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国の宝の芸道映画と女性たちとのヒューマンドラマ——映画『国宝』レビュー

奥澤恵利子


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2025年10月13日正午、祝日のみなとみらいは、街も映画館も多くの人で賑わっています。
二度目の鑑賞となる映画『国宝』のチケットを購入しようと券売機を操作すると、空席は最前列と二列目以外は2席のみ。上映開始から4ヶ月が経過した今も、この映画の熱はまだまだ冷めることを知らないようです。

皆さまこんにちは。国の宝といえば、ラーメンととんかつとうな重だと思っている奥澤です。

映画『国宝』が、想像以上の事態となっております。
2025年6月6日に公開され、2025年10月13日現在で、観客動員数1,150万人、興行収入162億円を突破。
実写邦画歴代興行収入第1位を守り続けてきた、2003年公開の『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』の173.5億円を超える勢いです。というよりも、超える日がすぐ目の前まで迫ってきました。

吉田修一自身が3年間歌舞伎の黒衣を纏い、楽屋に入った経験を血肉にし、書き上げた渾身作『国宝』。任侠の一門に生まれながらも、歌舞伎役者の家に引き取られ、芸の道に人生を捧げた主人公・喜久雄の50年を描いた壮大な一代記。

(映画『国宝』公式サイトより引用)

そんな作品を李相日監督が映像化させたのが、映画『国宝』です。
吉田修一の小説を李相日監督が映像化するのは、『悪人』『怒り』に続き3作品目。

美しくも悲しい映画

歌舞伎の知識なし、下準備なし、出演俳優が少しわかる、そんな、ほぼ真っ白な状態で映画館へ足を運びました。初見の感想は、美しさが7割、悲しさが3割でした。

圧倒されるほど美しい歌舞伎シーンは、その美しさの沼に沈んだまま浮かび上がれなくなるほど、映画全体を飲み込んでいます。
主人公喜久雄の青年期以降を演じる吉沢亮の女形歌舞伎の美しさは言わずもがな。田中泯演じる人間国宝小野川万菊は、手や足先の動きひとつをとっても、なめらかなのに重厚で、それでいて繊細。

そんな、歌舞伎の美しさが際立てば際立つほど、歌舞伎を追い求める喜久雄によって踏み台にされた女性たちの姿が、私の目にはただただ悲しく映りました。

二度目の鑑賞で見えた、語らない、「観えてくる」映画

レビューを書くため、二度目の映画『国宝』。
事前準備として、『ほぼ日 余白。言葉にならない、たゆたう何かについて』の李相日監督と糸井重里による対談記事を読み、吉田修一の小説を李相日監督が映画化した『悪人』と『怒り』を観てから挑みました。

ほぼ日 余白。言葉にならない、たゆたう何かについて』で李相日監督は、「どうしても映画とかドラマだと、セリフとかお芝居で直接的に表現してしまいがちなところですが、そこをぐっとこらえて、お客さんに想像させるというか。映画的な行間をなんとか生み出せないかと。」とおっしゃっています。
李相日監督は、映画の中で、言葉による説明をあまりされません。
状況の細かな説明を誰かにさせませんし、極力必要な言葉以外は話させません。登場人物の心の機微を映像に込め、観る側に委ねているように感じます。

だからこそ、言葉に意味が生まれ、観客は様々な視点や感情で映画を楽しめます。一度目より二度目にじわじわと、違った視点や感情が染み出てくる作品です。

そして観えてきたのは、「表面にある美しき国の宝の芸道映画と裏面にある女性たちのヒューマンドラマ」でした。

表面 国の宝の芸道映画

なんと言ってもこの作品の醍醐味は、女形上方歌舞伎のシーンが美しすぎるほど美しいことでしょう。
歌舞伎を知らなくても、ストーリーがよくわからなくても、吉沢亮と横浜流星が演じる女形上方歌舞伎のシーンを、ぜひ映画館の大きなスクリーンで観てほしい。そう思える美しさです。
彼らの歌舞伎の稽古期間は、撮影の1年3ヶ月前から始め、撮影期間を合わせて1年半だったそうです。1年半の稽古の日々は想像以上に厳しいものでしょうが、1年半でこのレベルまでいけるものなのか、と驚きます。ふたりのストイックさと努力の凄まじさを感じて、さらに感動が増して鳥肌が立ちます。

