おはこんばんちは。
広告探偵の上田豪です。
今週はハードワークが続いているせいか気圧の変化が著しいせいか、偏頭痛が醜くてね。やたらと頭が変に痛いわけよ。
そんな中で鎮痛剤も効かないときは仕事も捗らないわけで、そんな時は団長の思いで思い切って寝ると治るという大発見をしたわけ。これはいずれ学会に発表しようと思う今日子の吾郎なのですが、団長の思い出といえば西部警察の渡哲也殉職シーンに尽きるわけです。
さて。そんなわけで締め切り当日の朝、必死こいてこれを書いているわけなんだけど、いつもながらにくだらないことしか書けないと思うので期待しないで暇つぶしに読んでつかあさい。ちなみに「ひまつぶしとひつまぶしは似ている」件についてはいずれ書こうと思う。(覚えてたら)
というわけで、今日も「いま何を読まされたんだろう」という読後感を味わえる木曜日。
例によって今週も見切り発車で着地点の見えない旅へ。
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みなさんは出世魚をご存知かと思う。
魚の成長に伴って名前が変わる魚のことである。
例えば、ブリ。
関東ではワカシ、イナダ、ワラサ、ブリと名前が変わっていく。
例えば、ボラ。
ハク、オボコ、スバシリ、イナ、ボラ、トド。
同じ魚なのに成長するたびに名前が変わる。人間でいえば出世するたびに名刺の肩書きが変わるようなものだろう。ただしそれは組織に属する会社員の場合に限る。
フリーランスの場合はどうなるのか。肩書は自分の屋号であったり名前そのものだ。フリーランスのままでいる以上は基本的に出世などせず変わらない。でも、それじゃつまんねえよなあと思うわけなので、ときどきは名前を変えてみるのはどうだろう。出世した気分になれるのではないだろうか。誰か試してみて欲しい。
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ここからは久しぶりにちょいと気になっちまったことを書いてみる。というか、気になっちまったことというより、気になっちまい続けていることと言った方が正しい。
それは「言葉というのは面白い」ということ。
言葉は、本来の意味とは違う解釈をしてみるとまったく別の景色が見えてくることがある。
こんな駄文を若い広告業界の人やライターの人が読んでいるとは思えないが、ここから先は広告稼業を長年やってきた俺が確信している、アイディアを考えることに多分通じる話なので、眼をカッ開いて読んで欲しい。
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例えば「マンション」
これを「万ション」と書いてみる。一万戸以上の住宅が集まった巨大集合住宅だからである。一万人が立ちションしているという有力な説もあったのだが、それは近年学会で否定された。ちなみに一億戸以上集まると億ションに出世することは俺だけにはよく知られた話だ。
「マンホール」
これを「万ホール」と書いてみる。道路に一万個以上の穴が開いているからである。ちなみに一億一万個以上の穴が開くと、蓋を置くだけの億ホールに出世することは俺だけにはよく知られた話だ。
ふと考えてみるだけでも、世の中には「マン」のつく言葉がずいぶん多いことに気づく。
ならば、マンのつく言葉を片っ端から万に置き換えてみたら少しは楽しくなるのではないだろうかか。
「マンガ」
今や世界で通じる日本語であるマンガ。これは万画である。
一万枚の絵で構成される芸術作品。当然マンガ家は万画家となる。
そもそもマンガ家は、一万枚以上の絵を描き続けてその職業に辿り着いているはずだ。なかなか厳しい職業であることを表していると思う。
「マンツーマン」
マンツーマンとは万対万のことである。一対一の個人指導という意味で使われているが、本来は一万人対一万人の大規模な対決を意味していたのではないか。言葉の起源はおそらく川中島の合戦が始まったあたりなのではないかと俺の中だけで言われている。
