ちょいと気になる㊲
おはこんばんちは。
広告探偵の上田豪です。
ここ最近はイレギュラーなことばかり起こってましてね。
住んでる安アパートの下水管が詰まったりとか、いきなり車のタイヤがパンクしたりとか、毎日のように乗り過ごしてたりとかね、今日なんて2回乗り過ごしてますからね。これ、もしかしたら毎週ふざけた文章ばかり書いているせいでバチがあたってんじゃないかとか思ったりなんかしてるわけなんですけど、これ以上バチがあたっても困るので、今日は冗談や駄洒落を極力控えて真面目にお届けしようと思っています。
というわけで、今日も「いま何を読まされたんだろう」という読後感を味わえる木曜日。
例によって今週も見切り発車で着地点の見えない旅へ。
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はい。もうね、深夜だからね、とっとと本題入ります。
「あの名曲を再解釈してみた④」。
いつもの感じです。暇つぶしにご覧ください。

まずはこの曲をじっくりとお聴きください。
はい。みなさんご存じ。
米米CLUBの名曲「浪漫飛行」。
1990年当時、JAL沖縄キャンペーンのテーマソングに採用されたことからも、この曲は飛行機で飛び回り旅をするというイメージを持つ人がほとんどなのではないでしょうか。
だがしかし、今、この歌をじっくり聴いてみて、ちょいと気になっちまったことがあるわけよ。
奥さんいいですか。
この曲はね、飛行機の旅を歌ったものなんかじゃないんですよ。
この曲のテーマはズバリ言って「昭和から平成初期のプロレスを歌った曲」なんじゃないかと。
そこに気づいちまった俺は、原稿の〆切まで残り少ない時間にも関わらず例によって様々な思考を巡らせながら、その仮説を証明していこうと思うんだけどね、ここから先はプロレスを知らない人にはちょいとマニアックな話にもなっちゃったりすると思うんで、最後まで読んでくれる人がどれだけいるかわかんないけど、思いついちゃったんだから仕方ないというわけで書き始めてるけどやれんのか俺。
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それでは歌詞を順に見ていきましょう。

いきなり恋愛風味にかましてくるこの一節。
いったい誰に逢いたいのか。
1981年4月23日。
タイガーマスクvsダイナマイトキッド。
東京・蔵前国技館で行われた衝撃のデビュー戦。会場で、TVで、それを目撃した昭和の少年たちはこの1試合でタイガーマスクの虜となった。
これまで見たことのないフットワーク、スピード感溢れるキレのある技の数々。ロープを飛び、常識を飛び、重力を飛び越える。
『浪漫飛行』という曲は、これまでのプロレスの常識を覆した存在であるタイガーマスクを表することから始まるのだ。

ここで現れるのがアントニオ猪木である。
しかも、この歌詞から「まだ新日本プロレスを立ち上げたばかりの頃の猪木」のことだということがわかる。
創立当時の新日本プロレスは、TV局のバックアップもなく資金力もない。所属選手も少ない。興行も安定しない。
それでも、猪木は“苦しさの裏側”に夢を見ていた。
モハメド・アリとの試合に代表される数々の異種格闘技戦。
世界各地の強豪と遠征試合を重ねるなど、誰もやらないことを始める。アントニオ猪木もまたプロレス界の常識を飛び越えてみせたのだ。
今日の新日本プロレスは、全てはそこから始まったといっても過言ではない。

ここで現れるのが当時テレビ朝日のアナウンサーだった「古舘伊知郎」と、新日本プロレスの試合を中継する番組「ワールドプロレスリング」だ。昭和〜平成初期、新日本プロレスファンは古舘実況とともに金曜の夜を過ごしていた。
古舘実況もまた、これまでのプロレス実況の常識を飛び越えた。他に追随を許さないその実況はプロレスを大河ドラマに変える装置だったといっても過言ではない。
そして、“はちきれるほどMy Dream”とは、週刊プロレスや週刊ゴングなど、プロレス雑誌の発売日を待つ少年たちの気持ちを表しているに違いないのだ。

言うまでもなく、これは完全に巡業を表している。
札幌、博多、大阪、名古屋….etc。さまざまな地方の体育館。
レスラーはトランクひとつで毎日違う街へ行き、毎日違うリングへ上がる。
トランクの中には、コスチューム、テーピング、湿布、そして夢とロマン。

どこか哲学的なフレーズだ。
独特の言い回しながら、時にレスラー界の名コピーライターと評される男の言葉に違いない。
革命戦士 長州力である。
「なんで俺がいつまでもお前の下なんだ。俺はお前の噛ませ犬じゃないぞ」と、不遇な時代が長かった長州力がメキシコ遠征から帰国した直後、スター街道を走っていた藤波辰巳に噛みついたいわゆる「下剋上発言」。
これをきっかけに維新軍を結成し、藤波との「名勝負数え唄」と呼ばれる抗争へ向かっていくその様を表している一節に違いないのだ。
あの瞬間、新日本プロレスの空気が変わった。長州力がこれまでの序列を飛び越えたのだ。
さらに長州の革命は、団体の壁さえ越えていく。