その中でも感動した、「関の扉」「曾根崎心中」「鷺娘」について語ります。それぞれ違った美しさが見えてきます。

「関の扉」

映画冒頭、雪が降りしきる長崎の街。そこで行われる長崎・立花組の新年会。その余興で、歌舞伎を披露する少年喜久雄。少年喜久雄を演じるのは、15歳の黒川想矢。吉沢亮の凄さで忘れかけてしまいますが、「関の扉」でみせる、少年らしい青さと軽やかさ、そして少年とは思えない色気を含む歌舞伎は、渡辺謙演じる上方歌舞伎の名門花井家当主であり女形である花井半二郎でなくても見惚れてしまいます。

ここで重要なのは、花井半二郎が見惚れてしまうほどの美しさを表現すること、ともうひとつ、「歌舞伎を演じることが好きで楽しくてたまらない」を表現していることです。

立花組の部屋住みの徳次と「関の扉」を演じ終わり、女中であろう女性から「坊ちゃんと徳ちゃんは本番に強かね」と褒められて嬉しそうなふたり。そして、桶で白粉の化粧を落としながら、「関の扉」のセリフを笑って言い合いながら、余韻に浸り、喜び合います。このシーンで、喜久雄はすでに演じることの魅力にはまり初めていることが見てとれます。
何かを好きになる瞬間は突然で、好きになる理由をすべて言葉にして語りきれない、そう李監督は示唆しているようにも感じとれます。

「曾根崎心中」

映画内で2回演じられるこの演目。
1回目は、交通事故にあった花井半二郎が立つはずだった「曾根崎心中」の舞台が間近に迫り、主人公お初の代役を、部屋子の喜久雄に演じさせるか、実の息子である俊介に演じさえるかを決める、物語のターニングポイントにもなる大事なシーン。
喜久雄を演じる吉沢亮の、俊介ではなく自分が選ばれたことの喜びと驚きとプレッシャーを抱えつつ、愛しい男とともに死ぬ覚悟ができている女の狂気と愛と悲しみを含む鬼気迫る演技に、途中から、彼が吉沢亮であることを忘れ“お初”として見入ってしまいます。

共に日々の厳しい稽古に耐え、切磋琢磨して芸を磨いてきたからこそ、喜久雄を尊敬し、喜久雄の凄さを一番知っている存在である俊介は、喜久雄の芸に圧倒されて、耐えきれず席を立って劇場を出ます。他にも、舞台に立つ寸前まで飲み歩いたり、春江の働く店で「俺、御曹司やで」と言ったり、父である花井半二郎から言われたように、「血があんたを守ってくれる」と高をくくってしまっていたであろう、自分の弱さが見えてしまったのかもしれません。

さらに春江は春江で、俊介が気になっていただけではなく、喜久雄の目には歌舞伎しか映らず、春江が映ることはない。喜久雄には私はいなくても大丈夫、と確信した瞬間でもありました。

吉沢亮の「曾根崎心中」が、美しくも恐ろしい熱演ぶりだからこそ、俊介と春江の思いが軽く扱われず、ただなんとなく一緒にいなくなっただけ、にはならずに済んでいるのですから、吉沢亮の演技力と美しさに脱帽です。

そして、2回目となる、俊介がお初を演じる「曾根崎心中」。今度は、お初の思い人である相手役の徳兵衛を喜久雄が演じます。
糖尿病で左足が壊死して切断を余儀なくされた俊介が、最後まで舞台に立ちたい、演じたい、と切望したのが、この「曾根崎心中」でした。
愛する徳兵衛に、お初が、一緒に死ぬ覚悟があるのか必死に問うシーン。徳兵衛役である喜久雄の前に差し出した右足は、すでに指先から壊死し始めています。喜久雄は、その足をぐっと掴んで愛おしそうに頬を寄せます。そこにいるのは、徳兵衛ではなく喜久雄です。また一緒に舞台に喜び、ずっと変わらない俊介への友愛、半二郎を自分が襲名してしまったことへの罪悪感、が滲み出る演技が胸を打ちます。

「鷺娘」

そして最後に舞う「鷺娘」。人間国宝となった喜久雄が演じるその舞台は、極限までの白。ライトで照らされた真っ白な鷺娘の衣装。舞う喜久雄と紙吹雪がきらきらと輝きを放ち、最後にふさわしい演目です。
喜久雄が、天井から舞い散る紙吹雪を見つめながら「綺麗やなあ」と思いがそのまま口から自然とこぼれ落ちたとき、誰もが、立花組組長である喜久雄の父・立花権五郎が、降りしきる雪の中で喜久雄に残した、「よおく見とけ」の言葉と、仁王立ちで敵を迎え撃とうとする光景を思い出していたことでしょう。

