おはこんばんちは。
広告探偵の上田豪です。
ええと、いきなり私事で恐縮なのですが「飛行機ってなんで飛べるの?」なんていう疑問を抱く小学生のことを多くの大人は可愛いなあと思ったりするわけですよ。
ところが「飛行機のチケットってどうやって取るの?」「飛行機ってどうやって乗るの?」っていう疑問を抱いているいい歳こいたおっさんは全く可愛くないわけです。ええ、もちろん俺のことです。
それどころか、最近は新幹線のチケットを買う時すら不安を覚えることが多く、そんな時は必ずみどりの窓口のおねいさんに対面してお願いしていたわけなのですが、先日の大阪出張では「券売機で新幹線のチケットを買わなければならない」というまさかの状況に追い込まれちまったわけです。ピンチ!
結局、東京駅では出張に持って行かねばならない撮影美術を届けにきてくれた加納さんに、弁天町駅では見送りに来てくれたひろのぶさんに、それぞれ券売機の操作をしてもらったおかげで、無事大阪に入って撮影を済ませ、そして今週から無事に東京で仕事をしている今日子の吾郎なわけなのですが、街角diaryの原稿〆切は容赦無く今週もやっぱりやってくるわけです。
そしていま10月22日(木)の深夜1:34。今日といえば、運命のドラフト会議が行われるわけなのですが、今年もうっかりプロ志望届を出し忘れたことに気づきつつ、年末の紅白のオファーは何時ごろ来るのだろうと考えながらこれを書き始めております。
というわけで、
「いま何を読まされたんだろう」という読後感味わえる木曜日。
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今週もまた懲りずにいつものアレです。暇つぶしにご覧ください
「あの名曲を再解釈してみた⑧」

まずはこの曲をじっくりとお聴きください。
はい。みなさんご存じ。
CHAGE&ASKAの名曲「SAY YES」。
1991年にリリースされたこの名曲。第33回日本レコード大賞のゴールドディスク賞と作曲賞を受賞しているわけなのですが、なによりTVドラマ『101回目のプロポーズ』の主題歌としてみなさまにお馴染みなわけです。
そんなドラマの主題歌で、しかも曲のタイトルが「SAY YES」とくればどう考えてもプロポーズの歌だと国民の大半は思っていることでしょう。
だがしかし、決してそんな曲ではないということに俺は昔っから気づいてたわけなのよ。なんちゅうかね。
いいですか、奥さん。
実はこの歌はね「刑事と容疑者の取り調べの様子を歌ってる」んですよ。
それを頭の片隅に置きながらこの曲の歌詞を最初から順番に追ってみるとね、うまくプロポーズの歌に偽装しているんだけど、そうは問屋がおろさない。どこか様子がおかしいことに気づくんじゃないかと思うわけですよ。
でね、様子と書いて様子(さまこ)って名前の人がもしいたら、しょっちゅう「様子がおかしい」とか「様子を見てこい」とか「怒っている様子」とかって誰かが言うたびに、様子さんの心の中はザワザワとしていろいろ大変なんだろうなっていう様子さんの事情に思いを馳せたりするわけなんだけど、俺が気にしても仕方がないし「さて問題です。俺はここまで様子って何回書いた?」ってクイズタイムショック風に聞いてみたいし、遣隋使を派遣したのは聖徳太子、そもそも脱線もいい加減にして本題に入りやがれ深夜だぞってことですよね。はい。
というわけで、いまからその仮説をひとつひとつ丁寧に紐解いていこうと思いまーす。
*****
それでは順を追って歌詞を見ていくとする。

