あの日の夏
一九八一年の夏。
僕は、十二歳だった。僕はまだ世界というものの輪郭をはっきりと掴めていなかった。昭和という時代の末端に広がる熱気と、どこか頽廃的な匂いが混ざり合う、薄青いモザイクの中にいた。
僕たちの家があった大阪府豊中市の庄内という街は、3キロ四方に10万人が住む、労働者とその家族の街だった。常にどこか湿り気を帯びた生活臭で満ちた、下町というより、ほとんどスラムと呼んでかまわなかった。商店街、「庄内本通り」のアーケードの下を歩けば、揚げ物の油の匂いと古雑誌の埃っぽさが鼻を突き、路地の奥からは誰かの怒鳴り声やテレビの野球中継の音が漏れ聞こえてくる。その街で、同級生の時田くんだけは、どことなく違う空気を纏っていた。彼は口数が少なく、いつも少し遠くを見るような冷めた目をしていた。
ちょうど今頃。8月、あの夏の終わりの午後、庄内の狭い路地に、一台の車が滑り込んできた。
光をすべて吸い込むような、漆黒の高級車だった。真夏の強烈な日差しを跳ね返すその黒い金属の塊は、下町の街並みの中で異様な威容を誇っていた。車から降りてきたのは、時田くんのお父さんではなかった。黒いスーツに身を包み、角刈りにした若い男だった。彼は時田くんのお父さんを「兄さん」と呼び、深々と頭を下げてドアを開けた。子ども心にも、その男がただの運転手ではなく、時田くんのお父さんの「手下」のような存在であることを理解した。
後部座席には、時田くんと、そのお父さんが座っていた。
時田くんのお父さんは、僕たちが普段目にする大人たちとはまるで違っていた。庄内の街を行き交う工場の作業着姿の父親たちや、気だるそうに煙草を吸う商店街の店主たちとは、根本的に異なる種族の人間だった。静かな圧迫感を放っていた時田くんのお父さんは、「乗れ」「行け」「食え」……すべての言葉が命令形だった。しかし、僕たち子どもに向ける笑顔には、どこか悪戯っぽい優しさが混ざっていた。
車は僕たちを乗せて神戸へと向かった。窓の外を流れる風景が、次第に潮風の匂う港町へと変わっていく。目的地は、その年、神戸の人工島で開かれていた「ポートピア81」だった。
電車以外で大阪から神戸に行くなど、初めてだった。
ポートピアの会場は、未来の匂いで溢れていた。パビリオンの白い曲線、眩しいほどに輝くダイエー館の巨大な映像(僕はその中で松岡直也の音楽に出会った)、僕と時田くんは、色とりどりの展示に目を輝かせ、人ごみの中を駆け回った。
時田くんのお父さんは中に入らなかった。まるで興味がないかのように、入り口ゲートで2人の小学生に「行け」とだけ言い、僕たちの姿を見ていた。明るい光に満ちた博覧会の中で、時田くんのお父さんの周りだけが、濃い影を落としているように見えた。
日が暮れ、未来の展示場に明かりが灯り始める頃、僕たちはポートピアを後にした。
黒い車に乗せられ向かったのは、須磨の海水浴場だった。昼間の喧騒が嘘のように静まり返り、波の音だけが暗闇の中から聞こえてくる夜の海。
シーワールドができ、近代的な海水浴場になった現在の須磨海岸とはまったく違う。砂浜には、すでに閉ざされた海の家が寂しげにたたずんでいた。
しかし、その一軒の海の家に足を踏み入れた瞬間、生々しい光景が僕たちを待ち受けていた。
海の家の中には、黒い車の運転手の男と同じような、若い男たちがたくさん集まっていた。みな短く刈り揃えた髪に、どこか刺すような眼光を宿し、時田くんのお父さんが姿を現すと一斉に立ち上がり、深く頭を下げた。時田くんのお父さんは、この場所の絶対的な支配者だった。
熱気が立ち込める海の家の中で、お父さんはシャツを脱ぎ捨てて上半身裸になった。
その瞬間、僕の息が止まった。
