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はじまりのはじまり【連載】ひろのぶ雑記〈第一回〉

田中泰延


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2月である。

1年のうちでも、ことさらに1月、2月、3月が過ぎるのは早いとされている。

1月はいぬ(去ぬ)、2月はにげる、3月はさる(去る)、というぐらいで1月は犬、3月は猿という動物にその逃げ足を語呂合わせされているのだが、2月は…動物ちゃうやろ。お前、なんとかならんかったんか。

その2月に新連載が始まってしまった。
しかも毎週水曜日に掲載されるという。

毎週、何かのコラムを書いて人様に読んでもらうがよかろう、とこの「街角のクリエイティブ」の西島編集長から場所が与えられた。西島さんからメールが届いた。

こんにちは。西島です。連載のタイトル名ですが

A.【連載】ひろのぶ雑記

B.【連載】黄身の名は。

C.【連載】水曜劇場 田中泰延

D.【連載】ブレザーと機関砲 
 (※セーラー服と機関銃のパロディ、理由はなし)

などはいかがでしょうか? 

 
さすがである。ガーサスである。電通のコピーライターで、その後独立してクリエイティブ会社を10年も経営している人は違う。西島さんの会社の案内にはこう書いてある。「アイデアの発見からプランニング、クリエイション、デザインまでワンストップで行うクリエイティブブティックです」

どう考えてもA案の「ひろのぶ雑記」しか選択肢がない提示をして私に選ばせるその手腕はさすがである。ガーサスである。選択肢が一つしかない状態、こういうのをワンストップというのだろう。

かくしてタイトルは「ひろのぶ雑記」に決まった。決まった以上は書いてみよう。

 

おれ、ひろのぶ! あざーっす! 何書いていいかわかんねーけど、おれ、ゴミの分別はあんまりしないんだよな。

 

・・・これは雑すぎる。名は体を表すというが、「雑記」なら雑に書いていいのかというと、大きな間違いである。そもそも、可燃物と金属の見分けがつかない雑さではいろいろ支障がある。

なので、結果的には雑になるかもしれないが、自分の身に起こったことと考えたこと、それを丁寧に綴っていこうと思う。



会社を、辞めた。

2016年12月31日。わたしは、23年9ヶ月勤務した株式会社 電通を退職した。

大失敗だった。SMAP解散の当日であること、そして夜になると紅白歌合戦、続く「ゆく年くる年」、鳴り響く除夜の鐘などに隠れてほとんど話題にならなかったからである。

あまりにも誰にも知られない、知られざる辞職であったし、「しられ猿」という誰にも知られずひっそり暮らす猿のことを考えると可哀想で涙がこぼれた。ほかにも「しる蚊」「し蘭」など興味関心を持たれなさそうな動植物のことを思って泣きながら眠った。

目覚めるとそこは2017年の元旦だった。

布団から出た。無職である。47歳、無職。深夜0時に無職になってはや11時間。11時まで寝ていたことがわかってしまう記述だが、無職になって11時間、意外や意外、まだ私は食い詰めていない。しかも米どころか餅だってある。かなり高カロリーだ。会社を辞めても食えるではないか。そう思った。というかかなり太った正月だった。

だが、あれから1ヶ月。

大きな声では言えないが、私は声を大にして言いたい。

会社は辞めてはいけない。

辞めると会社員ではなくなるのだ。この『街角のクリエイティブ』のライター紹介欄にも「広告代理店店員」と書いてあるが、もう店員ではないのだ。消してもらわなければならない。

フリー。自由業。そういうと聞こえはいいが、幼稚園、小学校、高校、大学、会社、いままで一度も自分はどこかに所属しなかったことはない。もはや日本国民で地方自治体の住民という、「税金を納める自分」ぐらいしか自分が残っていない。

加えて、離職後の手続きは想像を絶するほど多岐にわたり、今後自分の責任において支払っていかなくてはならないお金もびっくりするほど巨額だった。

会社に任せっきりで月給から天引きされていた所得税、住民税。また、国民健康保険への加入。

年金など、今までは厚生年金掛金として会社が金額を肩代わりしてくれる「国民2号」という立場だったのだが、これからは「国民1号」というなんだか南極で空気を入れられそうな立場に変わってしまった。

そして雇用保険受給者という身分になるので職業安定所、いわゆる「ハローワーク」に足繁く通わなくてはならない。ここで目にする「失業者」たちの人間模様も、自分もその一員にならなければリアルには感じられないことばかりだった。

この1ヶ月、あらゆる手続きと支払いで、自分が丸裸にされたような気がして、何度「やめるのをやめたい」と叫んだことか。


退職して、いろんな人に会って、かならず訊かれることは2つしかない。「なぜ辞めたのか?」「なにかしたいことがあるのか?」だ。なんで辞めたのか? について私にははっきりした答えがない。

会社は、何も知らない、何もできない大学生だった私を信用し、技能を授け、仕事を与え、尊敬すべき方々に会わせてくれた。そのなかで全力を尽くすことが私の毎日だった。全力ですという評価は自己申告であり、会社からはどう見えていたかわからない。ただ、その中で足掛け24年過ごせたということは、私はそこに人生の意味を見つけていたはずなのだ。

私の勤めていた電通に関して、昨年来いろいろな悲しいニュース、悼むべき事実、改善していかなくてはならない話が山のように報道されたが、それと私の辞職もまるで関係ない。私には私の職務があり、サービスを提供すべきお客様がいて、ともに働く仲間がいた。

それをなぜ辞めようと思ったのか。これはもう、とち狂ったというか、悪夢のような気もしてくる。

加えて、これからどうしようという考えもない。本当に自分がわけがわからない。ただ、なにかの予感があるとしかいいようがない。いったん何かを捨てることは、終わりであり、はじまりのはじまりなんだろう、という気が、気だけがしている。

ここまでの私の人生の意味は、会社の一員として働くことだった。ひとは、自分の人生に自分で意味を見つけられるほどには、なかなか強くなれない。私は、すこしだけ強くなろう、と思ったのだ。少し強くなるために壊れたボートで一人漕いで行く、とカラオケで歌って9.6キロカロリー消費して歌ったぐらいじゃ痩せないことを知ったのだ。

 

そんなこんなで、ここでは毎週水曜に、いったん人が何もかも捨ててしまってから何を拾うのかを、失業日記みたいですが、書いていこうと思います。雑記ですから、それ以外のことも雑に書いていきます。

みなさん、無職の私をよろしくお願いいたします。

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  • 田中泰延 映画/本/クリエイティブ

    1969年大阪生まれ 広告代理店元店員 コピーライター/CMプランナー ひろのぶ党党首 ひろのぶと株式会社