映画自体が記憶喪失。
映画『味園ユニバース』
田中泰延のエンタメ新党。編集部がつけたダサいタイトルのままで連載第4回を迎えました。よく、「記念すべき第1回」などと言いますが、いちいち記念しなくても、初めてのことを忘れる人がいるのでしょうか。記念すべきはこういう中途半端な4回目とか、忘れてしまいそうな13回目あたりではないでしょうか。
さて、ふだん広告代理店でコピーライター/テレビCMのプランナーをしている僕が、映画や音楽、本などのエンタテイメントを紹介していくというこの連載、「エンタメ新党」というダサいタイトルをなぜ受け入れたのかと考えて、自分がダサいからだという結論に達しました。自らを省みることができる人間は強いですね。あと、言い忘れてましたが、私は大阪に住んでいます。だれにも訊かれませんでしたけど言っておきます。
あいかわらずネタバレもなにも、ぜんぶ解説するという姿勢は変わりません。しかし、なぜ人は映画の筋を全部言うと怒るのでしょうか。「フォアグラをソテーしてあって、トリュフが散らしてあって、最後にフランボワーズのソースで仕上げてあった」と伝えたところで「もう食べた気になったじゃないか!」と怒る人は誰もいません。食べ物ならよいが、映画ではよくない、日本国憲法を読み返してみましたが、そんなことはどこにも書いていないので、基本的ネタバレ権は保障されていると私は考えています。とはいえ、この映画紹介は、どっちかというと観てから読んでくださった方が話のタネになる、そんな内容です。
連載4回目にして、はじめて邦画を鑑賞しました。邦画という言葉、前から気になっていたので言わなくていいようなものですが今日こそは言わせてもらう。日本と外国のことを「和洋」とは呼ぶが、国を意味する「邦」はあんまり使わないだろう。普通の感覚で言うと「和画」だろう。だいたい、西洋の作品だろうが、日本の映画だろうが、料金も同じなら、スクリーンも同じです。分けて考えることにこそ、問題があるのです。何の問題かはわからないのですが、こう書いておくとなにかの問題に取り組んでいるようにみえてかっこいいのです。
そんな深い思索の末、今回観たのは、『味園ユニバース』。
映画『味園ユニバース』予告篇
いざ映画館へ行ってみると、平日の昼間からすごい人出でした。お昼の回は、まさかの売り切れ。

なので夜9時半のレイトショーに行くことになったのですが、やはりお客さんはかなりの入り。
先週観た『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』が僕一人で映画館貸し切りだったのと対照的です。なぜこんなにお客さんが詰めかけているのかと思ったら、ジャニーズの人が主演でした。関ジャニ∞の渋谷すばる。
中高生が春休みなのもあってか、また映画がここ大阪を舞台にしているからか、とにかく盛り上がっていました。
この映画、製作が藤島ジュリーK.さん、制作プロダクションもジェイ・ストーム。つまり、ジャニーズによるジャニーズファンのための映画であるという側面もあるわけです。
さあ、広告代理店勤務の人間にとっては大変むずかしい、進退にかかわる問題に直面しました。僕は「かならず自腹で払い、いいたいことを言う」をこの連載のルールにしていますが、相手がジャニーズだとどうなるのか? いいたいことは言えるのか? 我々、日本の広告宣伝やテレビ業界に関わるものは、ジャニーズに大変お世話になっています。そうなると、
「関ジャニ∞の渋谷すばるの演技だが、はっきり言って×××××××××、××××××××××だから、×××××××××××××、要するに×××××! つまり××××××××××××なんですよ!」みたいな伏せ字だらけの記事に堕落する恐れがあります。
そもそも、「関ジャニ∞」の「∞」の文字をご覧ください。これは「インフィニティ(無限大)」という意味の文字ですよね? でもみなさん当然のように「エイト」と読みますよね? そうです。すでに横のモノを縦に読まされているのです。横のモノを縦にもできる、それがジャニーズの力なのです。
そのように震えながら鑑賞を開始した僕ですが、ここは結論からいいます。もう一度予告篇の冒頭を観てください。
渋谷すばるがいきなり歌う和田アキ子『古い日記』。
♪ あの頃は〜!!
僕、ガツンときました。もう全然、ここでOKです。凄まじい歌唱力、役者としての佇まい、目つき、そして大阪出身である彼の大阪弁の自然な響き、一気に引き込まれました。
映画は、渋谷すばる演じる茂雄が、刑務所を出所するところから始まります。出迎える仲間たち。茂雄はヤクザまがいの半グレのグループに所属していて、なんらかの事件を起こして服役したことが提示されます。シャバに出て最初に、雑貨屋でなにかを買い求める茂雄。しかし、その直後おそらくさきほどの仲間によって暴行を受け、バットで頭を殴られて記憶を失います。通りがかった廃品回収業の男に着ていた服も奪われ、たどり着いたのが大阪のバンド「赤犬」のライブイベント会場。予告篇冒頭のシーンです。そこで彼の歌声に魅せられた女の子、カスミに拾われ、居候を始めます。カスミは赤犬のマネージャーであり、大阪の片隅で貸しスタジオを切り盛りしています。カスミは自分の名前も思い出せない男を、かつて家出した犬の名前にちなんで「ポチ男」と名付けます。
カスミ役には、二階堂ふみ。

