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ゲスト立川談笑さん 第一夜【ラジオ大阪】田中泰延のふたりごと(12月6日放送)

田中泰延


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田中泰延が、いま会いたい人・話したい人と、聞きたいことを語るラジオ大阪の番組「田中泰延のふたりごと」。

「街角のクリエイティブ」では、その放送の様子を記事化してお届けします。

今回は2025年12月6日(土)の放送の様子。

ゲストは、落語家の立川談笑さんです。

落語家 立川談笑さん(撮影:田中泰延)

早稲田大学法学部から落語家へという異色のキャリアを持つ、談笑さん。どんな経緯で、落語家を目指したのでしょうか?

2023年にひろのぶと株式会社から『令和版 現代落語論』を出版した仲で、親しく話が盛り上がり、笑い声が絶えなかった15分。

さあ、立川談笑さんと田中泰延の“ふたりごと”を、ちょこっとのぞいてみましょう。

(構成・編集:廣瀬翼)

※ この番組は、「結果のわからないチャレンジャーを応援する」FIRST DOMINO株式会社の提供で放送されています。

立川談笑(たてかわ・だんしょう)
落語家

1965年 東京都江東区生まれ。早稲田大学法学部卒。予備校講師などを経て、1993年 立川談志に入門。立川談生を名乗る。1996年 異例のスピードで二ツ目昇進。2003年 6代目立川談笑を襲名。2005年 真打昇進。2015年 彩の国落語大賞受賞。古典落語を独自の視点で解体・再構築する改作落語と、大胆な新作落語で熱い支持を集める。フジテレビ系 朝の情報番組「とくダネ!」でレポーターを務めお茶の間に親しまれるなど、メディアでも活躍。2023年、ひろのぶと株式会社より『令和版 現代落語論 〜私を落語に連れてって〜』を出版。

X(旧Twitter):@danshou

談笑師匠は、なぜ落語家に?

収録前日は、京都で一番弟子の真打お披露目会

さて、今日のゲストです。落語家、落語立川流真打・立川談笑師匠です。

どうも〜! みなさん、ご機嫌いかがでしょうか?

談笑でございます。

ようこそ、いらっしゃいました。

どうもどうも。

大阪まで遠いところ、ありがとうございます。

いえいえ。 昨日、京都だったのでね。

京都で。

弟子の吉笑*の出身地でもあって、地元でもあって。

そこで、真打の披露目というのを。彼のお披露目があって。

そこで、口上並んできましてね。

そうすると、昨日、京都で高座があって。

昨日、京都で。

それでこちら、大阪に来て泊まっての、今ですね。

秋の京都は大混雑!

だって、京都って今、泊まれないじゃないですか。高いし。

高い。

もうね、バスはいっぱいで乗れないし。

そう! びっくりしちゃった!

ね。タクシーもなかなかつかまらへんし。

うん!

これ、たいへんなんですよ。

でね、大きな荷物を持った外国人の人たちがたくさんいて。

そうなんですよ。

それでまた、烏丸線でしたっけ、地下鉄。

ああいうのが細々、京都って、階段だらけなのね。

はいはい、はいはい。

エスカレーターが充実してないのね。

わかる。

ちょこっとあるエスカレーターもね、ベビーカーかなんかが、ウィーンって時速3mmくらいの感じで。

わっはは。

なんだこりゃって感じで、みんな荷物持ってえっちらおっちら。

もう、かなり混沌としていましたね。

大阪の交通事情も語るふたり

大阪はね、万博が終わって、かなり落ち着きました。

あっ、そんなに!

たいへんだったんですよ。

万博の間はもう、今の紅葉の時季の京都と変わらんくらい、地下鉄も街も外国の人でいっぱい。

ほうほう、ほうほう。

このラジオ大阪がある弁天町も、なぜか外国の人が。ここね、万博近かったものですから。

そうだ、そうだ。近いんだ。

そう、たいへんでした。

新大阪の駅だってね、万博に合わせて私は改装されると思ってたんですよ。

はい。

そのまんまだったでしょ?

