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歌舞伎界の阿修羅・喜久雄の女形一代記——映画『国宝』レビュー

吉本 標実


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歴代1位の大ヒット

この映画を鑑賞してもうずいぶん経ちますが、いまでも凛としたあのふたりが「二人道成寺」や迫真の「曽根崎心中」を演じるシーンが目に浮かびます。それほどに強烈な印象を残したのが、映画『国宝』です。ライターの吉本標実です。みなさんはもうご覧になりましたか?

『国宝』は2025年6月の公開から観客動員数1,210万人、興行収入184億円を突破(東宝発表、12月末時点)。歴代邦画実写としては、『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(2003年)を超えてトップとなり、いまなおロングラン上映中。ということは、日本人の10人にひとりは鑑賞したことになるのです!

(C)吉田修一/朝日新聞出版 (C)2025映画「国宝」製作委員会(出典:映画.com

この映画は、吉田修一の同名小説が原作です。任侠一門に生まれながらも、歌舞伎の家に引き取られ、芸一筋に生き抜いた「立花喜久雄」の生涯を描いています。

キャストは、主演の立花喜久雄(花井東一郎)役に吉沢亮、俊ぼんこと大垣俊介(花井半弥)を横浜流星、その父で当主の花井半二郎を渡辺謙、女形の重鎮・小野川万菊は舞踊家の田中泯が演じます。表舞台を支える女性陣は、半二郎の妻・幸子として本物の歌舞伎の家柄から寺島しのぶ、花井家嫁となる春江は高畑充希が務めています。大河ドラマを超える豪華さです!

喜久雄は、芸と美の「阿修羅」

さて、『国宝』を観た私は、吉沢亮演じる喜久雄の美しさに、ほとほと圧倒されてしまいました。ただただ惚れ惚れし、最後は井口理の幻想的な歌声と壮大な音楽に包まれて、ポーっとしたままエンドロールを迎えたのでした。コメントを求められたなら、「呆れるほど美しいから絶対見て」、この一言に尽きます。吉沢亮は女形として全く違和感がなく、これほどまでに優美で艶めかしく凛として美しい。タローマンならこういうでしょう、なんだこれは!なんだこれは!この「美しさ」の正体はどこにあるのか!と。

2度鑑賞して、私は喜久雄が“だれか”に似ていると感じました。しかしなにだかわからない。連日、「日本の美」「美しい身体」「京都」等々本をめくり映画を観て、気づきました。



奈良・興福寺の、あの永遠の美少年「阿修羅像」に、
そっくりなのです。



阿修羅って怖いと思っていませんか。そうではありません、美しい。奈良でしっかり実物を見学しましたが、喜久雄と阿修羅像の類似はその顔のみならず! 調べると多々ありました。美しさの正体がなにか掴めそうです。

そこで私はレビューのタイトルを、映画『国宝』は“血筋か才能か”の物語であることを前提にしつつ、「歌舞伎界の阿修羅・喜久雄の女形一代記」と名づけました。

ちょっと大げさかもしれませんが、ここからはその理由をお話していきます。

『残菊物語』へのリスペクトから

まず全体の前提となる、映画『国宝』への原作者の思い、監督の狙いを紹介します。

出典:映画『国宝』公式サイト

『国宝』の物語は、喜久雄の父率いる任侠の立花組の新年会において、花井半二郎を前に、喜久雄らが『積恋雪関扉』を演じる場面に始まります。喜久雄は女形の傾城の黒染(小町桜の精)、立方の関兵衛(大伴黒主)は朋輩の徳次が演じます。人を殺し自分の利を得ようと企む悪人・関兵衛に、黒染が色になってくれと迫りつつ、恋人の弟の仇と気づいていくあらすじです。

この女形役は、立ち姿、首の傾け方、花道(廊下)で見せる流し目など、非常に限られた動きが特徴的で、半二郎が喜久雄の女形の才を見抜く象徴的なシーンです。その稀代の才能については、劇中で「うまれついての女形やな」と半二郎にあらためて驚嘆させていましたね。

イメージ(出典:Kabuki on the web

原作者の吉田修一は、この演目『積恋雪関扉』に惹かれて歌舞伎を題材にしたとあるインタビューで語っています。吉田が参考にしたのが、昭和14年(1939年)公開の溝口健二監督のモノクロ映画『残菊物語』。歌舞伎映画という情報のみで鑑賞した私は、同じ『積恋雪関扉』が重要な場面で演じられて驚くとともに、あらすじが『国宝』にそっくりで、2度驚いてしまいました。これが『国宝』のベースだったんですね。