父親と道は違っても、自分の正しさを貫いて生き抜いた一生であることが、歌舞伎とともに語られています。

裏面 4人の女性とのヒューマンドラマ

そしてここからは、歌舞伎シーンが美しいだけではない、ヒューマンドラマとしての映画『国宝』を語るべく、大事な4人の女性にスポットを当てていきます。

喜久雄が人間国宝になるまでには4人の女性の存在が大きく関わってきます。

1人目は、長崎にいた少年時代から一緒だった春江。2人目は、初めてお茶屋に来た喜久雄を一目で見初めた芸妓の藤駒。3人目は、歌舞伎役者である吾妻千五郎の娘の彰子。4人目は、藤駒と喜久雄の娘、綾乃です。

歌舞伎がメインで4人の女性たちは脇を彩る花、なんて、その程度の登場ではありません。それは、映画『悪人』でも映画『怒り』でも、「重要な人物には赤色が配色されている」からであり、彼女たち4人にも赤色の配色が施されています。

映画『悪人』と映画『怒り』

「重要な人物には赤色が配色されている」という話をするために重要になる映画、『悪人』と『怒り』の簡単なあらすじです。

『悪人』(2010年)は、長崎の漁村で生まれ育った孤独な青年・妻夫木聡演じる清水祐一が、出会い系サイトで出会った満島ひかり演じる石橋佳乃をある理由から殺害してしまう。その後、住んでいるアパートと職場の往復で孤独な日々を送る深津絵里演じる馬込光代と知り合い、愛のために一緒に逃亡を図る。

『怒り』(2016年)は、八王子で起こった夫婦殺人事件の犯人が逃走して1年が経った。犯人は顔を変え、どこかに潜んでいるが手がかりはなし。同時期に、整形前の顔写真とそっくりな素性の知れない男が、東京、千葉、沖縄にそれぞれ突如として現れる。3人のうち、誰が嘘をつき、誰が殺人犯なのか。

2作品とも良い映画なのでぜひ観ていただきたい。ですが、精神が削られること間違いなしなので悪しからず。あと、李相日監督、早く妻夫木聡をしあわせにしてあげてください。

赤色

吉田修一の小説を映画化した李相日監督の作品では、「重要な人物には赤色が配色されている」。大事なことなので3回言いました。

『悪人』では、妻夫木聡演じる清水祐一が持つ携帯電話。岡田将生演じる増尾圭吾が所有し、満島ひかり演じる石橋佳乃を殺人現場まで運ぶ車。祐一と深津絵里演じる馬込光代が初めて一緒に訪れたホテルのブランケット。祐一が光代と逃亡する際に着ていて、後に光代に着用させる長袖のフリース。

『怒り』では、犯人の大きなリュック。犯人がよく食べているカップヌードル。
赤色の割合が少ないように見えますが、これがかなり効いています。

そして『国宝』では、歌舞伎の衣装と、喜久雄の人生にかかわる4人の女性は必ず赤を身に着けています。
少女時代の春江が大阪に来て夜の仕事をしているときの赤いスーツ。高畑充希演じる春江の少しはがれた赤いネイルと傘。
喜久雄が初めてのお茶屋遊びで見上愛演じる10代の藤駒と出会ったときの、藤駒の着物の半襟と髪飾りと帯揚げ。
藤駒と喜久雄の子である綾乃の幼少期、お祭りに行くときの浴衣の兵児帯と下駄の鼻緒と髪飾り。
森七菜演じる彰子が、父である歌舞伎役者・吾妻千五郎に殴られた喜久雄を抱きしめ一緒に出ていくシーンで着ているセーター。

また、李相日監督は4人の女性たちについて、

喜久雄の人生にかかわる女性は、娘を含めて4人ほど出てくるわけですが、これってふつうに考えると多いんですよ。

それを減らすべきかという話も、どこかの段階でした記憶はありますけど、基本的にはみんな役割がちがうので全員キープしようと。その代わり、事の顛末は説明しない。

と『ほぼ日 余白。言葉にならない、たゆたう何かについて』 でおっしゃっています。

ここまでで、この4人の女性たちが、重要な役割を担った人物であることがわかります。

そんな4人の女性たちをひとりずつみていきましょう。

1人目「春江」

長崎にいるときから喜久雄を慕い、喜久雄が入れ墨をするのと同じときに春江も背中に牡丹の花を彫り、喜久雄が大阪に行くなら春江も後から大阪に来る。「うちには喜久ちゃんしかおらんもん」というほど、一途で面倒見の良い女性。