取調室。
刑事が一枚の写真を机の上に置き、向かいに座る容疑者へと滑らせる。事件現場を撮影した現場検証の写真。容疑者は一貫して「あの置物は現場にあったものだ」と主張している。
しかし刑事は写真を指差す。
「これ、現場だよな?」
「……はい」
「じゃあ、よく見てみろ」
写真には部屋の隅々まで写っているが、そこに容疑者が言っていた置物はない。
黙り込む容疑者に向かって刑事が静かに言う。
「余計な物など無いよね」
これは恋人に向けた言葉ではない。容疑者が言う「置物=余計なもの」は現場には存在しなかったという事実を、現場検証の写真で突きつけているシーンなのである。
そして、「すべてが君と僕との愛の構えさ」の解釈。
ここでいう「愛」とは恋愛のことではない。「愛」とは英語の「 I 」と捉えるのが自然だろう。
「 I 」とはつまり「私」。そうすると、君と僕とのI。君と僕とはつまり容疑者と刑事。取調室にいるのは結局この二人だけなのだ。
証拠写真も、調書も、事件も、嘘も、すべてこの二人の間にある。「愛」という言葉そのままに甘ったるい言葉として捉えるのは不自然なのだ。
むしろ、「俺とおまえの話だ」という刑事の言葉になる。

「少しくらいの嘘やワガママも」の解釈はこうだ。
「置物はなかった。そうだな?」
「……」
「まあ、多少の嘘はいい。人間だからな」
「……」
「言いたくないこともあるだろう」
ところが「まるで僕をためすような 恋人のフレイズになる」という一節は、嘘の供述がめくれた容疑者の供述の変化を表している。
「おまえ、さっきはこう言ったよな」
「……はい」
「でも、今はさっきと違うことを言っているのはどういうことだ」
「……」
これが恋人同士ならばちょっとした痴話喧嘩で済む。しかしここは刑事と容疑者二人の取調室だ。
容疑者の供述が変わった。そう読み取るべきであろう。

「このままふたりで夢をそろえて」
刑事はさらに言う。
「おまえの言っていることと、こっちで調べたことを、一回整理しよう」
つまり、夢をそろえるとは「供述をそろえた調書を取る」ということ。刑事と容疑者、二人の話を辻褄があうひとつの事実にするということなのだ。
刑事はそうやって少しずつ容疑者の逃げ道を塞いでいく。
そして「何げなく暮らさないか」の解釈。
これはね、のらりくらりした供述に終始する容疑者に、取り調べができる時間はまだまだたっぷりとあることを示唆しているわけです。つまり、勾留期限のことを指しているわけなんですよ。

「愛には愛で感じ合おうよ」とは。
ここでも「愛=I」と考えるのが自然だ。
IにはIで感じ合おうよ。
つまり、俺の立場になって考えてみろ。おまえが俺だったらどう思う?そして、俺がおまえだったら何を考えると思う?という揺さぶりをかけながら、刑事は容疑者の心の中に入ろうとしているわけです。
「俺はおまえを理解しているつもりだ」
「だからおまえも俺を理解してくれ」
そんなやりとりで心理的な距離を詰めていく。ちなみに西部警察だったらそんなまどろっこしいことせずにとっくにぶん殴っているところです。間違いない。
そして「硝子ケースに並ばないように」と続くが、ここで言う硝子ケースとは護送車、あるいは拘置所の面会室のことである。
刑事は言う。
「いまならまだ間に合うんだぞ」
容疑者がこのまま事件を否認し続けて、完全に「犯行を否認し続ける凶悪犯」として叩かれる前に自分の言葉で話してくれといっているわけですよ。それはまるで「はぐれ刑事純情派」なわけですし、「はぐれ刑事純情派」といえばドラマタイトルのテロップに秀逸なものが多いですよね。


「何度も言うよ」とは、言葉そのままである。もちろんプロポーズの言葉などではない。
「何度も言うよ」
取り調べでもっとも嫌な言葉である。何度も言う。つまり同じ質問を何度でもするということだ。
「おまえはあの夜どこにいた?」
「家にいました」
「本当か?」
「はい」
「じゃあ、これは何だ?」
刑事が写真を出す。
「……」
「もう一度聞く。おまえはあの夜どこにいた?」
何度も言う。ただ、刑事は怒鳴らない。同じ質問を繰り返すだけだ。
「残さず言うよ」
つい容疑者の言葉だと解釈してしまうところだが、これも刑事の言葉だ。この容疑者はそんなに簡単には落ちるタマではないのだ。
「全部話してくれ」
「隠していることがあるなら、今ここで話してくれ」
刑事は調書を取るためのペンを持って待っている。しかし、容疑者は黙っている。その流れる沈黙が、刑事には容疑者の心の中があふれ出しているように感じるのだ。