沖縄出身の女優さんですが、彼女の大阪弁もとても自然で、大阪生まれ育ちの僕としても、すんなり物語の世界に入っていけました。
ただし、この二階堂ふみさん、いつも思うのですが、宮﨑あおいに顔が似すぎていないか。いままで何度混同したかわかりません。芸能界に宮﨑あおい目/宮﨑あおい科/宮﨑あおい属という分類があるとしたら、二階堂ふみがその象限に生息しているのは明白です。最近はそこに、ぱるること島崎遥香も参入してきて、宮﨑あおい業界は混迷を極めています。そう思う人は少なくないようで、ネットを見ていたらこんなややこしい比較表すら拾いました。

もはやなんらかの遺伝子操作を受けているとしか思えません。この3人の写真を混ぜて、「3人の血液型を答えろ」と言われたら、僕は当てる自信がありません。
で、記憶喪失のまま、カスミとカスミの祖父(おじい)しかいない自宅兼貸しスタジオで住み込みで働き始めるポチ男なんですね。カスミの父親は交通事故で亡くなっているんです。居候になったポチ男がとにかく、いじらしい。記憶がないから、従順によく働くんですよ。その姿がめちゃくちゃ可愛い。出所したときのワルな感じとも、突然マイクを握って和田アキ子を熱唱したときの凄みとも違う、穏やかな日々。観客はここで、この男の奥底にある無垢な光に、ぐっと惚れてしまうようにできている。カスミの口癖は「しょうもな」これは大阪の母親がよく子供にいう言葉です。カスミは無垢なポチ男を母性の目で見ているんですね。カスミとポチ男の関係は、母と息子のそれです。そして、台詞と台詞のあいだに贅沢すぎるくらいに「間」がある。この「間」がとても静謐な時間を作っています。
監督は、『リンダ リンダ リンダ』や『苦役列車』の山下敦弘。音楽映画である前者と、行き場のない若者のぎこちない日々を描いた後者、この『味園ユニバース』はそんな山下監督のキャリアの上にあって当然の流れですね。『苦役列車』で、あの元AKB48前田敦子に女優として確かな演技をさせた手腕は相当なものだと思います。僕、この監督の『松ヶ根乱射事件』ていう映画がすごい好きなんですよ。頭が悪くて、ろくでもない人間しか出てこない。『松ヶ根乱射事件』の冒頭で、白い車をぶつけて凹んでしまったところに雪の固まりをくっつけて直そうとするカットひとつで、この監督は天才だ、と確信しました。山下監督はダメな人間をダメなままちゃんと撮れる人です。
カスミは、父が死んだ日から時間が止まっていて、過去しかありません。対するポチ男は、記憶がないので、未来しかありません。カスミは、スタジオ、マキちゃん、おじい、赤犬、4つだけでできた自分の世界を指を折って数えます。マキちゃんは、カスミのたった一人の相談相手です。大阪出身の鈴木紗理奈が、最高の雰囲気で脇を固めてます。こんなにいい女優になってたか。

