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ヒマジン オール ザ ピーポー【連載】ひろのぶ雑記〈第二十回〉

田中泰延


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この『ひろのぶ雑記』も今回で連載20回である。よく続くものだ。


この連載は、映画評を書く合間に、「埋め草」的に書こうという意図で始まった。


映画評を毎週書くのは、観る時間もないし、書くのも間に合わないし、ほっておくと5ヶ月もサボってしまう。私はふまじめでちゃんとしていない人間なので、西島編集長が何か書かせないとまずいと判断したのである。


だが、『雑記』というだけあって、雑なことを雑に書くというビジネスモデルを採用しているはずなのに、どうしてもちゃんと書いてしまう。


私がまじめでちゃんとしている人間である証拠であろう。しかしこれでは困る。もっとヒマな私がいい加減なことをヒマに任せていい加減に書き、ヒマな人たちにいい加減に読んでもらう事業計画だったはずだ。


なので、近頃はまずタイトルをいい加減にしようと心がけている。今後のタイトルのラインナップも考えた。


宅配は猫である

はるばる来たぜ箱だけ

お義理よ今夜もありがとう


これはひどい。内容ともまるで関係ない。ボキャブラ天国で聞いたことあるようなやつだ。いい加減なタイトルを考えて掲げれば、おのずと中身もいい加減になるだろうという狙いである。

また、記事には「ディスクリプション」というものがついている。

 ディスクリプションとはSEO対策の際に使われるタグであり、検索エンジンの検索結果画面に表示させる文章をHTML文書のヘッダー部分に記述するメタ情報の一つです。ページの内容を要約した「説明文(ディスクリプション)」を検索エンジンに伝える意味があります。
HTML内ではと記述され、説明文は70文字~120文字程度で簡潔にまとめるのが好ましいと言われています。ディスクリプションを工夫することにより検索エンジンからのクリック率を改善することができ、リスティング広告最適化には重要な要素となります。
PROTO Solution「WEB用語集」より引用

なにを書いてあるのか一行も理解できないが、「説明文」のことだと信じる。書いた内容を要約して設置しておけば、みんなにわかりやすいだろう、検索しやすいだろうという配慮らしい。

ここ何回かのディスクリプションを紹介しておこう。

(ひろのぶ雑記 第14回「終わる事などあるのでしょうか」ディスクリプション)

電通を退職し、青年失業家を名乗る田中泰延が無職の日々を綴る。女の人の写真を撮ることと、千円ぐらいの中古レンズを買い漁ることが人生の半分ぐらいを占めている田中だが千円ぐらいの中古レンズでは女の人は撮影せずけっこう高いレンズを使うのであって千円ぐらいの中古レンズはもっぱらおっさんを撮るときに写ればいいやという姿勢で文字数

(ひろのぶ雑記 第16回「地下室のメロディー」ディスクリプション)

電通を退職し、青年失業家を名乗る田中泰延が無職の日々を綴る。今回は雑なことをどこまで雑に書けるかに挑戦するために誰も聞きたくない自分が乗った車のうんちくを語るが五十肩もちょい悪になってきてもう尿酸値も前立腺検査も文字数

(ひろのぶ雑記 第17回「モノより重いで」ディスクリプション)

電通を退職し、青年失業家を名乗る田中泰延が無職の日々を綴る。この1年、お客さんの前で喋る機会をたくさんいただいて、非常にありがたいんですけど写真撮られてSNSにアップされるたびにでぶとかおっさんとかだいたいだれなんだよおまえ文字数


…これはひどい。ひどすぎる。「文字数」とか言って打ち切っておきながら、ディスクリプションにふさわしいとされる120文字すらとっくに超えている。


そもそも私はコラムを書いてから要約を書くということをしていない。まず、デタラメなタイトルを決め、次に本文と関係ない嘘っぱちの要約を書き、さらにどうでもいい前置きを延々書いてからやっと内容らしきものをすこし書くのである。


この文章作法はどんな本にも載っていない独自の方法だ。真似してもなにもいいことがないと思う。


さて、今回のディスクリプションだが

(ひろのぶ雑記 第20回「ヒマジン オール ザ ピーポー」ディスクリプション)

電通を退職し、青年失業家を名乗る田中泰延が無職の日々を綴る。関西の人はインターネットを見ない。見ないことこの上ない。これはほんとうなのだ。見ないったら見ない。関ヶ原で西軍が負けた影響なのだろうか。それとも滋賀県あたりで巨大な人がインターネットの線を踏んでいるからだろうか。きょうはそのあたりに迫りたい。滋賀県のどのあたりに迫ればいいのか。


ということらしい。自分で書いておいてなんだが、いま大変に困っている。私はいったい何を書けばいいのか。滋賀県の話などしたくない。


「関西人はインターネットを見ない」というのは、つねづね私が展開している持論だ。関西在住の私だが、たまに東京へ行ったりすると「田中さんじゃないですか? お金返してください」「サインしてください。連帯保証人が必要なんです」などといった声がかけられる。


しかし、大阪ではどうか。私が映画評を書いていることも、こうしてコラムを書いていることも、誰も知らない。いや、嘘のような本当の話だが、ツイッターすら見ていない。大阪で広告業界のパーティや広告賞の授賞式などに顔を出して、「電通を辞めて何をやっているのですか?」と訊かれることが多すぎる。「コラムは毎週書いていて、ツイッターには毎日書いていますよ」と答えても誰も読んでいない。


いや、私に興味がないのはそれでいい。だったら訊いてくるなとも思うがそこは社交辞令だ。それだけではなく、関西ではインターネット上の有名人というのも極端に知名度が低いような気がする。道を歩いている大阪人100人をつかまえて、「ネットで活動する有名な人を知っていますか?」と尋ねた場合、東京や他の都市よりはっきりと認知度が低いのではないだろうか。アンケート対象の東京人を20代、大阪人を80歳以上に設定すればもっと有意な差が認められると思う。


ネット上で活動したり集客したりしている人の多くから「関西ではセミナーをしても人が集まらない」「大阪でイベントをしてもネットでの告知に反応が薄い」という声もよく聞く。


これはどういうことなのだろうか。大阪にはインターネットの線が来てないのであろうか。電波が妨害されているのだろうか。滋賀県に何かあるのだろうか。


ひとつには、関西人全般にいえることだが、「リアルでの喋りを大切にする」というのがあるのではないか。大阪人同士がしゃべっているのを「漫才みたいだね」と形容するのは慣用句みたいなものだが、大阪人には特に顕著で、身近な人と直接顔を合わせて会話することに生活の重きを置いているような気がする。


リアルに人と会うのはいいことだし、関西の地域性も関係しているとは思うが、いまのところ「田中さん、あなたのネット上での活動を拝見しまして、ぜひ仕事をおねがいしたい。お金を少しあげます」「あなたのインタビュー記事を雑誌に載せたいので取材させてください。お金を少しあげます」などという依頼は、120パーセント東京からである。前述のような依頼は、かならず「つきましては来週に六本木でお会いできませんか」「今週中に渋谷にお越し願えましたら幸いです」などと続く。


うーん、20数年ぶりに東京に住もうかな、などと考え始めている。


でも、そうすると、「ネットで何か書いている田中などまるで知らない、そんなことどうでもいい大阪の仲間」とのリアルな会話が減ってしまうので、それも困りものや、と思うでしかし正味の話。


 

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  • 田中泰延 映画/本/クリエイティブ

    1969年大阪生まれ 広告代理店元店員 コピーライター/CMプランナー ひろのぶ党党首 ひろのぶと株式会社