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体操服【連載】田所敦嗣の出張報告書<第19回>

田所敦嗣


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恥ずかしながら、今年も忙しかったこと以外、ほとんど記憶がない。なんでこんなに忙しいのだろうと思いながら、先ほどまで忙しかったことも別の忙しさに上書きされ、時間だけが溶けていき、気づけば12月になっていた。

今年も仕事では多くの人に助けられ、プライベートでも久しぶりに本のイベントがあり、とても楽しかった。

それでも今年のできごとを振り返ってみたところ、「記録的に恥ずかしい話」というのが一つあった。

今年のゴールデンウィークを過ぎた頃、体重が90キロを超えてしまった。年始から忙しさを理由に、日々増え続ける体重を無視し続けていたのだが、ある日、体重計に『92.4』という、自身の人生でも初めてお目にかかる数字が表示され、このままではマズいと思うようになった。

同じ人生初なら、人生初の徹底した筋トレでもやってやろうじゃないか。そう思い立ち、師走の今まで毎日続けている。初期は腕立て伏せや腹筋などの自重トレーニング(※自己の体重で行うトレーニング)を中心にしていたが、もう少し筋量を増やそうと、『インクラインベンチ』というものを購入した。

それに合わせて「ダンベル」を買おうとネットを探したのだが、これがどうにも高い。重量が異なるダンベルを複数そろえるのはスペースも取るため、重量を変えられる「可変式」を探したものの、欲しいと思うものはどれも数万円もした。若い頃からダンベルといえば、「重いだけで、うっかり足にぶつけると死ぬほど痛いやつ」という認識しかない。そんな重しに数万円を払うことに、どうにも抵抗があった。

フリマアプリやリユース品を扱う店も探してみたが、昨今は筋トレブームなのか、どこも可変式は置いていなかったり、あってもなかなか強気な値付けがされていた。
そんな時、ふと「ジモティー」というサイトを思い出した。かなり以前から存在は知っていたが、実際に覗いたのは初めてだった。

思っていた以上に面白いサイトで、個人的な売買やネットオークションとは少し違い、不用品の譲渡や、簡易的な引っ越しの手伝いなどのちょっとした人員募集が主な目的らしい。

助け合いの項目には「おっさんの人生相談」と題したリンクもあり、開いてみると仕事の悩みや就職・転職活動などで困っている人の相談を、喫茶店で無料で受けますとあった。
注意書きには、「もしあなたが何かの商品を勧誘するようなことがあれば、10分1万円を頂戴します」とある。
そういう対策もあるのかと感心していたのだが、続けて「うっかり私がその勧誘に乗ってしまった場合は、こちらが10分1万円をお支払いします」とも書かれていた。
思わず「なんでやねん」と呟いてしまったが、このおじさん絶対に面白い。

我に返って不用品のダンベルを探していると、1件、可変式ダンベルがヒットした。
写真で見る限り新しそうなのに、価格は二千円だった。
ジモティーでは原則、専用のメーラーでやり取りをする。
さっそく出品者に譲ってもらえるかメールを送ると、数分後に「お子様が使うのでしょうか。買ってすぐに使わなくなってしまったので、もちろんお譲りします」と返ってきた。

相手は僕がどんな人物かも知らないはずなのに、なぜ子どもの話をするのだろうと思ったが、親が子どもに頼まれて購入するケースもあるのだろうと納得した。
少し悩んだ末、「こちら中年男性ですが、私が使う予定です」とだけ返信した。

商品を受け取る日程を調整し、近場で落ち合うことになった。
事前に聞いていた車が停まっていたので、僕も車で近づくと、中から奥様と高校生くらいの娘さんが出てきて、商品を手渡してくれた。

渡されたのは、きれいにクリーニングされた中学生の体操服だった。

僕はしばらく何が起きたのかわからず、「え?」とだけ言った。
すると奥様も「え?」と言い、しばし沈黙が流れた。
恐る恐る「ダ、ダンベルじゃなかったでしたっけ?」と伝えると、奥様は「出品していたのは体操服です」と言った。

慌ててスマホを取り出し、もう一度商品ページを確認する。
そこには間違いなく「ダンベル」があった。
だが、そのすぐ下に並んでいた「〇〇中・体操服、ほぼ未使用」という商品を、僕は誤って押していたのだ。

その瞬間、点と点が一気につながった。
お子様が使うのかと聞かれた理由も、同じ中学に通う子どもがいると思われていたのも、すべて腑に落ちる。
問題は、そこに「こちら中年男性ですが、私が使う予定です」と返してしまったことで、相手の見ていた景色は、さぞ急激に変わったことだろう。

唯一の救いとして、こちらがダンベルと間違えたことをすぐ説明すると、奥様と娘さんは驚くような声で爆笑してくれたが、こちらはひたすら平謝りするしかなかった。

最終的に、僕は例のダンベルを無事に入手することができた。
心の痛みはまだ消えていないが、体重だけは落ちた。


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田所敦嗣さんの著書

スローシャッター

スローシャッター
田所敦嗣|ひろのぶと株式会社

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    千葉県生まれ。水産系商社に勤務。エッセイスト。著書 『スローシャッター』(ひろのぶと株式会社)で、SNS本大賞「エッセイ部門」受賞(2023年)。フライ(釣り)、写真、野球とソフトボールが趣味。人前で声が通らないのがコンプレックス。