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株式会社ビオネ 代表 井草克一さん【ラジオ大阪】田中泰延のシャチョーとシュチョー(2025年11月10日〜14日放送)

田中泰延


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自身の体験から取り組んだ、ビオネ製品化と「心・食・体の調和」の考え(11月12日放送より)

食事の変化で急に良くなった体調

そもそも、なんで井草さんがこの事業をされるに至ったか、社長になられたのかというのをお伺いしていきたいんですが……。

学生時代に遡るんですけどね。

はい。

私、スポーツ好きで。小学校はずっと卓球、中学校は剣道、高校は柔道部入りまして、剣道部は試合だけずっと出てたんですよ。

で、どうも体調が悪くてね、何やってもしんどい、しんどいと。

それで病院に行きましたら、急性肝炎。

肝炎?!

ええ、それでスポーツもストップになったんですね。

お若いのに。

はい。当時はB型とかC型とか分からない時代ですね。

その後ね、会社員で営業の仕事をしていて。毎日ね、お腹が痛くなって。タール状の便が出るようになったんですよ。

結局、十二指腸潰瘍。

ええ……。

要するに、針で突いたような穴が動脈にあいて大量出血すると。

それで、これどうしたらいいですかと(医者に聞いたら)。

「とりあえず、(お腹を手術で)開けてみないと分からない」

そんな開けられたらたまりませんから。

そりゃ、そうですよね。

それで結局、腸にいいものをと考えて、おかゆと梅干し。あと外出の時は不二屋のネクターと味付けパンだけで過ごしたんですよ。

そうしたら1ヶ月で治りまして。

ええ〜?!

結局ね、腐敗するものを食べてなかったってこと、今思えば。

ああ〜!

正垣一義先生との出会い

その後、正垣一義先生という方とお会いして。

で、肝炎もB型肝炎だったんですけども、(調べたら)抗体だけ残ってウイルスは消えているんですね。

へ〜!

それから、十二指腸潰瘍も一切出なくなって。

で、これ(乳酸菌生産物質)面白い原料だなということで、世の中に広めようと。

それで、株式会社ビオネをつくったんですよね。

その正垣一義先生との出会いというのは、かなり出会いとしては大きかったんじゃないですか?

そうですね。神戸の栄養学博士のご紹介だったんですけどね。

その方(正垣一義先生)がずっと、乳酸菌というものにずっと着目されて。

そうですね、「乳酸菌分泌液」とおっしゃっていましたけどね。

その時は「分泌液」と。

はい。

若かった井草青年は、手術してお腹を開けようかというピンチを、その乳酸菌の力で乗り切れた。

そうですね。乳酸菌と言っても、乳酸菌の発酵物質。

発酵物質。ああ、ここが大事。乳酸菌の発酵物質、いわゆる「乳酸菌生産物質」ですよね。

はい。

やるところがないなら、なんとか自分が広めよう

その後ビオネをつくろうかと思われたのが、これは何年頃の話ですか?

1980年頃からずっと研究して、1985年にビオネという製品を開発して、1986年に会社を設立したんですね。

研究は長かったけれど、法人化をするというところは、かなり一気呵成な感じがしますけど。

レシピをつくりまして、それでどこかやってくれないかと。私、お金なかったから。

それで、いろいろ知り合いの企業に当たったんですけど、そんなね、乳酸菌みたいなものをやる会社、当時は全然なかったんですね。

じゃあ、これはなんとか自分自身で広めようということで、会社をつくったんですね。

僕は80〜85年ってまだ高校生でしたけど、今ほどそういう健康食品とかね、微生物とかね、そんなに世の中盛り上がっていなかったですよね。

そうですね、はい。

その時点からもう「あ、これや」と。

はい。

国際中医師の資格と、中国で臨床研修

最初に始められた時に、いろんな他の人の症状に関しても研究された?

もちろん、そうですね。

西洋医学も東洋医学もずいぶん勉強しましたし。カウンセリングもおそらく今までに10万人くらいしてきていますから。

それで、中国に渡っても学ばれた?

ええ。もともとね、薬学博士で有名な健康番組に昔ね、出ていた先生がいるんですけど。

その先生が「中医学の勉強をして、国際中医師って資格を取ったらどうか」と言われて、その資格を取りまして。

はい。

中国では西洋医学の大学と中医学の大学があるんですね。で、中医師のほうが(中国内における)レベルは上なんですよ。

中国伝統の医学ですもんね。

そうなんです。それと、患者さんは医者を選べるんですね。教授(主任医)、助教授(副主任医)、主治医師、中医師の順番です。で、値段が違うんですね。

なるほど。

それで、その後、助教授の下の主治医師の試験を受けたらどうかと言われて。遼寧(りょうねい)中医薬大学附属病院に臨床研修しばらく行きまして。それで受験したんですけど。

はい、はい。

7点足りなくて落ちたんですよ。もう50歳だったんで、やっぱり記憶力。ものすごく落ちるんですよ。

でも、国際中医師の資格は持っておりますけどね。

著書でも伝えている「心・食・体の調和」

ご著書も書いてらっしゃって。

自然治癒力を発動させる3つの条件』(現代書林)。

出典:Amazon

なんと、発売以来10刷を数えて。今でも主要な図書館に行ったらたくさんのところで置いておられる本なんですが、これを書かれたきっかけというのは?

結局ね、健康になろうと思ったら、腸内細菌が大事なんですけど、それだけじゃダメで。

やっぱり食事。これが1番大事なんですね。

それと、精神面。心の問題。

それから、筋肉や骨格のバランス。

この3箇所からアプローチする。心と食べ物と筋肉・骨格からアプローチすると健康になれるということで書いた本なんですよね。

この本を読むと、何度も「健康には『心・食・体』の3つが調和しないとだめだ」と。

はい、はい。

これね、読み物としてもすごく面白くて、乳酸菌生産物質については東欧ですごく長生きの国もある、だとか。

あと、釈迦の経典の中にもですね、いわゆる「醍醐(だいご)」とか、乳酸菌生産物質のことに違いないということが出てくるという記述もあって。

あ、そんな歴史もあるし、世界的にも根底にある考え方なんだなということが分かる。本として、めちゃめちゃ面白いんですよね。

ありがとうございます。

いろいろな健康に対する教えというのを、商品だけでなく、ずっと言葉でも伝えていかれようというのは、意識されている。

はい。

「くだらん奴よりいいでしょう(笑)」

僕なんかね、パッと見て。今日も僕、お腹ちょっとくだり気味なんですけど。

ああ、そうですか。

いつもくだり気味なんですけど。

まあ、くだらん奴よりいいでしょう(笑)。

(笑)。

くだらん奴よりは、僕くだってますから、ちょっとはマシというお言葉をいただいて。

よかった、僕がくだらん奴ではないと分かったところで(笑)。

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    1969年大阪生まれ 元・広告代理店店員 元・青年失業家 現在 ひろのぶと株式会社 代表