『残菊物語』の主人公は、二世尾上菊之助。演じるのは後に人間国宝となる花柳章太郎です。菊之助は五代目尾上菊五郎の養子ですが、芝居に身が入らず、芸はさえない。ほぼ駆け落ちの状態となって、そこからの復活劇が描かれています。丹波屋の俊ぼんとそっくりです。さらに気づいたのが、菊之助を大役者に押し上げる妻の名が“お”であることです。『国宝』の喜久雄を支える朋輩の名を“次”としたのは、この“お”へのオマージュではないかと推察しました。

さてさてしかし映画『国宝』は、『残菊物語』の「御曹司、復帰、万歳~」というような一筋縄ではありません。理不尽で不器用な生きざまの絡み合いです。

映画監督を務めた李相日は、伝統芸能・歌舞伎をテーマにしたきっかけを、京劇役者を主題にした『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993年)と語っています。『さらば、わが愛』は「中国の体制の変化、愛、芸、暴力」の絡み合いですが、主役のレスリー・チャン演じる、捨て子から京劇女形となった程蝶衣の気品は超一流で、作品全体の品格を高めています。それは『国宝』の吉沢亮にも引き継がれていると感じました。

(C)1993 Tomson Films Co.,Ltd.(Hong Kong)(出典:映画.com

出典:YouTube・東宝MOVIEチャンネル 映画『国宝』本予告

さて、李監督は『フラガール』(2006年)を大ヒットさせましたが、これまでに『悪人』(2010年)、『怒り』 (2016年)などで、悪、差別、異形、立場の弱い人を描き続けています。どうにもならない生い立ちを背負う人間は『さらば、わが愛/覇王別姫』も『国宝』の喜久雄もしかり。悪と善、光と影、聖と俗を避けられない境遇にあって、 “それでも美しくどう生きるのか”という問いを、観客に差し出してくるのです。

「女形」の美しさ、「阿修羅」の美しさ

ではここからは、「喜久雄が美少年・阿修羅像に似て美しい」という仮説に迫ります。
まず映画『国宝』では、美しさについて、女形・小野川万菊が初対面の喜久雄にこう話しかけています。

「ほんと、きれいなお顔だこと
「でも、あれですよ、役者になるんだったら、そのお顔は邪魔も邪魔。いつか、そのお顔に自分が食われちまいますからね

顔がきれいなだけではもちろんダメでしょう。本物の歴代女形は「美しい」についてどう語っているのか、さらに知りたくなりました。

(c)吉田修一/朝日新聞出版 (c)2025映画「国宝」製作委員会(出典:MOVIE WALKER PRESS

そこで昭和から現代に活躍した女形として名が挙がる、坂東玉三郎、七代目尾上梅幸、四代目中村雀右衛門、六代目中村歌右衛門らのなかで、四代目中村雀右衛門が『私事 ~死んだつもりで生きている』(岩波書店)でこのように語っているのを見つけました。

「人間というのは鏡を前にすると、どうしてもそこに映った姿に頼ってしまいます」
「歌舞伎では「心」を「胎(はら)」といいますが、胎を忘れて、うっとりしてしまう。役者が自分の姿に惚れてはおしまいです。そこから先は伸びないからです」

「容姿がきれいなことに、自ら惚れては危うい。そこに真実はない」というのです。


それらを踏まえつつ、では阿修羅の「美しさ」はどうなのかみてみましょう。

教科書などでおなじみの奈良・興福寺の「阿修羅像」は、正式には「乾漆八部衆立像 八軀」の一体で、三面六臂(顔が3つ、腕が6つ)、制作は天平6年(734年)で、国宝に指定されています。「永遠の美少年」と呼ばれてきました。

阿修羅は、元々、古代インド神話の最高神インドラ神(帝釈天)と闘ったことから悪霊鬼神とされています。(下の図絵:左が悪神の阿修羅。帝釈天軍勢と激しい戦闘をする場面)

