海外で危険な目に遭った話をエッセイに入れることを、ずっと躊躇ってきた。
目を引きやすいジャンルだし、SNSやNetflixなどでもこの手の話題は人気があるが、あえて僕は書かないことにしていた。
それには明確な理由があって、今は自分の周りに起きた小さな体験が、広く拡散されやすい世の中になったからだ。
ものすごく低い確率で危ない目に遭遇したり、不運と言えるタイミングによって起きてしまった「よくない体験」が、一人の視点と感想によって「あの国はよくない」にまで主語が拡大され、ガサツな情報だけが無機質に広がっていく光景を、うんざりするほど目にしてきた。
旅には「旅をする自由」があり、どんな記憶を持ち帰るのかも自由である。犯罪に巻き込まれそうなことだけを書けば、すべてが不幸に見えるが、その場で未然に防いでくれた人のことも書けば、受けるイメージは変化する。
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以前、ベトナムのホーチミン(Ho Chi Minh)で、私服警官が僕の真隣でいきなり銃をぶっ放し、僕につきまとっていた詐欺かスリの連中を追い払ってくれた。僕は警官に言われるがまま、事情聴取のため警察署までバイクに乗り、署で引き渡されたところまではよかったが、引き継いだ警察官が僕を犯人と間違え、手枷をされるというオチをnoteに書いた。
(出典:Wikipedia)
これも見方を変えれば憤慨ものだし、なんて野蛮な国なんだと言い放つこともできる。しかし、僕にとってそれは面白い経験だったし、上司らしき人に怒られながら平謝りしてきた若い警察官の気まずそうな表情は、今でも忘れられない。
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チリのプエルトモント(Puerto Montt)では、路上にいた物乞いのおじさんにお札を渡した。すると突然そのおじさんは怒りだし、僕はびっくりしてその場から逃げた。
後日、現地の人にそのことを話すと、怒っていた理由が面白かった。
タバコ代になるかならないかの小銭でよかったらしいのだが、僕はお札を渡してしまったことにより、「ちょっとした小銭だけが欲しかった人」は、「生活に困っている人」になってしまい、おじさんのプライドが傷つけられ、彼は怒ったのだそうだ。
いや、知らんがな。
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学生時代、アメリカに住む日本語がまったくできない従兄弟に連れられ、テキサス州・ヒューストン(Houston)までハロウィーンパーティーに出かけた。
当時流行っていた映画『スクリーム』の格好をした僕は、仮装で賑わう人混みと、お面による視界の悪さで、いつの間にか従兄弟とはぐれてしまった。
まだスマホもない頃で、かなり焦った僕は彷徨い、よりによってスラムの方に向かって歩いていた。
人通りが徐々に少なくなり、暗い公園の近くを歩いた。
突然、公園から若い黒人男性が三、四人出てきて、そのうちの一人が「お前、なめてんのか」と言いながら、鋭利なポケットナイフを出してきた。
今よりずっと脚力に自信があった僕は、スクリームのまま、全力で5ブロックくらいを駆け抜けた。

(出典:Walmart)
すると、路上にいた警官は僕が何かの犯人だと思い込み、一緒になって走ってきた。
僕はすぐさま事情を話し、半泣き状態で応対していると、同じように探し回ってくれていた従兄弟が僕を見つけてくれた。
警察と従兄弟に今起きた事情を説明すると、鬼の形相をしていた警官はウソのように優しい表情になった。
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危険な目にあった経験を挙げようと思えばキリがないのだが、年齢とともに、どんなシチュエーションやエリアが危険なのかも感覚で分かってくる。同時に、どんな危機的状況にもわずかな救いがあり、誰かが助けてくれたり、助けたりしてきた。
どんな国にも想像を絶するほど悪いヤツもいれば、呆れるほどいいヤツもいる。
その時々に忘れられない小さな思い出があり、自身にとって怖い経験も、いい経験もしてきた。
たったひとつだけのことで、その国のすべてを決めつけてしまうのは、少し違う気がしている。
田所敦嗣さんの著書
スローシャッター
田所敦嗣|ひろのぶと株式会社
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田所敦嗣
エッセイ
千葉県生まれ。水産系商社に勤務。エッセイスト。著書 『スローシャッター』(ひろのぶと株式会社)で、SNS本大賞「エッセイ部門」受賞(2023年)。フライ(釣り)、写真、野球とソフトボールが趣味。人前で声が通らないのがコンプレックス。