物語は、ポチ男が「赤犬」のボーカリストとして迎えられ、新曲『ココロオドレバ』を作り、ライブでまた和田アキ子を歌うところで起承転結の「転」へ向かいます。誰かが歌う『古い日記』の声がポチ男の脳裏に突然甦り、記憶も徐々に戻っていきます。そもそもなぜこんなにポチ男は歌が上手いのか。なぜ服役していたのか。あの廃品回収業者を見つけて上着を奪い返し、そこに書かれていた工場の名前を手がかりに工場長に会いにいくカスミ。ポチ男こと茂雄の過去はわりとあっさり明らかになります。
茂雄は、正真正銘のクズでした。父親が死に、幼い息子を置き去りにして実家の豆腐屋を継がずに逃げ、傷害事件を起こしていたのです。茂雄が出所して雑貨屋で買った物は、息子への誕生祝いでした。しかし姉夫婦に引き取られていた息子は、父は死んだと教えられていました。絶望する茂雄。
茂雄の記憶にあった和田アキ子の『古い日記』は、死んだ茂雄の父が歌い、カセットテープに吹き込み、繰り返し聴いたものでした。歌は、クズな茂雄の人生の中で、たったひとつの喜び、希望だったのかもしれません。再び父の歌声をカセットで聴く茂雄。しかしその歌を捨てて悪に走った凶暴な過去が彼をまたクズの道へと引き戻します。訪ねてきた元の仲間を殴り、半殺しにする茂雄。さっきまでの無垢な顔つきから、暴力的な姿をあらわにする渋谷すばるの演技は見事です。
とうとうカスミの家を出ていってしまう茂雄。カスミは指折り4本数えた自分の世界の「5本目」にポチ男の存在を加えようとしますが、茂雄を止められません。
ポチ男が歌うはずだった赤犬の「ユニバース」でのコンサート当日、茂雄は元の仲間に呼び出されて囲まれます。なにか秘密を知られているからでしょうか、こんどこそ茂雄を殺そうとします。
映画のタイトルにもなっている「ユニバース」は、昭和30年に大阪千日前にできた、東洋一といわれた巨大キャバレーです。「味園」という総合レジャー施設の中にありました。

現在では、キャバレーは廃業しましたが、その巨大なスペースを活かして、当時の内装そのままにコンサートホール、イベントスペースとして大阪のサブカルの発信基地となっています。昭和のセンスでユニバース、つまり宇宙をイメージした内装がすごいんですよ。

赤犬のコンサートが始まります。ポチ男の来ない「ユニバース」で待つカスミ。そのとき、まさに殺されようとしている茂雄…。
はい。長々とストーリーを書きましたが、昔と変わらない煤けた大阪市内の風景の中に歌声が鳴り響き、寄る辺のない男女が無垢な魂を交差させ、抑制の利いた繊細な描写のなかで少しだけ心を寄せ合うが、消せない過去と暴力に悲劇的な結末を迎える物語…なかなかいい映画です。茂雄がここで死んでればね!!
ここからこの映画は驚愕の展開を迎えます。
上映が終わって、つめかけた女の子達は映画館を出るとき若干モヤモヤした顔で、口々にこう言っていました。
「ええ映画やったけど、最後ワケわからんかったなぁ」
「最後ワケわからんかったなぁ、ええ映画やったけど」
彼女達は倒置法を練習しているのでしょうか。違います。それとも女子高生だから理解力が足りないのでしょうか。違います。45歳天秤座A型の僕にもワケわからなかったのです。きょうは、そのワケわからない部分について、いくつかの仮説を提示しようと思います。
仮説を立ててそれが正しいかどうかを検証する態度を科学といいます。「よい科学者とそうでない科学者との違いは、最初に立てる仮説の違いである」これは、ノーベル賞を受賞した利根川博士の言葉です。ちなみに僕は「利根川博士」というのは利根川のことにやたらと詳しいおじさんのアダ名だと思っていました。各地に多摩川博士とか、神田川博士とかいろんなおじさんがいるんだろうと思いましたが、違いました。これが最初に立てる仮説が間違っていた例です。
では、科学的に見て、この映画のなにがおかしいのか。現在わかっている情報を整理してみましょう。
さきほど、「ユニバース」で待っているカスミ、どこかの場所で殺されようとしている茂雄、と書きましたが、なんとこのカットの直後、カスミが突然現れてバットで茂雄の頭を強打するのです。
そしてその直後のシーンでは、茂雄とカスミが「ユニバース」の楽屋にいます。半グレの集団はどこへ行ったのでしょう? 何の説明もありません。茂雄は赤犬のステージに立つことを決心し、「ココロオドレバ」を楽しげに歌ってエンドロール、なのです。
ええええ!? なにそれ? ありえへん。
なにか映画館に手違いがあって、上映すべきフィルムを10分ぐらい飛ばしている可能性も捨てきれませんが、以下、科学的な考察で仮説を提示します。
仮説① ほんとうはこの間の経緯を撮影したフィルムがあったが、焼失、盗難、電車の網棚への置き忘れなどにより、やむを得ずそこは割愛して編集した
仮説② 茂雄は死んだという悲しいラストを撮影したが、関ジャニ∞の渋谷すばるが死んで終わるというのはジャニーズとかジャニーズとか、そういう大人の事情からするとよろしくないので無理やり変更した
仮説③ 茂雄は、現実ではチンピラ達に襲われて殺されるのであって、カスミが現れたのも、そのあとの「ユニバース」での歌唱も、すべて死ぬ間際に見た幻想で、それを映像化して物語が終わっている
科学的に考えて、この3つしかありません。
仮説①の、せっかく撮影したフィルムの紛失盗難という可能性。しかし、これはこれでアリかもしれません。記憶喪失がテーマの映画、その映画そのものが大切な記録を失い、映画自体が記憶喪失になっていて、観客は記憶喪失の体験をなぞることができる…なかなかシャレてないか…ないわ! もう一回撮影しろ! なので、この可能性は極めて低いことが検証されました。
仮説②の、やんごとなき事情でラストが変更された可能性。こういうの、じつはハリウッド映画ではわりと日常茶飯事ですね。あの『スター・ウォーズ』のハン・ソロも、『ランボー』の主人公ランボーも、脚本では死ぬ予定だったのです。しかしハン・ソロはフィギュアの売り上げがよかったため、またランボーはシリーズ化したいシルベスター・スタローンが次の企画を考えたため、殺すのはやめにしました。今後、ポチ男のフィギュアが売り出されたり、『味園ユニバース3 怒りのアフガン』などが続々公開されるという話がない限り、これもありえません。
科学とは厳密なものです。ここまでの検証により、もはや可能性は
仮説③にしか残っていません。サイエンスの力を感じる瞬間です。
夢オチです。しかも夢オチなのに、目が覚めてオチる前で映画が終わっている可能性ですね。だって主人公死んでるんだもん、夢から覚めようがない。観終わった女子高生の、モヤモヤの正体はこれです。
さらにいうと、これはライムスター宇多丸さんもラジオ番組で指摘していましたが、「カスミが現れて頭をバットで殴られてから先が、夢」どころか、「最初に出所して仲間にバットで頭を殴られてからが、全部、夢」である可能性も捨てきれません。
なるほどなぁ、最初から夢かもな、その意見はアリだな…と思って、家に戻ってこの映画のスタッフリストなどを見ていると、衝撃の事実を見つけ、あっ! と声を上げました。おれは小林製薬かと思いました。
観ているときは、まったく気がつきませんでしたが、なんと、この映画の重要な場面の重要な役を、たったひとりの人が演じていたのです。
康すおん、この俳優さんです。