『六道絵(阿修羅道)』(部分)鎌倉時代・13世紀 滋賀・聖衆来迎寺蔵(出典:滋賀県立琵琶湖文化会館

それゆえ平和を願い大衆に説法を聞かせるお釈迦さまは、争い好きな阿修羅にとって邪魔な存在。しかし阿修羅はその説法になんと聞き入ってしまい、闘う心を失って仏教の守護神になるのです!興福寺の阿修羅像は、まさに仏に帰依し悪や闘いの因果を断ち切ろうとする姿。邪悪さ・無垢さ・憂い・喜びの混在が、より人間的な独自の美しさを生んでいます。

阿修羅像の体は、悪神らしからぬ、しなやかで華奢な肉体。上半身裸で天衣をまとい、ふっくらとした顔に、大きな瞳、涙袋、幼さがありながら凛として整った顔立ちです。

吉沢亮が1年半かけて歌舞伎の女形を体に叩き込んだことで、映像でも、より喜久雄が阿修羅の美に近づいたかもしれません。

ちなみにですが、2018年にAIで仏像の表情を測定する実験が行われたそうで、阿修羅像には悲しみと喜びを認識でき、人間的な顔立ちと判定されています。面白いですね。(奈良大学の調査より

阿修羅像の3つの顔はさらに、成長段階で異なります。それも喜久雄の少年期、思春期、青年期と見事に合致します。

  • ① 歌舞伎界に入る前=少年期(左)。ぷっくらとしあどけなさが残る顔で、下唇を嚙むようなしぐさに反抗心も見え隠れする。
  • ② 丹波屋に入る=思春期(右)。幼さは消えたが、なにかモヤモヤとした心理状況。
  • ③ 半二郎の代役を務める頃=青年期(正面)。顔つきはすっきりし、まなざしは遠い先に向けられ、なにか決意が感じられる。(またちなみにですが、正面は先述のAI測定で、「推定23歳」との結果が出たそうです)

出典:興福寺 阿修羅ファンクラブ

この比較からも、「仏教に出合った阿修羅」と、「任侠の道から歌舞伎に救われた喜久雄」は、同じような境遇ゆえに、無垢さと危うさを併せ持つ、共通する美しさがあるのでしょう。

この他にも実は共通点があって、運命に導かれた強運の持ち主であること。阿修羅像は幾度の火災を逃れて1,300年間生き残った。喜久雄は任侠の切り込み、父の仇討ちでも生き延びて、歌舞伎界を生きています。

映画は「阿修羅」も知らない先を見せてくれる

ただ興福寺の阿修羅像は、“青年期”の姿までしかありません。『国宝』の喜久雄にはその先、阿修羅さえ知らない試練が待っていて、私たち観客は「歌舞伎界の阿修羅・喜久雄」を見守り、見届ける役目を担っている気がしてきました。

さて大人になった喜久雄は、当主の代役として「曽根崎心中」のお初を演じる重大な節目を迎えますが、半二郎の求めに応えられず怒鳴られます。

「好きな男に一緒に死ねるか聞いてんねんで。お前の覚悟が見えへんねん」

さらに無事に襲名したにもかかわらず、当主が亡くなったせいで大部屋役者になり下がり、ついに花井家を出ざるを得ない状況となります。それでも覚悟をきめて食いしばるのですが、血の重みにはあらがえません。すべてが上手くいかない喜久雄の姿は、釈迦のいう「四苦八苦」、「因果を断ち切れない阿修羅」のよう。親しい人との別離による苦しみ、嫌な相手に対峙しなければならない苦しみ、望むものは得られない苦しみ、肉体と精神が思う通りにいかないことによる苦しみが襲います。


それを象徴するシーンが、屋上の場面です。自分自身に「どこみてたんやろ」と苦笑いし涙をしながら無意識に舞う喜久雄は、なんと怪しく“美しい”のでしょう。
無の境地というのでしょうか。女形がしみ込んだ体がいったん空っぽとなったときに、魂が降りてくるみたいです。

そのシーンは映画『ジョーカー』(2019年)のホアキン・フェニックスの狂気と妖美さを思わせます。

社会の闇に落ち、感情を切り刻まれた、主人公アーサーがまとったのは、ピエロのメイクと真っ赤なスーツ。喜久雄の泣き崩れた化粧と真紅の襦袢とシンクロして、私は心が締め付けられました。