うん。

あのロータリーのところなんかね。

ええ、ええ。

もうロータリーすぐそこ、10m目の前にもう新大阪駅があるのに、タクシーがそこから2時間くらいかかるんですよ、ずっと。

わはは、そんなにはかからんけど(笑)。

だって、あれ構造上、問題がありますよね。

あれは昭和の昔の万博、それからオリンピックの時のまま、なんも変更されてませんから。車寄せとかもね。

ねえ。

佇まいが美しい、著書『令和版 現代落語論』

そんな談笑師匠が……(笑)。

えへへ、なんの話をして(笑)。

なんの話を(笑)。

まあ、今日ラジオ大阪に来ていただきまして。

何度も師匠にはこれ、お伺いしているんですけども。

ええ。

実は、立川談笑師匠は、わたくしの代表を務めています会社・ひろのぶと株式会社から。

よっ!

令和版 現代落語論』という本を書いていただきまして、著者でございます。

ありがとうございます!

これね、ラジオだから、うまく伝えられないんですけど。

真っ赤な緋毛氈(ひもうせん)のようなカバーに、紫のキラーンとした座布団のような。

ググれよ、ググれよ〜!

これね、YouTubeでは見られてますから(笑)。

真っ赤なカバーに紫の箔押しが目を惹く『令和版 現代落語論』。装幀は上田豪さん

非常に美しい本で。中身のほうも最高な本。

この本の中身の話は、またゆっくりしてもらおうと思うんですが。

最初は医者になりたかった?!

そもそも談笑師匠は、恥ずかしながら僕も早稲田大学卒業生の端くれでして、なんと(僕にとって)大先輩。

うん!

そして談笑師匠、早稲田大学法学部を卒業されて、落語家への道っていうのは。これちょっと、あらためて聞いておきたいんですけど。

あのね、まさに私ね、この「結果がわからないチャレンジャー」ですよ。

わはは(笑)。

18や20歳くらいのころって、そうやって学部決めて大学行ったりするけど、将来何やりたいかなんて、そうそう決まってないじゃないですか。

はい、はい。

そんな段階でね、理系か文系かだなんて、無理くり決めたような気がしません?

まあまあ、適当ですよね。だって、わかんないですから、そのときは。何になるかとか。

ですよね。

そもそも私は、お医者さんになりたかったんですよ。

ええ〜っ?!

算数が苦手だから、進路をチェンジ

母親が看護師だったこともあって。お勉強もできたし。医学部行こうかなと思ったんですけど。

どうもね、私、算数が苦手なの。

はい、はい。

そう、数学じゃなくて。算数レベル。

算数(笑)。算数の時点で苦手。

算数の時点で苦手なんで。

で、私の家だと(医学部なら)国公立の大学でないと行けないと。家庭のね、家計の事情で。

はい。

で、なんかね医学部行こうとするには、なんか算数できなきゃいけないんですよ。

まあ、そりゃ、そうでしょう(笑)。

あっ、数学か。

数学、数学(笑)。

で、そっちじゃなくて弁護士にチェンジをしたのが、高校2年生の時ですね。

法曹界へ向かおうと。

そうです、そうです。

似たような技術系の、頭いい人が行けるようなね、スペシャルな世界だなと思って。

プロレスラーの道も考えていた?!

で、最初の受験で、高校3年生の時、失敗して。

はい。

で、予備校に行かないで宅浪。

宅浪。

うん、バイト浪ですよ。

はい、はい。

マルイでアルバイトしながら。

ほう!

