
「いま何を読まされたんだろう」という読後感味わえる木曜日。
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今週もまた懲りずにいつものアレです。暇つぶしにご覧ください
「あの名曲を再解釈してみた⑩」

まずはこの曲をじっくりとお聴きください。
はい。みなさんご存じ。
H2Oの名曲「想い出がいっぱい」。
1983年にリリースされたこの名曲。アニメ『みゆき』の主題歌だったことで有名なのですが、なにより「少年が大人になっていく」「少女が大人になっていく」、そんな詩の内容からいわゆる卒業ソングとして、令和の今でも学校で歌われたり合唱コンクールの課題曲に選ばれたりと、昭和のおっさんから令和の若者まで幅広い年齢層に知られてる曲だったりするわけです。
だがしかし。
この曲は本当にそんな甘酸っぱい青春を歌っているのだろうか、そもそもそんな甘酸っぱい青春なんてものが存在するのだろうかとか、鉄の味しかしない青春を送った俺には疑問に思えてならなかったわけですよ。
そんでね、いつものように考えてみたんだけど、教育現場がひっくり返ってしまうようなひとつの真実に辿り着いてしまったわけよ。なんちゅうかね。
いいですか、奥さん。
ズバリ言って実はこの歌はね「初めて風俗店に行った若者の歌」なんですよ。
まずね、そもそもこの曲を歌っているのはH2Oって名前じゃんね。
H2Oとは、つまり「水」のこと。
水といえば水曜日か水商売って解釈するのは社会の常識なんだけど、ここでは水商売と解釈するわけよ。そんで水商売といえば夜の店。夜の店といえばその極北にあるのが風俗店。
ほら。ここまで来ると俺の解釈もないとは思えないわけよ。なんちゅうかね。
というわけで、それを頭の片隅に置きながらこの曲の歌詞を最初から順番に追ってみてほしいい。
ただし今回は注意点がひとつ。
女性は不快だと思う可能性もある内容だから読まない方がいいかもしれないとだけ断りを入れておく。そもそも俺の書くものはコンプライアンスとかハラスメントとか持ち出されてもリンダ困っちゃうわけで、その上で読むのは自己責任ということでよろしくメカドック。
というわけで、いまからその仮説をひとつひとつ丁寧に紐解いていこうと思いまーす。
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それでは順を追って歌詞を見ていくとする。

古いアルバム。
青春ソングとして解釈するなら子どもの頃の写真が入ったアルバムだと思うだろうし、民放最長寿番組といえば皇室アルバムだし、往年の山田太一の傑作と名高いドラマは岸辺のアルバムだし。しかし、そうじゃ、そうじゃなあい。鈴木雅之。
ここで言う「古いアルバム」とは、風俗店の受付に置いてある、店に在籍している女性キャストの写真が貼り込まれたプロフィールアルバムのことなのだ。
この店を訪れた若者は受付で店員から勧められるがままそのアルバムを眺めているが、初めてなので選び方がよくわからないまま、写真を見比べながら真剣に悩んでいる。
つまりこれは、過去を振り返るアルバムではない。これから想い出をつくる相手を選ぶためのアルバムのことなのだ。

そしてアルバムに載っている女性の写真にはどれも「無邪気な笑顔」がある。風俗店のプロフィール写真なのだから当然かもしれないが、そのレタッチされた笑顔の下には日付が入っている。
これは写真を撮った日ではない。女性が入店した日付なのだ。
つまり、女性はまだ初々しいのか。それとも風俗のベテランなのか。それは女性を選ぶための重要な情報である。そしてそのどちらが優れているというわけでもなく、客のニーズや趣味によるのだということは言うまでもない。
だが、しかし。
彼にとってそれ以上に重要なのは自分がこの店を訪れた日、初めて風俗店に来た今日の日付なのである。後になってこの日が彼にとって忘れられない記憶になるからだ。

女性を選び終えた彼に、店員は次にコースを選ぶことを促す。
「時は無限のつながり」といういかにも壮大なフレーズは、人生は永遠につながっていくし、時間は無限に流れていく。そんな意味に思えるかもしれない。しかし、この青年が考えているのは目の前のもっと具体的なことだ。
「60分にするか」「90分にするか」「120分にするか」「180分にするか」。
つまり、プレイ時間の違うコースをどう選ぶか悩んでいるのだ。当然料金にも関わってくる。悩んでいる間は「時は無限」かもしれないが、料金表にはきっちり金額と時間が書いてある。

いよいよ選んだ彼女との対面である。彼の頭の中にはいろいろな想像が広がっていく。それが「手に届く宇宙」という表現である。
これから何が起こるのだろう。どんなことをするのだろう。どんな女性なんだろう。初めての彼には何もわからない。だからこそ、想像力はどんどん膨らんでいくし想像力以外もどんどん膨らんでいく。まさに宇宙戦艦ヤマト。イスカンダルのようなはるか彼方ではなく、その宇宙は「手に届く」。なぜならもうそこに辿り着くために必要な受付の手続きを済ませているからだ。