でも、こんなに思っていても、喜久雄が愛情を持っているのは自分ではない、と理解してしまっています。それがありありとわかってしまうのが、ベッドシーンの表現です。『悪人』でも『怒り』でも「愛情がない相手には背中を向けて、目を合わさない」これです。春江にプロポーズをしている喜久雄は、春江に背中を向けて顔さえ見ません。この後の春江の強がるのに細く消えそうな声でプロポーズを濁す言葉と、悲しみの表情がせつなすぎます。

そこに現れたるや、「春ちゃん、春ちゃん」と自分を慕ってくれる俊介。弱気になると春江を頼ってくるところや、お育ちの良さからくる優しさに、目や心が向いていくのも無理ありません。

俊介と一緒になってからの春江の目は、喜久雄に対する愛おしさがなくなり、喜久雄が春江に向けていたような、どこか遠くのほうを見ているような目に変わっています。この高畑充希の演技がすばらしいです。

2人目「藤駒」

少年時代の喜久雄が初めて行ったお茶屋で芸妓をしている女性。
会ったばかりの喜久雄に、自分の人生を賭けるからすごい役者になって、自分を2号さんか3号さんのお妾さんにしてほしいと頼みます。先見の明があり、人気役者となった喜久雄との間に娘の綾乃を授かります。娘が喜久雄に「次はいつ来るの?」と答えづらい質問をしても、喜久雄を責めることは一切せず、娘を穏やかになだめます。常に自分の立場を理解し、前には一切出ず、喜久雄を陰から見守り続ける控えめな女性です。

藤駒にも娘にも会いに来ない喜久雄ですが、全くの無関心でも蔑ろにしているわけではなさそう、と想像できるものがあります。それが、菊の紋が付いた紫色の着物です。

『国宝』の衣装を担当されている小川久美子さんが、装苑オンラインのインタビュー

本作の喜久雄のベースは紫にし、要所で装いのどこかに紫が入っています。宮澤エマさん演じる喜久雄の義母は冒頭の場面しか出てきませんが、彼女の晴れの装いである紫を引き継いでもいます。

とおっしゃっています。
少年喜久雄が、長崎を出て、大阪にある花井半二郎の家に初めて訪れたときに着用していた紫色のスーツ。喜久雄の花井半二郎襲名という晴れの日を、菊の紋が付いた紫色の着物を着て迎える藤駒。喜久雄の義母から喜久雄へ、喜久雄から藤駒へと引き継がれる紫色が、縁を繋いでいるようにみてとれます。

そんな喜久雄と藤駒ですが、やっぱり喜久雄は全然目を見ません。
藤駒はもちろん、娘の綾乃がどれだけ「お父ちゃん」と呼び掛けようとも、一瞥もくれません。隠し子だからしょうがないとはいえ、綾乃の気持ちを思うと寂しさが募ります。

3人目「彰子」

歌舞伎役者・吾妻千五郎の娘で、喜久雄に好意を寄せている女性。
明るく、大切に育てられたお嬢様という雰囲気が出ています。可愛らしい見た目ですが、左ハンドルの外車を乗りこなしてしまう姿が、お嬢様な姿だけではなく、強さの表れにもとれます。

初めて鑑賞したときは、愛されずにただただ好意を利用され、踏み台にされるだけのかわいそうな女性として映ってしまいました。

しかし、2回目の鑑賞後は、歌舞伎のためなら何でも利用しなければという気持ちと、本当にそれでいいのかと懸命に自分を納得させようともがいている喜久雄の姿が見えました。それは、ベッドシーンで喜久雄は彰子には背を向けないからです。
ただ遠くを見て「俺も覚悟を決めた」とつぶやく姿は、ヘビのような狡猾さと温度のない寂しさが感じられます。
背は向けなかった喜久雄ですが、やっぱりここでも全然目を見ません。

そして、ドサ回りの宴会の余興で女形の歌舞伎を披露し、酔った客が喜久雄に絡んで来るシーン。ここで彰子がついに、「喜久雄、全然目を見ない問題」に指摘を入れます。
酔った客から「偽物」と罵られ、暴力まで振るわれ、精神的にもボロボロの状態の喜久雄。ビルの屋上で、崩れた化粧と真っ赤な襦袢で舞う吉沢亮の姿は、妖艶で、痛々しく悲しいのに、それでも美しく、目にも心にも強く印象に残るシーンです。この大事な場面で、彰子が問います。「どこみてるの?」
女性たちの今までの思いが込められている、大事な一言です。喜久雄が女性たちの目を見ず、見つめている先はどこなのか。喜久雄はこう答えます。「さあ、どこやろな」。

