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2026年3月12日「街角diary」上田豪がお届けします。

上田 豪


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3月を思い出す。卒業、震災、そして会社の終わり


この数年、3月になるとついつい思い出すことがある。

高校の卒業式と歌舞伎町の夜。
テレビに映る、信じられない光景。
そして、自分の会社が終わった日。

振り返ってみれば、
自分の人生にとって印象深い出来事は、
なぜか3月に起きたことが多い。

桜が咲き始めるこの季節は、日本では「別れの季節」と言われる。
でも、俺にとっての3月は、それだけではなかった。


*****

卒業式の体育館。

校舎の最上階にある体育館の床はまだ冬の冷たさが残っていた。
綺麗に並んだパイプ椅子。
すでに同級生が着席している中を、俺はひとり遅刻して不貞腐れながら自分の席に座った。

担任に名前を呼ばれた生徒は一人ひとり、大きく返事をして校長の待つ壇上へ上がった。

自分の名前が呼ばれた。

俺は返事もせずに壇上に上がり、その態度の悪さに同級生たちが少しざわついていた。

本当は卒業式に出る気がなかった。
卒業式に出ずそのまま消えたかったのだ。

自らの希望を失って以来、
クソみたいだった高校生活がようやく終わるというのに、
なぜかイラついていた。
それは、この三年という時間を自分の中で消化しきれないままだったからだ。

式が終わり、教室に戻る。

最後のホームルームが終わると、
「じゃあ、あとで歌舞伎町でな」と言いながらみんな帰っていく。


その夜はクラスの卒業コンパだった。
若者ばかりの賑やかな居酒屋が会場だった。
これまで酒なんて飲んだことないんじゃないのか?
と思われるような生徒も含め、男女問わずほとんどの同級生が参加していた。
そして、令和の今では考えられないが、その場にはお忍びで担任も参加した。