ここで長州は、新日本プロレスという団体を飛び出し、ジャパンプロレスを設立、闘いのリングを全日本プロレスへ移すのだ。
当時、新日本と全日本は別世界だった。
アントニオ猪木とジャイアント馬場。
文化も違う。スタイルも違う。客層も違う。空気も違う。
だが長州は、その壁を飛び越えた。
マンネリ化する前に自分から時代を動かしたのだ。
そして参戦した全日本プロレスのリングで、長州と出逢い、長州を追いかけることとなる男が現れる。

天龍源一郎である。
全日本に現れた長州を見て、天龍の中の反骨心が燃え始める。
幾度となく闘い、ぶつかり、殴り合う。しかし、そのゴツゴツとした闘いの根底には奇妙な友情があった。昭和プロレスにおける友情とは、だいたいチョップやラリアートの応酬から始まるのだ。

革命を起こしても、団体を越境しても、結局レスラーは毎日のように地方巡業の旅へと飛び回る。そこにリングがあり、観客が待っている以上、巡業は終わらないのだ。
まだまだ『浪漫飛行』はここで終わらない。
さらに危険な空域へと入っていく。

ここで空気が少しシリアスになる。
これは完全に我らが前田日明兄さんのことを示している。
全日本プロレスからから古巣である新日本プロレスへと戻ってきた長州力とのタッグマッチにおいて、サソリ固めを極める長州の顔面を蹴り抜いた(いわゆる長州顔面蹴撃事件)事件が起こる。
この一節は、蹴撃事件をきっかけに、新日本プロレスから無期限出場停止となりその後解雇された後、第二次UWFを立ち上げようとする頃の前田を表したものである。
当時はまだプロレス団体の数が限られていた時代、並のレスラーであれば団体を解雇された時点でレスラー人生は終わる。
だが、前田は終わらなかった。
ひとりぼっちでも、もう一度飛ぼうとした。シュート。リアリティ。格闘技性。これまでのプロレスとは明らかに違うスタイルを確立しようとした。
プロレスそのものを飛び越えようとしたのだ。
そこに共鳴する男たちがいた。前田は“一人じゃなかった”。
新日本との契約を更改せず、高田延彦や山崎一夫、その他の面々が合流した。前田には同じ夢を見る仲間がいたのだ。だから「もう一度空へ」なのである。

これが切ない。
タイガーマスクも、猪木も、長州も、天龍も、前田も。
輝いていた時代は過ぎていく。
TVのゴールデンタイムからプロレス番組も消え、令和の今となってはあの頃の熱狂を知らない世代も増えた。それでも、昭和のプロレスファンの胸には残っている。
地方体育館の匂い。古舘実況。場外乱闘。控室の殺気。巡業バス、そして大きなトランク。常識や時代をひたむきに飛び越えようとした男たちの姿を。

最後のコーラス。しかし、これはただのコーラスではない。
完全にリック・フレアーである。お得意のガウンを翻しながらWooooo!とやるアレである。
つまりこの曲は、当時の新日本プロレスには縁のなかった、夢だったNWA世界ヘビー級選手権の空気で終わるのだ。まさに『浪漫飛行』なのである。
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どうですか。
『浪漫飛行』は決して旅行ソングではないことがおわかりいただけたでしょうか。
『浪漫飛行』はプロレスという巨大な浪漫を抱え、昭和の時代を飛び続けた男たちの、巡業と革命と再起の歴史書といってもいい曲なのだ。
どうでもいいか。どうでもいいな。
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はい。トークライブのお知らせです。
「コンプライアンスなんてぶっ飛ばせ 3」
日時:2026年7月14日(火)19:30〜
場所:阿佐ヶ谷ロフトA
出演:よけいおじさん(オケタニ教授・上田豪)
https://www.loft-prj.co.jp/schedule/lofta/355246
普段サシ飲みで二人で話しているあんなことやこんなこと(格闘技、野球、特撮、昭和ドラマなどなど)を生暖かい目で覗き見するようなトークイベントです。配信なしだからできる大っぴらに話せない内容を現場で目撃してください!きてねー。

上田 豪 広告・デザイン/乗り過ごし/晩酌/クリエイティブ
1969年東京生まれ フリーランスのアートディレクター/クリエイティブディレクター/ ひろのぶと株式会社 アートディレクター/中学硬式野球チーム代表/Missmystop





