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ランディーの店【連載】田所敦嗣の出張報告書<第28回>

田所敦嗣


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仕事帰りの電車を見渡すと、ほとんどの人が下を向いてスマートフォンを見ている。
少し前まではその光景に違和感を唱える人もいたが、今は誰も言わなくなった。

イヤホンで耳を塞いで画面を見つめ過ぎると、周囲で何か危険が起きた時、気づきにくいという一番のデメリットがある。

数千キロ離れた国の流行りは知っているのに、1メートル先のバナナの皮には気づかないなんて、21世紀らしくない。

そのうち、手も使わず同じことができるようになったら、この「下を向く時代」も、古臭く見えるのかもしれない。

学生時代、テキサス(State of Texas)にいた話は、いくつか書いたことがあるが、その頃は日々時間を持て余していた。学校が終わると平日はもれなく暇で、休日になるとその度合いはさらに増した。

滞在していた従兄弟の家でテレビを見たり、日本から持ってきたプレイステーションをしたり、彼が飼っている犬の散歩をしたりした。近場の買い物に出ることが唯一の気分転換だったが、どれも正直少し飽きていた。

来客と言えば、当時中学教師だったデビー(Debbie)が、たまに夕方になると訪れ、従兄弟の母親になるケイコおばさんと世間話をするのが日課だった。

デビーはいつも白黒で髭モジャのヨーキー(ヨークシャーテリア)・チューイ(Chewy)を連れてきて、僕はいつも彼と、広いバックヤードの庭を走り回った。

僕の暇さ加減を見かねたわけではないと信じたいのだが、ある日デビーが1つの提案をした。

「先週、メインストリートの角にあるジェネラルストアのパートが、クロケット(Crockett)の街に引っ越すから辞めちゃったんだって。せっかくだから英語の勉強にもなるし、アツシのこと、ランディーに紹介しておこうか?」

ランディー(Randy)の店は、徒歩5分ほどの交差点の一角にあり、日本の田舎にある小さな商店のような店で、細々とした生活用品を売っていた。

翌週、僕はデビーに連れられてランディーの店を訪れた。

ランディーは表情は薄いが決して無愛想ではなく、よく話す恰幅のいいおじさんだった。

ランディーの提案で、僕は週3日ほど夕方から店の手伝いをすることになった。アメリカの学生ビザで就労することは昔も今も厳しいと思うのだが、そのことをランディーに尋ねると、笑いながら気にするなと言われた。

僕は、レジに立って簡単な会計をするだけだと思っていたのだが、内容はまったく違った。

ランディーからいろいろ書かれたメモを受け取ると、そこには多くの客の名前と時刻が書いてあり、まずは彼らの顔を覚えろと言われた。

16:00 トム(Tom)が来たら、今朝残しておいた朝刊を買いに来るので渡すこと。

16:40 ステファン(Stephen)がジョンソン(Johnson)家の鍵を取りに来るので渡すこと。黄色い鍵はレジの奥に入っているが、鍵の色を間違えないこと。

17:00過ぎに黒いシボレーのピックアップトラックでマシュー(Matthew)が来たら、裏の駐車場に案内し、鍵を預かること。

こんな具合に書かれたメモを見ながら、僕は店のレジの椅子に座っていた。

ランディーのメモ通りの時刻になると、次々にお客が現れ、僕はメモ通りに言われた仕事をこなした。

他人の家の鍵を預かっているのは、ジョンソン家が長い旅行に出るので、留守の間ステファンが管理をしてくれるからだそうだ。

マシューの車は調子が悪そうだったので、ランディーが修理をするのかと訊くと、ランディーはノーと笑い、少し北にある修理工場へ明日持っていくのだそうだ。マシューは明日から出張のため、ランディーが代わりに出してやると言ったらしい。

ランディーが留守の間のメモは毎日違うことが書いてあり、僕は半月ほどで客のほとんどを覚えてしまった。

ランディーと2人で店にいることも多かったが、ランディーはいつも、小さな街に何が起きているのかを本当によく知っていた。

ランディーは夫婦喧嘩の相談を受けたり、学生がお酒を買おうとして怒ったりしていたが、中でも一番よくやっていた仕事は、毎日届くいろいろな雑誌を仕分けることだった。これらは店に並べるのではなく、ほとんどが街の誰かに渡すためのものだった。

いくつかの映画で、街に流浪人が来ると店の主人がすぐに気づくというシーンを見てきたが、あんなのわかるわけがないと思っていた。
けれどランディーの店にいるだけで、その理由がすぐに理解できた。

仕事帰りの電車を見ていたら、急にランディーの店のことを思い出してしまった。
街で、誰が何をしていて、誰がどこへ行くのか。
ランディーはいつも周囲を見ていて、人々に信頼された。

良い街のコミュニティは、AIでも簡単には作れないのかもしれない。


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スローシャッター

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田所敦嗣|ひろのぶと株式会社

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    千葉県生まれ。水産系商社に勤務。エッセイスト。著書 『スローシャッター』(ひろのぶと株式会社)で、SNS本大賞「エッセイ部門」受賞(2023年)。フライ(釣り)、写真、野球とソフトボールが趣味。人前で声が通らないのがコンプレックス。