1人4役です。
1. 出所した茂雄が息子への誕生祝いを買う雑貨屋の店主
2. 茂雄から服を奪う廃品回収業者
3. 茂雄が勤めていた工場長
4. あのテープの歌声! 茂雄の父親そのもの
予算がなくてこうなったのでしょうか。それともヒマな役者さんなので便利使いしたのでしょうか。科学的に考えて違います。山下敦弘監督がわざわざこんな手の込んだことをしたのです。
まさかと思うでしょうが、この映画は、『インターステラー』に似ているのです。『インターステラー』は、宇宙探索に行った父と死に別れたと思っていた娘の前に、宇宙の果てから時空を超えて、姿を変えて、何度でも父親がコンタクトしてくる話です。
こう書いているだけでちょっと涙が出てくるような素敵な話なんですけど、この映画のタイトルを思い出してください。『味園ユニバース』! 僕、不思議に思っていたんですよ。かつての東洋一のキャバレー、すごい建物をクライマックスの舞台にしている割には、あんまりその建物やステージのことは話題にしないなぁ、と。でも、建物自体はどうでもいいんですよ。あれは、その名の通り、「宇宙」なんですね。
その「ユニバース」を結界にして、死ぬ間際なのか、なんなのか、
孤独な魂が両親に出会う物語だったと、解釈できるんじゃないかと。
茂雄は、何度でも姿を変えた父に出会います。出所したらすぐに、(お前の子供に会いにいってやれ)と、これは雑貨店の店主。(お前の身元の手がかりを奪うから、母親がわりの女にもう一度会い、可愛がられ、子供の頃の幸せな時間を取り戻せ)と、廃品回収のおじさん。(息子よ、反省しろよ。お前は社会人として最低だったぞ)と叱る、これは工場長。そしてそしてカセットテープの中から時空を超えて、歌声をもう一度聴かせる父親そのもの。
おいおい、ただの解釈のひとつだよ! でも、ものすごく泣けてきたんで、これは科学的な態度です。
カスミはなぜ現れたか? 母親だからです。子がグレようが、家出しようが、最後まであきらめず頭をしばきに来る、それが“オカン”です。だからこそ、この映画はカスミのあの一言で閉じられなければならないのです。
こう観ると、エンドロールで流れる、渋谷すばるが歌う主題歌、『記憶』でもう涙ボロボロです。
なんか、もう一回観たくなってきました。こういう経験は珍しいです。
科学的とはいえ、あくまでひとつの解釈ですが、誰かが真剣に創ったものはすばらしい、それを解説するとか評論するとかどうでもいい、おこがましい、ボロボロ泣いていればいい。僕は今、ほんとうにそう思っています。
