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2026年5月19日「街角diary」加藤順彦がお届けします。

加藤順彦


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アルビレックス新潟シンガポールからFCジュロンへ

2008年、たまさか同時期にシンガポール移住したアルビレックス新潟シンガポールCEO是永大輔さんと出会いました。初対面で意気投合→互いの近況やイケてる商売を話しあったりするナカーマとして楽しくお付き合いをしてました。

そんななか是永さんが2018年末、アルビレックス新潟の社長に選任されました。前年の戦績でJ2に降格してたクラブは2018シーズンの戦績が非常に悪く…いきなりJ3降格か、というところまで追い込まれていました。まさに、お家の一大事で担ぎ上げられたような恰好で。

有り難いことに、僕も是永さんの就任のタイミングにてアルビレックス新潟の取締役に就くこととなりました。コロナ禍など酷い目にも遭いましたが…2023年まで4年9カ月間、2022シーズンでJ2優勝を当事者として体験することができるなど、ボードメンバーとして幸せな体験ができました。

アルビレックス新潟の取締役になってなければ、そもそも新潟に通えてないし、燕三条のアトツギたちとドッツアンドラインズを始めてなかったし、家業の丸1グループが本部機能を大阪から燕三条に移転することもなかったな、と思います。


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一方で折角の縁をアルビレックス新潟にて戴いたので、僕らが営むコンタクトレンズの越境EC会社LENSMODE PTE LTDにて、アルビレックス新潟シンガポールのユニフォームの胸スポンサーを、2019シーズンから氣合いでお引受けすることにしました。

2019年は4位に留まりました。翌2020年はコロナ禍で14試合まで総試合数が減りましたが…うち10勝しSingapore Premier League(SPL)にて優勝となりました。でもゲーム数少なく全試合無観客で、僕もスタジアムに行けず、あんま喜べませんでした。続く2021シーズンは、混戦の末、最後にLionCity Sailorsに敗れ、リーグ2位の惜敗となりました。

2022シーズンは~2018年のSPL3連覇時を率いた吉永一明さんが監督に復帰。粘り強い試合運びで競り勝ち続け、5度目のリーグ制覇を果たしました。

アルビレックス新潟の取締役就任以降の目標であったJ2優勝=J1昇格と、シンクロしたSPLでの2022年のW優勝は、僕にとっては格別のものとなりました。この達成感を節目と感じて、LENSMODEとして4シーズン続けたアルビレックス新潟シンガポールのユニフォームの胸スポンサーを降りたのです。


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先週2026年5月10日、宿敵Sailorsとの対戦を応援してきました。

2025/26シーズンのユニ(ゴジラ!です)のマネキンと、2021シーズンのユニです。世界のCanon様と胸を飾れたのが嬉しかったです、あの頃。

2025/26シーズンはこの日を含めて残り2試合とも勝利すれば、そして首位Sailorsが最終節に勝てば、2位のアルビレックス新潟シンガポールがAFC Champions League(ACL)2の予選に初参加できる、というだいじな一戦。ACL出場は、是永大輔チェアマンの悲願。僕も固唾を飲んで凝視し、ときに大声をあげました。

結果は2-0の大勝利。後半の矢継ぎ早の得点には痺れました。やっぱサッカーはスタジアムで見ると格別でした。そして続く5月16日の最終節 vs Young Lions戦も3-0で快勝。


2025/26シーズン最終戦後の全体写真

遂に!翌17日のSailorsと3位クラブの結果を待つのみまで漕ぎ着けましたが…Sailorsは連敗。ACL2への夢はあと1歩のところで潰えました。


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さてアルビレックス新潟シンガポールは、次の2026/27シーズンから、クラブ名がFCジュロンに変わります。

JURONGは、ホームスタジアムがある地域名です。シンガポール人選手中心の構成へとシフトし、名実ともに“シンガポールのプロサッカークラブ”としてACL出場を目指すなかで、創立以来続けてきたクラブ名を、地域と共にあることをより示すために変えることを選択したのです。

昨今は、あの本田圭佑さんが選手として来シーズンに参加することが発表され、一気にFCジュロンの名が、日本だけでなく…多くの人々に伝わったのではないか、と思います。さすが是永大ちゃんです。

僕はこれまで通り…いやこれまで以上に是永さんを、FCジュロンを応援していきたい、と思っています。JURONG Forever!

 

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  • 加藤順彦 日記


    在シンガポール大阪人。ラジオ大阪の会長。関西学院在学中リョーマ参画を経て、92年日広を創業。03年LENSMODE起業。08年日広退任後シンガポール移住→10年永住権取得。14年ビットバンク創業に参画。20年ひろのぶと株式会社を設立。