で、運送屋で引越しの手伝いしながら。

ふむ。

で、自分なりに勉強して。

それで、ダメだったらね、プロレスラーになろうと思ったの。

えっ、ちょっとちょっと、どういうことですか(笑)。

(笑)。

早稲田大学法学部を目指すけど、あかんかったらプロレスラーに。

そう、プロレスラー。

どういうこと……(笑)。

振り返ると、お相撲さんにもなりたかったんですよ。

ああ〜。

今日ね、ラジオ聴いてる方ね、わかりますかね。

談笑師匠と僕というのは、まさに2人、土俵で向かい合っているような迫力があるんですよ、これ。

そうそう、そうそう(笑)。

わりとこのスタジオの中がね、酸欠になりそうな感じで。

あと、暑い。

あっはっはっは。

合格を諦めてスクワットまで始めていた

いやね、身体大きいし。柔道部だったし、身体大きくしようとしていて。

でも、お相撲さんになるには、もう18じゃ、ちょっと遅いのかな。

で、プロレスラーになろうかな、大学ダメだったらって。

はい、はい。

一浪して自分で勉強した結果で、もしダメだったらというので。

中央、慶應とね、ダメだったんですよ。

はい。

あらぁ、あと早稲田しか残っていない。もうこりゃダメだろう、というので。

私はうちでスクワットを始めてました。

はっはっは! もう大学行く予定はないはずだと(笑)。

ない、ないんです。

もう、身体で俺は食っていくんだと。

わっはっは。

そうしたら、大学たまたま……たまたまというか、受かってたんで。

はい。

で、早稲田大学法学部ですよ。

ほう〜。

よかった、俺は頭で生きていくぞと。

急に、スクワットから、一気に(笑)。

そう! もう俺、身体鍛えないし、頭鍛える。

わっはっはっは。

フラットな状態でやりたいことを考えて出てきた「落語」

それで法学部で、またおんなじように、今度は司法試験がありますよ。

はい。

今よりまだ、法科大学院(ロースクール)とかないころですから。

一発勝負で落ちるね、すごい人たちがいっぱいいたので。これもちょっとやばいぞと。浪人のときのことがフラッシュバックして。

ええ。

で、ちょっとこれ(法曹界への道)は棚上げして、他にやりたいことはないかなと思って考えたときに、「あ、ガキのころから、そういえば落語が好きだったな」と。

また、なんか、突然といえば突然ですけど(笑)。

ここで落語が出てくるわけですね。

そうです。完全にフラットな状態で考えたら、そういえば小学校とか中学校だとかね、友達の中では珍しいくらい落語が好きで見てたよなぁと。録画してね、録り溜めて見てたり。

ちょっと見てみようかなというので見てみたら、立川談志の活躍だとか。

はい。

当時の、高田文夫先生。放送作家で。

その当時、落語を活発にやってらっしゃって、ものすごくおもしろかった。

なるほど。

で、感銘を受けて、「おっ、こっち(落語)じゃねえか!」と。

なるほど。

で、あの立川流家元・立川談志師匠に弟子入りするということなんですが。その話はおいおい、詳しく聞かせていただくとして。

今日の曲紹介| Taylor Swift「The Fate of Ophelia」

この番組は、必ず1曲ですね、ゲストに曲を紹介してもらうことになってまして。

なんと、師匠からのおすすめ。

Taylor Swift「The Fate of Ophelia」

この曲は、いったいどんな思い入れというか……?

Taylor Swift好きなんですよ。これ、新譜ですけども。

実はですね、2014年だと思うんですけど、成田空港に遊びに行って。

海外行くんじゃないですよ。成田空港のフライトシミュレーター目当てで、倅とカミさんと行って。

ショッピングモールのね、出国ロビーの一つ上の階でブラブラしていたら、ラグビーの日本代表がジャージ着て歩いてるんですよ。

まだ今みたいにみんな認知度がないころです。五郎丸さんがパーンとブレイクする直前です。

「うわぁ〜!」と思って。「桜のジャージだ!」というので、「おおお」なんて言っていたら、そのうちに下の出国ロビーがワーワーワーと騒がしくなってきて。

で、上の吹き抜けからね、桜のジャージの人たちも一緒に並んでのぞき込んでいたら、ワワワワワーって、ものすごい人が。

なんか出てきたけど、誰、誰、誰?って。日本代表の人たちに「誰ですかね」「いやー、誰ですかね」なんて話をして。

それが、Taylor Swiftだった。

当時はTaylor Swiftって聞いても「誰それ?」って。その時は知らなかった。生で、肉眼で見ておきながら、その時にはなんの感動もなかったのに(笑)。

そういうね、なんか縁を感じる人ですね。

令和版 現代落語論

令和版 現代落語論 〜私を落語に連れてって〜
立川談笑|ひろのぶと株式会社


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    1969年大阪生まれ 元・広告代理店店員 元・青年失業家 現在 ひろのぶと株式会社 代表