この時点での喜久雄は、自分が何を見ていて、何を見ようとして、何が見たいのか、何もわかっていないような返答です。
ただ、この後、人間国宝となった喜久雄がインタビューを受けるシーンでは、「見たい景色がある」と回答します。彰子から「どこみてるの?」と指摘されることによって、喜久雄の中で自分の終着点が定まっていきます。彰子の一言は喜久雄に大きな影響をもたらす言葉だったでしょう。

終始、森七菜が名演技でした。願わくは、彼女にはしあわせになってもらいたい。

4人目「綾乃」

最後は、喜久雄と芸妓の藤駒との間に生まれた娘の綾乃です。すみません、瀧内公美演じる綾乃の画像は探せませんでした。
ついに彼女が、「喜久雄、全然目を見ない問題」に終止符を打ってくれます。

人間国宝に選ばれた喜久雄へのインタビューで、カメラマンとなった大人の綾乃が喜久雄と対面します。ここは、綾乃がカメラマンであることが重要です。
カメラマンの綾乃が喜久雄に向かって、「こちらに目線をお願いします」と一言声をかけます。カメラを見る喜久雄。カメラから目を放して直接喜久雄と目を合わせる綾乃。 やっと目を見ました。喜久雄が、綾乃を、そして女性たちを。長かった。

さらに綾乃は喜久雄に、「藤駒という芸妓を覚えていますか?」と問いかけます。この一言で、長い間、喜久雄と綾乃が会っていなかったとわかります。綾乃からの質問に対し、「覚えているよ。綾乃」と答える喜久雄の目は、綾乃をまっすぐに見つめ、目線を外しません。
母・藤駒と綾乃に見向きもしなかった父喜久雄が、今、自分を見て、自分が娘の綾乃だと理解し名前を呼んだ。綾乃の驚きと怒りと嬉しさと一気に駆け巡っていく絡まった感情を考えると震えます。

そして、綾乃は絞り出すように、「おとうちゃん、すごい役者さんになりはったね」と涙ながらに喜久雄を称賛します。
この言葉は、娘の目を見て、娘と理解して名前を呼ぶ、という一連の流れが加わらなければ、浮いたセリフになってしまったかもしれません。有名人の隠し子として幼い頃からつらい思いをしてきたかもしれない、彼女からは重い背景が想像できます。ですから、喜久雄へと発せられるのは恨みつらみであってもおかしくないはず。父親だからこそ、人間国宝と呼ばれるほどの存在であっても称賛できるものだろうか、と頭をよぎる可能性があります。
でも、決してそうならないのは、ここまでのすべてで、「憎み切れない必死で誇らしい父の姿」が綾乃にも観ているこちら側にも伝わって固定されたからでしょう。
この称賛の言葉が最後にあったからこそ、喜久雄は「見たい景色」を見ることができたのではないでしょうか。

終わりに

『悪人』も『怒り』も、観た後に残るのは、「正しさとはなにか」という問いです。『悪人』においての正しさは、法律の観点からではない、観る人、観る視点によって変わります。『怒り』は、どこに怒りを持つことが正しいのか、人を信じることがどこまで正しいのか、そう訴えかけてきます。
『国宝』での「正しさとはなにか」との問いは、「喜久雄が歩んだ道は正しいのか」だったのではないでしょうか。
最後に実の娘からの称賛があったから、喜久雄は自分の人生が正しかったと確信できたでしょう。だから、人間国宝として、「鷺娘」を舞いながら「見たい景色」を観られる世界まで到達できたのです。

私はこのように映画『国宝』を観ました。あなたはどのようにご覧になりましたか。
映画館で観た感想を、ぜひ私にも教えてください。


国宝
主演 吉沢亮
監督 李相日

国宝

国宝(上・下巻)
吉田修一|朝日文庫

#宣伝会議田中泰延クラス 『国宝』week!

本記事は、2025年に宣伝会議で開催したライティング講座【「お金を払ってでも読みたいことを、自分で書けばいい」と思える書く力の教室】の最終課題「映画『国宝』のレビュー記事」を、「街角のクリエイティブ」掲載にあたって編集したものです。「#宣伝会議田中泰延クラス 『国宝』week!」と題して、これから8名の受講生の記事を1日1名ずつ順番に公開していきます。

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    生まれも育ちも神奈川県。スーパーマリオブラザーズと同い年。山か海なら海と川派。食べることと米津玄師とかわいいものが好きです。昔々は銀行員。認知症の父の介護をしてました。