背中一面に、緻密で美しい、けれど恐ろしい仏像があったのだ。薄暗い海の家の電球の光を受けて、背中の仏はまるで生きているかのように怪しくうごめいて見えた。無言で立ち尽くす僕の横で、時田くんは慣れた様子で静かにそこに座っていた。
夜が深まるにつれ、海の家は狂気に支配された。
男たちが車座になり、花札が始まった。畳の上に次々と叩きつけられる札の乾いた音。男たちの荒い息遣いと、煙草の煙が充満する部屋の中で、一万円札を分厚く束ねたものが飛び交っていた。子どもの僕でもそれが異常な金額であることが分かった。時田くんのお父さんは、背中の仏像を汗で濡らしながら、常に怒鳴り声をあげていた。
海の家には、もう一人、異質な存在がいた。
それは若い女性だった。何度か会ったことのある時田くんのお母さんではなかった。派手な化粧をし、胸元の開いた服を着た、見たこともない若い女の人だった。
深夜、宴が少し落ち着き、僕と時田くんは畳の端で、座布団を枕にそのまま横になった。
波の音が遠くでズザン、ズザンと響いていた。時田くんはすで眠っているようだった。けれど、僕は恐ろしさで、どうしても目を閉じることができなかった。
静まり返った暗がりの中で、突然、女の人が泣く声が聞こえた。
気配を感じて薄目を開けると、少し離れた場所で、時田くんのお父さんがその若い女の上に馬乗りになっていた。
お父さんの巨大な影が、激しく上下に揺れていた。背中の仏像が、暗闇の中で蠢いているように見えた。女の人は、苦しそうな、聞いたこともない声をあげていた。お父さんは容赦なく、何度も、何度もその体を揺さぶり続けた。
女の人の声は次第に高くなり、やがて悲鳴のような鳴き声へと変わっていった。
首を絞めている、と思った。僕は畳の上で全身を固くし、目を強く閉じた。耳をふさぎたかったけれど、指一本動かすことができなかった。
やがて絶叫は途切れ、静寂が戻ってきた。おそらく女の人は死んだのだ。時田くんのお父さんは人を殺した。波の音だけが、変わらず暗闇の中で繰り返されていた。僕は朝が来るまで、震えながら浅い眠りと悪夢を行き来した。
翌朝、時田くんのお父さんは穏やかな顔で煙草を吸っていた。女の人は普通に生きていた。
僕たちを乗せた黒い車は、再び庄内の街へと戻っていった。
それから何年かが過ぎた。
僕たちが中学生になった頃、時田くんのお父さんは、急に死んだ。詳しいことは誰も教えてくれなかった。ただ、あの黒い車が庄内の路地に現れることは二度となかった。
お父さんの死から間もなくして、時田くんは学校を転校していった。どこへ行ったのか、誰も知らなかった。
時田くんとは、それきり一度も会っていない。
四十年以上の歳月が流れた今でも、夏の終わりに潮の匂いを嗅ぐと、ふとあの熱く重苦しい夜のことを思い出す。
ポートピアで見た未来の光と、薄暗い裸電球に浮かび上がった仏像。飛び交う一万円札の束と、暗闇に響き渡った死ぬ間際の女の叫び声。
あの夏、十二歳の僕は、子供時代の終わりを告げる何かを目撃した。あの美しくも恐ろしい夏の日々の向こう側に消えていった時田くんは今、どこでどんな大人になり、どんな空を見上げているのだろうか。
僕たちの少年時代は、あの漆黒の高級車に乗せられて、須磨の暗い海へと走り去ったまま、二度と戻ってはこない。

田中泰延
映画/本/クリエイティブ
1969年大阪生まれ。株式会社 電通でコピーライター/CMプランナーとして24年間勤務。2016年退職し「青年失業家」を自称し執筆活動を開始。2019年、文章術を解説する初の著書『読みたいことを、書けばいい。』(ダイヤモンド社)を上梓。16万部突破。2020年、印税2割スタート・最大5割の「累進印税™︎」を掲げる出版社 「ひろのぶと株式会社」 を創業。