ちなみにマンツーマンディフェンスともなると、本来の意味で言えば二万人の選手がコートを埋め尽くすことになるわけで、もはやサッカーやバスケの試合どころではない。
「マンパワー」
マンパワーとは万パワーのこと。一万人分の力である。一万馬力みたいな単位の表現だと考えれば合点がいく。
マンパワーがあればどんな仕事も片付けられる。ちなみに「マンパワーが足りない」という嘆きをよく聞くが、そもそも中小企業が使う言葉ではないのである。なお、この言葉の起源は大阪城築城の頃あたりだと俺の中だけで言われている。
「マンネリ」
マンネリとは万練りのこと。同じことを一万回も練り返すことである。丸の内OLあたりの会話だと「毎日同じ仕事ばかりでもうマンネリ〜」とか言っちゃってたりもするようだが、実際に同じことを一万回も繰り返しているのだから飽きるのも当然であるし、マンネリとは練馬の男という意味ではない。
「マンゴー」
マンゴーとはズバリいって万個のこと。一万個もの実をつける果物なわけなので収穫するだけでも大変だ。一日ひとつずつ食べても全部食べ終わるまでに何年もかかってしまう計算になる。
「マンモス」
つまり万モス。酒井法子がこれまで「マンモスうれぴ〜」と延べ一万回以上言ったという説と、ボビー・オロゴンがこれまで「もす!」と延べ一万回以上言ったという説で、学会は真っ二つに割れており結論はまだ出ていない。
こうしてみると、マンのつく言葉には途方もない数量や時間を表すものが多い。
数のマンと時間のマン。同じ音なのにずいぶんと用途が広い。そしてここまで考えてきて俺はさらに興味深い言葉に行き着いた。
それが「ウーマン」である。
英語で女性を意味する言葉だ。これも今回の仮説に当てはめると、ウー・マン。つまり、ウー万である。
麻雀をやる人ならご存じだと思うが、ウーは五を意味する。ということは、ウーマンは五万。
マンが一万なら、ウーマンは五万ということになる。
なぜ女性が男性の五倍なのか。なにが五倍なのか。
その理由はここでは語らない。今の世の中も広告業界もジェンダー警察の目がうるさいからだ。そんなクソな風潮が行き過ぎているということにそろそろ気づけばいいのにと思いつつ、興味があれば酒の場ででも俺に直接聞いてくれ。
では、「ヒューマン」はどうなのか。
英語で人間を意味する言葉だが、これも今回の仮説に当てはめると、ヒュー・マンとなる。だがしかし。ヒューは何を意味するのだろうか。あらかじめ言っておくが華原朋美のそれではない。
冒頭の出世魚の話を思い出してほしい。人間には言葉を別のものに置き換えて表現する知恵がある。
そう、比喩である。ヒューは比喩。つまりヒューマンとは比喩マン。比喩万である。
一万の比喩を持つ人間。それを世間では表現者※と呼ぶ。
※ちなみに、俺はクリエイターという言葉が好きではないのでここでは用いない。
人間というものは比喩を使う生き物である。
腹が立てば座っていても腹が立つと言い、頭にくれば何も来ていないのに頭にくると言い、目から鱗が落ちれば、本当に目から鱗が落ちたわけでもないのに感動したり、便秘が治れば腸うれしいとか言っちゃったりする。
そもそも比喩を使わずに会話をすることなど、ほとんど不可能ではないだろうか。
マンは一万。ウーマンは五万。ヒューマンは比喩万。人間は、比喩を使う生き物だからこそヒューマンなのだ。
……と、ここまでくだらないことを書き連ねておいてなんなのだが、俺自身もそろそろ自分が何を言っているのかわからなくなってきた。これもまたマンネリだということなのかもしれない。
どうでもいいか。どうでもいいな。
上田 豪 広告・デザイン/乗り過ごし/晩酌/クリエイティブ
1969年東京生まれ フリーランスのアートディレクター/クリエイティブディレクター/ ひろのぶと株式会社 アートディレクター/中学硬式野球チーム代表/Missmystop





