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ホルヘの自転車【連載】田所敦嗣の出張報告書<第29回>

田所敦嗣


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チリ・プエルトバラス(Puerto Varas)は、頻繁に立ち寄るプエルトモント(Puerto Montt)から北に20kmほど行ったところにある、長閑な街だ。

プエルトモントが下町だとすると、プエルトバラスは山の手になるだろうか。
街のすぐ側にはジャンキーウェ湖(Lago Llanquihue)があり、琵琶湖よりもやや大きい。

アメリカや北欧でも体験するが、山の麓に街並みがない景色の方が、視覚的にスケールが小さく見える。家や人が見えないと比較対象がないので、感覚が狂うのかもしれない。

初めてアラスカで氷河を見たときも、遠くから見える景色はそれほど大きく感じなかったが、近くで見ると、それがとてつもない大きさで構成されていることを知った。

日本にいて良かったことは、ほんの少し車を走らせれば山々を感じることができることだ。国によっては険し過ぎて、近寄ることすら難しい土地もある。

若い頃、ジャンキーウェ湖畔のホテルに泊まった際、チェックイン時にスタッフとの何気ない会話のなかで、美しい湖をランニングで一周してみたいと言ったことがある。彼は驚いた様子で「一周は100キロ近くありますが、本気ですか」と聞き返してきて、恥ずかしい思いをした。

プエルトバラスに長年住むホルヘ(Jorge)とは、もう20年近い付き合いになる。彼はチリにある無数の水産企業との仲介役で、現地の状況をいち早く伝えてくれ、時にはハードなネゴもこなしてくれる、僕らにとってなくてはならない存在だ。

拙著『スローシャッター』の「デルタ航空296便」にもホルヘが出てくるが、その冒頭で触れた話の続きを書こうと思う。

ホルへは昔から日本食が好きで、どんな食材でも好き嫌いなく食べる。年に数回のペースで日本に立ち寄り、週末に時間があれば、僕も日本の観光地によく連れて行った。
彼は日本製のガジェットが好きで、暇さえあれば秋葉原や新宿などに行き、僕も知らないようなマニアックなパーツや道具を揃えていた。

ある日、ホルヘが日本製の自転車をチリに持ち帰りたいと言い出し、休みの日に都内の自転車屋へと向かった。
ホルヘが欲しいブランドは、たしかARAYA製のマウンテンバイクだったと思う。結構な値段のする自転車だった。

今はどうなのかわからないが、当時は老舗の自転車屋というのはなかなかの頑固者で、ホルヘがこの車体をチリまで持ち帰りたいと言うと、明らかに表情が曇った。
彼らには、彼らがベストだと思う細やかなセッティングを施してユーザーに渡したいという信念があったので、海外に持ち運べるよう分解してくれというこちらの依頼は、想像以上に難航した。

ホルへの意志は強く、このマシンでジャンキーウェ湖畔を走りたいという熱意だけは、店員さんにしっかり伝わっていた。

最終的には、マシンに対する補償などは一切適用しなくてもいい、というところまで話を進め、ようやく自転車屋さんは首を縦に振ってくれた。

箱に詰めるための分解から梱包用の箱まで、かなり無茶なお願いをしたが、本当にお世話になった記憶がある。

そうして何とか難関をクリアしたが、問題はそこからだった。

当時の僕の車は中型のステーションワゴンで、そこそこ荷物を積むことはできたが、大きい箱になった自転車を積み込むには、運転席以外のすべての座席を倒す必要があった。
荷台の隙間に身体を曲げて潜りこもうとしたホルヘには諦めてもらい、近くの駅から電車でホテルまで帰らせ、僕は運転席を目いっぱい前に出した状態で彼の自転車を家に持ち帰った。

翌週になり、タイミングよくホルヘが日本を出発する日と、僕の出張が重なり、それも中国の同じ空港に向かうことになった。

僕は成田空港まで相変わらず座席を目いっぱい前にした状態で向かい、駐車場にある大型のカートですら乗り切らない自転車入りの箱を乗せ、チェックインカウンターへ向かった。

これも預け荷物だと伝えると、スタッフはすぐにサイズを測り、「なんとか持っていけますが、運賃はかなり高額になります」と説明した。

ホルへは迷うことなく頷き、自転車はバックヤードへ運び込まれていった。

成田から大連周水子国際空港に到着すると、荷物の受取所と税関でかなりの時間がかかった。
自転車を中国で使うとなれば相応の関税を払うことになるが、彼は中国に立ち寄るだけである。

ホルヘは色んな書類にサインをし、税関から箱に大きく貼られたシールを帰国のときまで剥がすなと言われた。

本来は空港で互いに別れる予定だったが、ホルヘを迎えに来るというエージェントが、待てど暮らせど来ない。ホルヘはその後何度もエージェントに電話をしていた。

少し気の毒になった僕は、こちらのエージェント(小李)に頼み、大連市内までどうにかならないかと相談すると、小李は「何とかしてみます」と言った。

しばらくすると空港に農家が使うトラックが入ってきて、運転手はホルヘと自転車を指さし、荷台に乗れと指示した。

ようやくトラックに“2つ”を乗せ終えると、オンボロのトラックはモクモクと煙を上げながら、荷台から手を振り笑うホルヘを乗せて走り去っていった。

一週間後、ホルヘからのメールが届いた。

中国を出る際も全然スムーズにいかなかったことや、経由地のアメリカでも止められ、チリでも法外な関税を払わされたと書いてあったが、そのたびごとにいろんな国のいろんなオンボロのトラックで運ばせている写真が添付してあり、僕は呆れるより先に吹いた。

それでも写真の最後の1枚、ジャンキーウェ湖畔で嬉しそうに日本製の自転車に乗るホルヘを見て、僕は思わず、その熱量と気合いに笑ってしまった。

それから数年が経過し、再びジャンキーウェ湖を訪れると、湖畔にある小さな自転車屋に、日本の自転車が置いてあった。

ホルヘの自転車を組み上げた店主が、その後いろんな伝手やルートを駆使し、日本から自転車を輸入することになったそうだ。

あの1台が、湖畔の小さな店に日本の自転車を並べるきっかけになったのだとしたら、あの騒動も少しは意味があったのかもしれない。

とてもいい話にも思えるが、もしまたホルヘが日本で自転車を買いたいと言い出したら、今度こそはっきり断ろうと思っている。


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スローシャッター

スローシャッター
田所敦嗣|ひろのぶと株式会社

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    千葉県生まれ。水産系商社に勤務。エッセイスト。著書 『スローシャッター』(ひろのぶと株式会社)で、SNS本大賞「エッセイ部門」受賞(2023年)。フライ(釣り)、写真、野球とソフトボールが趣味。人前で声が通らないのがコンプレックス。