誰もが踊れるって、平等でいい時代だ
徳島の阿波おどりに行ってきました。
もちろん、寶船をたくさん見てきました。












もちろん、寶船以外の連やステージもたくさん観てきました。
お昼から演舞している駅前の無料ステージに始まり

照明演出もある有料ステージもあり


夜になると街のあちらこちらでみんなが踊り出します。


「桟敷席(さじきせき)」と呼ばれる有料席でもいろんな連を見ました。


ちびっ子も、踊ります。

白杖を持って踊る人もいました。

「総踊り」は、もうすごい密集感でした。



最終日には、加藤さんが参加されている「九尾連」にもお邪魔しました。


私も少し後ろについて一緒に踊らせていただきました。

九尾連のみなさん、ありがとうございました!
* * *
日中には「阿波おどり会館」にも行ってきました。

江戸時代の絵の複製があったり


当時の街の様子を模型や、阿波踊りで使われてきた楽器などの展示もありました。


今回、たまたまボランティアのガイドの方にご案内いただけ、さまざまなお話を伺えました。
その中で、ふと疑問に思ったこと。
「なぜ、阿波踊りの男性は手ぬぐいを泥棒みたいにつけているのか」
先ほどの「阿呆連」の男性の写真がわかりやすいでしょうか。

頭に手ぬぐいを被り、鼻の前で結ぶ。ほっかむりスタイルで踊る男性の踊り子がよくいるので、なにかお遊びで泥棒コント的なことをしていた時代があるのかなと思っていたのですが…
「あれは、昔はもっと目深に被って、本当に顔を隠していたんですよ。あの格好をしていたのは、武士なんです」
さらに、ガイドさんによると女性の笠も元は武士が顔を隠すために目深に被っていたものだそう。
でも、なぜ武士がそんなコソコソと怪しい格好をしないといけないのでしょうか?
「武士は市中で踊ることを禁じられていたんです」
武士は一度刀を抜けば、何(誰)かを切らねばその刀を納められぬ存在。一方、市中の阿波の盆踊りはいろんな人が入り乱れ盛り上がる。見方を変えれば、ちょっとしたいざこざも起こりやすい環境です。そこで気が昂ってトラブルが起き刀を抜く事態に……なんてならないよう、武士が出てくることは禁じられていたのだそう。
※「阿波踊り」という名称が使われるようになったのは明治末期で、一般に広がったのは昭和初期です。それまでは単に「盆踊り」や「阿波の盆踊り」と呼ばれていました。
踊りたい武士は、町から聞こえてくる音に合わせて自身の屋敷の中でだけ静かに踊っていたそうです。
でも、やっぱり我慢できずに出ていって一緒に踊りたい……!
そんな武士が、バレないように顔を隠して出てきていたのが、現在のほっかむりスタイルや目深にかぶる笠なのだそう。
ちなみに、やっぱり顔を隠していてもバレて捕まった人もいたそうで。展示されていた「武士盆踊図」の解説文には…

尚、天保11年(1840)には、中老蜂須賀一角が藩の禁令を破って市中で踊っているのが見つかり逮捕され、翌年には、お家断絶の処分を受けたと伝えられています。
踊っただけで、お家断絶?!?!
いやぁ、誰もが「踊る阿呆」になれるというのは、いい時代になったもんだ……。
* * *
徳島の阿波おどりについては、今週8月25日(火)のラジオ「踊る阿呆の無礼講!」で、寶船の米澤渉さんと米澤陸さんがたっぷり語っていました。ぜひ、聴いてみてくださいね!
※ 放送の記事・動画は9月に公開予定です
廣瀬 翼
レポート / インタビュー
1992年生まれ、大阪出身。編集・ライター。学生時代にベトナムで日本語の先生を経験。食物アレルギー対応旅行の運営を経て、編集・ライターとなる。『全部を賭けない恋がはじまれば』が初の書籍編集。以降、ひろのぶと株式会社の書籍を担当。好きな本は『西の魔女が死んだ』(梨木香歩・著、新潮文庫)、好きな映画は『日日是好日』『プラダを着た悪魔』。忘れられないステージはシルヴィ・ギエムの『ボレロ』。





