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2026年3月31日「街角diary」加藤順彦がお届けします。

加藤順彦


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Here comes the dog years again.

1995年の夏、インターネットが日本に上陸し、人生観は一変した。半年費やした知恵の輪がするりと解けた感覚に近かった。

同年1月の阪神淡路大震災で大阪神戸が被災して以来、ずっとモヤモヤしてたからだ。


あの頃の僕は自営の広告会社で成人雑誌の広告を日々売り、利益を出していた。

いっぽうで震災で思い知った己の非力と浅薄ぶりに当惑してもいた。
実家も家業の工場も被災した。周囲もたいへんだった。
かたや、なんの力にもなれなかった。

最大の衝撃は、震災を機に3年半ぶりに実家に帰ったときに知った…弟の昌孝が「兄が継がないのであれば、自分が」と、僕が直前で拒んだ後継の途についていたことだった。

僕が東京に引越し、仲間との起業を選んだことを受け、
彼は90年、工学部から経済学部に転部していた。家業を継ぐために、己の学究の道を閉じていた。そして93年、お取引先の三菱商事に丁稚奉公すべく新卒入社していた。
ーーことを知ったのは、95年2月だった。

ガキだった僕は己が家業を継がないことを選んだら、その先どうなるのかをぜんぜん考えていなかった。
自分のことだけに夢中で、弟の決意と実行に何年も気づかなかった。なんという身勝手か。

入る穴を探すほどに自分を恥じていた頃に、インターネットがアメリカからやってきた。

ひと目見て、河岸をネットに替えることを決めた。世の中は変わる。


*****

直感は当たった。インターネットで世界は凄まじい勢いで変わっていった。

シリコンバレーから伝わってきた、当時の激動の月日を表す言葉がある。 人間の1年が犬の7年に相当するように、ネット業界では1年が7年分の速さで進む――“Dog years”。

ネット革命のただなかで日々格闘していた僕は「おお!うまいこと云うやんか。ほんまそれやわ」と。まさに体感そのものだった。


*****

日本のドッグイヤーは2001年までに終わった。ネットの世帯普及率はわずか6年で60%に到達していた。
物心がつく頃(5歳)にインターネットがあった世代以降を”デジタルネイティブ”と呼ぶ。すなわち1995年生まれ以降のことだ。

30年経って、いま再びドッグイヤーが来ている。
毎日のように、AIによる革新の報せが届いている。
さすがにやばい。耳から脳髄が出そう。
そう、この感覚は30年前とまったく同じである。


あの頃の僕は、インターネットを普及させる商いの広告を扱うことこそが、ゴールドラッシュにおけるリーバイスになることだ、と思っていた。
だからインターネットサービスプロバイダー(ISP)の広告に注力したのだ。

https://katou.jp/?eid=182

歴史は繰り返す。
つまり、この先はAIを普及させる商いが儲かる。んで、このムーブメントはAI普及率60%あたりで終わる。2029年頃だろうな。

次の勝者はデジタルネイティブだろう。そうあってほしい。
世の中はそんな物語を待っている。

 

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  • 加藤順彦 日記


    在シンガポール大阪人。 ひろのぶと株式会社の取締役。関西学院在学中リョーマ参画を経て、92年日広を創業。03年LENSMODE起業。08年日広退任後シンガポール移住→10年永住権取得。14年ビットバンク創業に参画。25年ラジオ大阪の会長。