聖も悪もあわせ飲んだ体に、魂は降りてくる

ただ喜久雄は、芸を守り続けたことで、万菊が歌舞伎への復活を実現させます。万菊の部屋で、喜久雄が対面する場面。白髪のおじいさんと、やさぐれた青年、決して見た目のきれいなふたりではないですが、女形の美を確かに継承した瞬間であったと思います。

一流の「美しさ」とはなにか。その答えは、悪と善、聖と俗、持てる者と持たざる者、男と女、あらゆるすべてを受け入れた先に、魂が降りてくることなのかもしれません。

万菊は誰なのか

さて、美の女形でありながら劇中多くは語られない万菊とは、結局いったい何者なのでしょう。

実は三島由紀夫の昭和32年(1957年)発表の短編『女方』に、「野川万菊」という女形が描かれています。『国宝』の「野川万菊」とほぼ同じ名前です。

三島が書いた万菊のモデルは、当時心酔していた人気女形・六代目中村歌右衛門という説が有力です。万菊を慕う劇作家役は三島自身を投影したといわれています。今となっては事実を確かめる術はありませんが、六世歌右衛門は先述の歴代の美しい女形に挙がるほど美しかったのでしょう。

歌右衛門の人生も波瀾万丈だったようで、名跡を継ぐはずの兄が急逝、父・五代目歌右衛門も他界し、歌舞伎界の隅に追いやられた時期があったといいます。光と影、聖と俗、これも『国宝』のストーリーと重なりますね。万菊という名は理想の「女形の美」を象徴したのでしょうか。

物語は、その後も、横浜流星演じる俊ぼうの足の切断など苦難は続きます。それを乗り越えての曽根崎心中の共演は、フランス人カメラマンのソフィアン・エル・ファニによる寄りの映像で、観客の心をぐぐっと掴んで放しません。

ソフィアン・エル・ファニは、代表作に第66回カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した『アデル、ブルーは熱い色』(2014年)があります。ハンディカメラで、主人公アデルの感情の噴出を捉えていて、激しすぎてちょっと引いてしまうくらいでした。

出典:映画.com 『アデル、ブルーは熱い色』予告編

型が感情表現の要である歌舞伎では、引いて撮るのが一般的ですが、『国宝』では、都座での初舞台直前や、曽根崎心中の場面などをアップで撮影。表情の寄りが映画にリアルさを与えています。

なぜいま『国宝』なのか

映画『国宝』の製作幹事を務めているのは、ソニーグループ傘下で、『劇場版「鬼滅の刃」』を世界的に大ヒットさせているアニプレックスの子会社「ミリアゴンスタジオ」です。

世界公開を当初から構想していて、スタッフも一流をそろえ、時間をかけ投資をしっかり行ったといいます。吉沢亮や横浜流星らが、1年半もかけて女形の歌舞伎を稽古し本物に見まがうレベルに仕上げたことは、本作品の美しさに一番貢献しているのかもしれません。

紹介しませんでしたが、美術監督は種田陽平で、『キル・ビル Vol.1』(2003年)で見せた感性、役柄の個性を際立たせる色使いはここでも生かされていましたし、そこに先述のカメラマンのソフィアン・エル・ファニが応えたことも幅広い層を魅了していると思います。

世界は今、異形に対して、感情をむき出しにする、危うい時代になりつつあります。

かつて歌舞伎者は、虐げられても、一時の情動や権力に振り回されず、芸を磨き、芸で自由を得て、人々に喜びを与えました。かつて荒々しい悪神だった阿修羅は、釈迦を得て、闘う心をそぎ落とし、人々に美と慈悲を与えています。世界が映画『国宝』を観て、この一流の美を感じられたなら、もう少し尊厳のある寛容な世界になるのではないかと願いたいです。


国宝
主演 吉沢亮
監督 李相日

国宝

国宝(上・下巻)
吉田修一|朝日文庫

#宣伝会議田中泰延クラス 『国宝』week!

本記事は、2025年に宣伝会議で開催したライティング講座【「お金を払ってでも読みたいことを、自分で書けばいい」と思える書く力の教室】の最終課題「映画『国宝』のレビュー記事」を、「街角のクリエイティブ」掲載にあたって編集したものです。「#宣伝会議田中泰延クラス 『国宝』week!」と題して、これから8名の受講生の記事を1日1名ずつ順番に公開していきます。

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    ふだんはライターとして活動しています。日々の気づきを忘れないように記しています。パン/食/ローカル #宣伝会議田中泰延クラス