みんな大騒ぎしながら飲んでいた。

そんな中、俺はどうせこんな夜も最後だからと、
普段からソリの合わなかった男と飲みながら腹を割って話をしていた。

そのうち、店のトイレの前で他の客たちと小競り合いが起こった。

小競り合いはすぐに数人の乱闘へと発展した。
乱闘の輪が広がりそうなところで、
すぐに店のケツモチと思しき連中が現れた。

この事態をどう収拾するのか。
収拾できなかった場合に、
この状況を見てテーブルで凍りついている同級生たちをどう逃すか。

自問自答の末、ビール瓶を持って立ち上がったとき、
俺を後ろから羽交い締めにする人がいた。

「おまえが行くとさらにややこしくなる」

羽交い締めにしていたのは、担任だった。

今思えば、俺が問題を起こす度にどこかでいつも庇ってくれるような人だった。

担任とテーブルにいた数人の女子にしがみつかれ、
それを振り解くことができず身動きが取れないまま、
仲間たちの乱闘騒ぎを眺めていた。

なぜか、こんな日常がこの先も続いていくような気がした。


*****

2011年3月11日。

数日前から風邪で寝込んでいた俺は自宅にいた。
普段の地震とは違う尋常じゃない大きな揺れに、

横で寝ていた息子を脇に抱え家を飛び出した。

近所の方々も次々と外に出てきた。
コンクリート製の電柱が、折れそうな勢いで揺れていた。

東日本大震災だった。

テレビの画面に映った光景は、
世界貿易センタービルに旅客機が突っ込んだ時以来の衝撃だった。

街が次々と津波に飲み込まれていく。

車が流され、建物が壊れ、大地はかたちを変えた。
自然の力の前には、人間は成す術もない現実を突きつけられた。

昨日まで普通に続いていた生活が一瞬で消えていく。

信じられなかった。
まるで映画を見ているような錯覚を覚えた。
人生は、こんなにも突然変わるものなのか。

出社している社員たちは大丈夫だろうか。
電話が繋がるまでは気が気じゃなかった。
体調不良とはいえこんな日に会社にいられなかったことを
社長として恥じた。

当たり前の日常は、とても脆いものだった。
それでも、時間は容赦なく進んでいく。
人は生活を続けていく。人生は止まらないのだ。

被災地も大変だけれど、自分たちの日常も守らなければならない。
社長として、社員やその家族の生活も守らなければならない。

俺は、この先降りかかるであろう仕事への影響を考えていた。


*****

2023年3月1日。

もうひとつ、決して忘れることのない3月の出来事がある。

自分の会社の歴史にピリオドを打ったことだ。

父が起こした画像処理の専門会社を、
企画デザイン制作の会社へと業態変換するために、
これまで活動していた自分の事務所を畳んで入社した。
2000年のことだ。

業態変換を進めていくために、とにかく夢中で働いた。
アートディレクターとして油が乗ってきた時期と重なっていたこともあり、
クライアントに困ることはほとんどなかった。
ほとんどナショナルクライアントの仕事だった。
この先も頑張ってこの会社を伸ばしていこうと思っていた。

2008年のリーマンショックも乗り切り、2010年。
俺は社長を継いだ。

すぐに、現場と経営、プレーイングマネージャーの大変さを痛感することになった。

制作業務の合間に営業活動に駆け回る日。
外注払い建て替えのために資金繰りに追われる月。
受注している案件数と売り上げ予測を見るのが怖くなる夜。
社員のモチベーションに気を配る日々。

社長というのは、不思議な立場だ。

誰にも弱音を吐けない。
社員の前では平気な顔をしなければならない。
本当は、いつも心のどこかでずっと不安が渦巻いている。
自分を信じる朝より、自分を疑う夜の方が多かった。

コロナ禍が大きな影を落とした。
数年かけて開拓した地方企業のクライアントは、
ひとつも戻ってこなかった。

最後の日が来た。

2023年1月。
予定していた入金がないことを知らされた時、
現状抱えていた案件とその先の資金繰りを踏まえると、
数ヶ月先に行き詰まることがわかった。

会社をいたずらに数ヶ月延命したところで、
路頭に迷うのは社員とその家族だ。

俺は迷わず3月に会社を畳むことを決めた。

顧問税理士から紹介を受けた弁護士の元へ相談に行った。

倒産と自己破産に向けた今後の手続きの説明を受け終え、
弁護士事務所の外に出ると煙草を一服した。
ぼーっと周りを見ると、それでも世界はいつも通りだった。

道路には車が走り、交差点には人が行き交い、
麻布台ヒルズの工事現場は騒々しい音を立てていた。

なのに、自分の世界だけが終わった気がした。
あの帰り道の景色は、今でも覚えている。


*****

卒業。
震災。
会社の倒産。

俺にとっての3月は、「終わり」を感じる月だった。
でも、時間が経って気づいたことがある。

卒業のあとには、まったく新しい生活が始まった。
震災のあとにも、多くの人々は前を向いた。
会社が終わったあとも、俺の人生はまだ続いている。

終わりだと思っていた出来事は、すべて次の始まりだった。

生きていれば、何度も「3月」が来る。
人生は、思ったより短く、長い。
そして、思ったより何度もやり直せるみたいだ。

3月になれば、街に桜が咲き始める。

思えば卒業式の日も、
きっと同じように桜が咲いていた。

同じ3月でも、人生はまったく違う景色を見せてくる。

もう一度言う。
人生には、何度も「3月」がやってくる。

その時は終わりのように見える出来事も、
あとから振り返れば、それはただの通過点かもしれない。

桜が毎年咲くように、人生にもまた次の季節が来る。


この3月、今年もまた、新しい何かが始まるかもしれない。


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YouTube配信「僕たちは」シリーズ第21弾。

「僕たちは 田中と 上田と 前田です」

2026年4月3日(金)20:00より。
お酒を片手にご視聴ください。

配信についての詳細はこちら

見てねー。

 

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  • 上田 豪 広告・デザイン/乗り過ごし/晩酌/クリエイティブ


    1969年東京生まれ フリーランスのアートディレクター/クリエイティブディレクター/ ひろのぶと株式会社 アートディレクター/中学硬式野球チーム代表/Missmystop