そして、そんな彼の宇宙を包むかのように「君」がいる。彼がアルバムから選んだ女性のことだ。
その写真の中から選んだ女性にいざなわれて、緊張と期待を抱きながら彼は店内の部屋へと続く階段を登っていく。彼にとって今日は人生初の風俗体験なのだ。
部屋に入ると同時に彼女の名前を聞いてみる。
「シンデレラ」
シンゴジラみたいなものでも本名でもない。シンが名字でデレラが名前のわけがない。もちろん源氏名である。あくまでも店での名前ということだ。なんとも夢のある名前である。初めての風俗店。初めて選んだ女性。その名前が「シンデレラ」。
彼の頭の中ではもう完全にファンタジーが始まっている。しかし、忘れてはいけない。シンデレラには魔法が解ける時間があるのだ。
グリム童話のシンデレラは午前0時になると魔法が解けてしまうのだが、目の前にいるシンデレラの魔法が解けるのは、彼が選んだコースが終わる時間である。
だから彼はつい時計を気にしてしまう。残り時間はどれくらいなのか。もうそろそろ部屋を出なければならない時間なのか。それとも延長するのか、しないのか。
恋愛なら「このまま時間が止まればいいのに」と思うところだろうがそうはいかない。目の前のシンデレラの魔法には、ちゃんと料金表とタイマーがセットされている。

「幸福は誰かがきっと運んでくれる」という一節。
この「誰か」とは彼女ではない。会社の先輩である。そもそも彼にこの店を教えてくれたのが会社の先輩だったのだ。
「いい店あるぞ」「男なら一回くらい行ってみろよ」「大丈夫だから」
仕事を教えてくれる先輩がいる。人生について相談に乗ってくれる先輩もいる。そして、なぜか風俗店まで世話してくれる先輩までいる。
令和の今時はどうなのか若者に聞いてみないとわからないが、少なくとも昭和にはそんな先輩は普通にゴロゴロいた。ハラスメントやコンプライアンスという言葉の濫用のおかげで失われた大事なコミュニケーションについてそろそろ振り返って考えてみてもいいかもしれない。
それはさておき、若い彼にとってその人こそが「幸福を運んでくれる誰か」だったのだ。
そして上から下からめくるめくあれやこれやの体験をし、当たり前のように予定通りに魔法が解け、その夜が終わると彼は店を出ていく。
数時間前は何も知らなかったのに、知らなかった世界を知ることで、帰るときにはすっかり大人になったような気がする経験には、誰しもが思い当たることだろう。
初めての経験というものが妙に記憶に残るのは、どこか人生観を変えるような力が働くからなのかもしれない。知らんけど。

そしてあれから何年か経ち、そんな彼もすっかり大人になった。仕事にもすっかり慣れ、恋愛をして、もう結婚をしているのかもしれない。そんなある日に彼はふと、あの一夜を思い出す。
あの店。あのアルバム。写真の下のあの日付。
そして思う。「シンデレラ。あの子かなり童顔だったな」
「少女だったといつの日か想う時がくるのさ」という一節がこれである。
何年経っても思い出す、彼にとって鮮烈な青春の思い出である。
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って感じで終わると思うでしょう?
ところが、もうちょっと深く考察してみると、別の解釈ができることが判明した。これこそが教育現場を震撼させる真実。当然俺しか知らない。そりゃそうか当たり前か。
というわけで、最後の一節の本当の解釈。ボーナスステージ。
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ある朝。
すっかり大人になった彼がテレビをつけるとそこにはニュースが流れている。画面には見覚えのある風俗店の名前。どうやら店が摘発されたらしい。そしてそこに映る容疑者の女性を見て手が止まる。
シンデレラ。あの日アルバムから選んだ女性だ。間違いない。
ニュースを見ているうちに妙なことに気づく。容疑者の年齢を見て彼は固まった。年齢を逆算すると彼女はあの頃未成年だったようなのだ。
歌詞にある「少女だったといつの日か想う時がくるのさ」という一節は、童顔だったという比喩ではない。シンデレラは本当に少女だったのだ。
数日後。
彼の自宅のインターホンが鳴る。
「警察です」
彼は玄関の前で立ち尽くす。
あの日先輩に教えてもらった店。アルバムをめくり、女の子を選び、コースを選び、シンデレラに出会った夜。あの頃は会社の先輩から「幸福」を運んでもらったと思っていたが、今になって警察まで運んできやがった。
そして彼は気づく。
あの日昇ったのは「大人の階段」などではなく、人生を踏み外す階段だったのだということに。
もう、想い出がいっぱいいっぱいすぎる。死ンデレラ。
どうでもいいか。どうでもいいな。
上田 豪 広告・デザイン/乗り過ごし/晩酌/クリエイティブ
1969年東京生まれ フリーランスのアートディレクター/クリエイティブディレクター/ ひろのぶと株式会社 アートディレクター/中学硬式野球チーム代表/Missmystop





