先日、免許証の手続で警察署に行った。
たまたま50代くらいの男性と入口の階段をあがるタイミングが被って、手に持っていた弁当カバンが男性の足をかすめたので、「すみません」と謝った。
自動ドアを抜けたら涼しいかと思いきや、ぬるかった。それでもこんな酷暑だとありがたい。
業務用の丸い掃除機をころがしながら、掃除当番であろう警察官があちこち駆けていた。
男性を案内した警察官に「一緒にどうぞ」と声をかけられた。
まずはここで待つのか。
男性の隣に座って待った。
「◯◯さん」と男性が呼ばれ、立ち上がって近くの部屋に入っていく。
次は自分かと呼び出しを待っていると、
「奥さんもこちらへ」
さっきの警察官に呼ばれた。
この時代に女性を「奥さん」と呼ぶ人がいるのか……
居酒屋で「お母さん」とか「おかみさん」と呼ぶようなものだろうか。
だいたい、女性が奥さんなら、男性が男性を呼ぶ時はなんというのだろうか? 貴兄とか旦那とでも呼ぶんだろうか? 時代劇みたいだ。
まあいいか。
2人同時に手続きするのかと立ち上がった瞬間、先ほどの男性が「違います!」と声を張り上げた。
あっ、こいつ、やばいやつだ。
なんかやったんだ。
なんで自らここに来たんだ? 出頭か?
さっきこいつの足にカバンをかすめてしまったな。
警察署の前じゃなきゃ完全にやられてたな。
怖すぎる。
まあ、運がいいとも言えるだろうか。
いろいろ考えていたら、
「別々です。」
と、男性が自分との間を手で仕切るような仕草をしたので、やっと気づいた。
夫婦だと思われていた。
「違います! 違います! 私は免許証の手続きで来ました!」
と自分もあわてて顔の前で手を振りまくった。
「じゃあ、あなたこっちです」とさらっと全く別の窓口に案内された。
住所が分かるものはありますか、と免許担当の年配の警察官に聞かれてマイナンバーカードを提示した。
以前、マイナンバーカードの住所を区役所で変更したときに、前の住所と一部重なって印字されてしまったため、「これ分かりにくいねえ。どうしてこんななっちゃったのかなぁ。」とぼやいて、拡大鏡を持ってきてじっくり見ていた。
「じゃ、これお返ししますから。」
5分もかからなかった。
思わず「えっもう終わりですか?」と聞いてしまった。
住所をじっくり見なければ、4分で終わっていたかもしれない。
財布にカードを直していると、「暑いでしょう、これ使って汗拭いて。ね?」と、ピーポー君が印刷された小さなウェットティッシュを渡された。
むむっ。ウェットティッシュで拭くほどボトボト滴るような汗でもないし、アルコール入りのウェットティッシュなんかで顔を拭いたら、カピカピになってしまう。
この人は、ウェットティッシュを渡すことで私になにが言いたいのか。鼻くそでもついているのか。それとも口の周りがコベコベなのか。あるいは自分の触った机を拭けという指示なのか。目が語っているかとチラ見するも、メガネ同士のせいで、瞳の奥が遠い。
「ありがとうございます。」
香典を受け取る人の声が出た。
間違いなく、夏の汗と変な汗でぐちゃぐちゃだった自分への親切心だった。
熱中症になるかもしれないこの酷暑に腹が立ち、滝のような汗をかいて歩いて警察署まで来たことに腹が立ち、デジタル庁に腹が立ち、知らないおじさんと夫婦ごっこをして30分がすぎてしまったことに腹が立ち、思い返せば「奥さん」呼ばわりにも腹が立ち、さらっと違う部署に案内された挙句、本命の手続きがあまりにもあっさり終わったことだけはすばらしいのになんか納得がいかない自分であった。
「暑いので気をつけて。」と最後に言われたもんだから、立ち去る前にウェットティッシュの蓋をめくって1枚出して手を拭いた。
そうだ、さっき一瞬、夫になったあのおじさんはどうなったんだろうか。
加納穂乃香
日常
ひろのぶと株式会社 事務局長。株式会社街クリ 取締役。パンチニードル職人。