ぽつりと刑事が言う。
「おまえな、言葉は心を越えないんだよ」。それはどれだけ言葉を重ねても本心から逃れることはできないということ。
「俺はやってません」
「そうか」
「俺じゃありません」
「そうか」
「本当に知りません」
「……そうか」
「公明党は」
「……そうか」
刑事は調書を見る。現場の写真を見る。そして顔を上げて真っ直ぐに容疑者の目を見て言う。
「でもな、おまえの心の中は、おまえが俺に伝えている言葉とは本当は違うんじゃないのか?」

「君に逢いたくて 逢えなくて」という一節からは、事件の動機が少しずつ見えてくる。
あの夜、容疑者は誰かに会おうとしていた。
「誰に会った?」
「誰にも会っていません」
「本当に?」
「はい」
「でも、おまえはあの店に行っている」
「……」
「誰に会いに行った?」
「……」
容疑者は答えない。そして刑事は、その寂しい夜の出来事をひとつずつ掘り起こしていく。
夜。
容疑者は誰も見ていないと思ったのだろう。しかし刑事は言う。
「夜だからって何も見えないわけじゃない」
「星の屋根に守られて」とは、星=ホシ(犯人)と誤った解釈をしがちだがそうではない。この場合「星」とは思わぬ場所から見られていることを指す。つまり、防犯カメラや目撃者も存在を示しているのだ。
刑事は事件の動機に近づいていく。
「恋人の切なさ知った」
そこで初めて「愛」が本当の意味を持ってくる。誰かを愛していた。だから、あの夜、あんなことをした。
刑事はもう、ほとんどすべてわかっている。あとは本人の口から聞くだけなのだ。

「このままふたりで朝を迎えて」
夜が明ける。取調室の窓の外が少し明るくなる。刑事も帰らない。容疑者も帰れない。朝まで二人きりでこんな朝を何度迎えただろうか。
それこそ恋愛ソングならばとてもロマンチックな一節である。しかしこの曲の場合は、ただの徹夜の取り調べである。
刑事は言う。
「まだまだ話してないことがあるだろう」
「ここで洗いざらい全部話そうじゃないか」
「時間はたっぷりあるんだ」
ここで言う「いつまでも暮らさないか」とは、素直に取り調べに応じなければ容疑者はいつまでも帰してもらえないことの比喩であることは疑う余地がない。

恋の手触りとは、故意の手触り。犯行から時間が経たないうちに自供に追い込まなければならないという刑事の思いを表している。

刑事は何度も同じ質問を繰り返す。供述に揺れがないか。綻びがないか。確かめるために何度も繰り返す。しつこいほど繰り返す。
「君は確かに僕を愛してる」の一節。愛してるとは「意識している」と捉える。つまり、君(容疑者)は僕(刑事)を意識している。という解釈になる。
おまえは俺が何を聞いているのか、俺が何を知っているのか。
俺を意識しているおまえにはもうわかっているはずだ。ということ。

そして刑事は迷わず最後にズバリ言う。
「おまえがやったんだろ?」
容疑者は黙っている。刑事も黙っている。沈黙の時間が流れ、しばらくして容疑者が顔を上げる。
「……はい。やりました」
自供の瞬間。「SAY YES」である。
101回目の取り調べでこの事件もようやく終わった。
外はもう朝だ。
*****
いかがでしたか。
CHAGE&ASKAの「SAY YES」。これでこの曲がプロポーズの曲などではないことがおわかりいただけたのではないでしょうか。
この曲は、一人の刑事が一人の容疑者から「YES」を引き出すまでの、取り調べの歌だったってわけなんですね。
どうでもいいか。どうでもいいな。
上田 豪 広告・デザイン/乗り過ごし/晩酌/クリエイティブ
1969年東京生まれ フリーランスのアートディレクター/クリエイティブディレクター/ ひろのぶと株式会社 アートディレクター/中学硬式野球チーム代表/Missmystop





