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2026年10月1日「街角diary」上田豪がお届けします。

上田 豪


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野球とは、治療法のない不治の病である。

おはこんばんちは。
広告探偵の上田豪です。

シルバーウイークなんつう連休があったおかげで、すっかり日記を書く習慣が吹っ飛んでしまい、先週はとうとう原稿を飛ばす羽目になってしまった今日子の吾郎なわけですが、みなさまは連日に雨にも負けず元気にお変わりなくお過ごしですかと思いつつ今週も書いております。

読後感についてはいつも通りかどうかわかりませんが暇つぶしにはなるかもしれません。


*****

はい。もうね、今日も例によって深夜だからね、とっとと本題入ります。

「あの名曲を再解釈してみた⑥」。
久しぶりのいつものアレです。暇つぶしにご覧ください


まずはこの曲をじっくりとお聴きください。


はい。みなさんご存じ。
プリンセス プリンセスの名曲「DIAMONDS」。

1989年の日本有線大賞を受賞したミリオンセラーのこの名曲。世間的にこの曲は「キラキラした女子の恋の歌であり青春の歌」だと思われている。

だがしかし、今になってこの歌をじっくり聴いてみるとね、ちょいと気づいちまったわけなのよ。なんちゅうかね。


奥さんいいですか。
この曲はね、キラキラ女子の恋を歌ったものなんかじゃないんですよ。

この曲はズバリ言って「野球少年のことを歌ってる歌」なんですよ。

幼少期から野球に打ち込み真剣にプロ野球選手を目指していた俺にはわかる。すぐにピンときたね。もうね、間違いない。確信。ちなみに「自信が確信に変わった」のは松坂大輔だし、「もうパンツは履かない」のは勝新な。

さて。そんなわけでいまからその仮説をひとつひとつ丁寧に紐解いていこうと思う。また今回も長くなるんだろうなあと思いつつ先週原稿を飛ばした罪滅ぼしに俺っち頑張っちゃう。


*****

それでは順を追って歌詞を見ていくとする。


出だしのこの一節は、夏の朝練後の情景を歌っている。

真夏はとにかく暑い。汗だくの顔を水道で洗うだけでは涼しくなんてならない。スパイクを脱ぎストッキングを脱ぎ捨て、勢いよく出した水で流しに足を突っ込み冷やしながら、ふと空を見る。俺たちは誰よりも練習してんだから絶対甲子園に行きてえよなあとか思いつつ。


そして「好きな服を着てるだけ」というくだり。
もちろんユニフォームのことだ。

しかし、朝練に加え毎日夜9:00までの練習。家に帰れば泥だらけのユニフォームと一緒に風呂に入る日々。洗濯するためである。

それをうっかり洗濯機なんかに突っ込もうもんなら「こんなに汚れてるの洗濯機に入れないで!自分で洗って!」と母親に怒られるのがオチなのである。もちろん本人からすれば、不良も封印して、ただユニフォームを着て一生懸命練習しているだけで、何も悪いことはしていない。


自転車に野球道具一式が入った遠征バッグを積んで毎朝最寄りの駅へ向かい、夜9:00に練習が終われば他校で野球をやっている中学の同級生と近所の公園で待ち合わせをし、夜11:00頃まで自主練のための寄り道をする。それが終わるとアイスを食べながら自転車に乗って帰る。

いま思えば、明らかにオーバーワークで何をそんなに生き急いでいたのかわからない。練習はキツくまた怪我をしてからは騙し騙しの毎日が辛かったが、やっぱり一心不乱にひたむきに瞬間を生きている時間というのはそれでも楽しいのだ。


テレビではわからない景色が見たい。それが甲子園でありプロ野球という舞台だ。

満員のスタンド。ナイター照明。電光掲示板。アナウンサーと解説者による実況中継。でも、実際にグラウンドに立ってみなければ感じ取ることのできないものがある。

土の匂い。芝の匂い。ボールを打つ音。ボールを取る音。ボールが空気を切る音。スパイクが土を踏む音。ベンチから飛ぶ声。決してテレビではわからない。だからこそ、その舞台へ立ってみたくなる。観客席ではなく、ダイアモンドの中へ。


「針がおりる瞬間」。本来ならレコードの針が落ちる瞬間なのだろう。しかし野球を歌った曲として聴けば、それはプレイボールの瞬間のことでしかない。

球審のプレイボールという声と共に投手が投球動作に入り打者が構える。捕手がミットを構え野手の姿勢が低くなる。一瞬球場が静まり返る。投げる。打つ。走る。試合が始まり張り詰めた緊張感が弾けるその瞬間の鼓動を焼きつけるのだ。


「素敵なコレクション」というこの一節。もちろん野球選手が集めるものは宝石などではない。

ヒット。ホームラン。勝利。ファインプレー。
でも、本当に集めているものは数字や結果だけじゃない。忘れえぬ場面なのだ。

初めてヒットを打った場面。初めて試合に勝った場面。初めてエラーした場面。最後の打席。最後の試合。仲間と抱き合った瞬間。ベンチで泣いた瞬間。そういう場面をひとつずつ自分の人生の中に並べていくのだ。

だから、もっともっと並べたい。となる。


そして、このくだり。
ここまで来ると俺はもうこの曲が野球のことを歌っているのを確信する。でも安心してください。パンツは履いています。

朝が早くても。夜が遅くても。暑くても。寒くても。怒られても。試合に出ても。試合に出られなくても。結果が出ても。結果が出なくても。勝っても。負けても。子どもの頃に野球を始めてそこに本気で打ち込んだ人間は、なぜか野球から逃れられない。不治の病みたいなものである。


サビの「ダイアモンド」という言葉。まさに野球のグラウンドそのものを表す言葉である。

四つのベースを結んだ内野のフィールドを指す言葉だ。

そして「いくつかの場面」。
野球人生というのはいくつもの忘れえぬ場面の集合体だ。

あの一打、あの一球、ひとつひとつのプレー。そしてあの勝利も、あの敗戦も。積み重ねたすべてが自分だけのダイアモンドになる。


今、自分を動かしているのはあの時のダイアモンドだといえる。夢を追って野球に打ち込み、そして怪我をして挫折したあのグラウンドだ。

土の匂い。滝のように流れる汗。素振りで豆を潰し血が滲んだ掌。先輩に隠れて啜った消火栓に溜まった泥水。毎日のロードワーク。1日5食。さまざまな理不尽。不良仲間からの期待。ボロボロになった膝。嬉しさと悔しさ。支え合ったチームメート。一球。一打。一勝。それらが、俺のその後の人生まで動かしているような気がする。

息子が野球を始めると同時に指導者として関わるようになり、以来、息子に手が離れた今でも中学硬式野球クラブチーム代表として、いまだに野球から逃れられずにいるのは、偶然ではないのだろう。


*****

と、ここで終わればよかったのだが、俺はうっかり余計なことを思い出してしまった。

『ダイヤモンド』という映画をご存知だろうか。

出典:映画.com

実はこの作品は元プロ野球選手が多く出演している。

主演は俺にとっての憧れの選手だった高橋慶彦。
その他に、元木大介、パンチ佐藤、松永浩美、愛甲猛、ギャオス内藤など、9人もの元プロ野球選手たち。

ところが、その人たちが映画の中で何をしているかというと、草野球を愛するヤクザを演じている。彼らは野球をやめて俳優業という第二の人生を始めた。……と思ったら、やっぱり劇中で野球をやっている。

あらためて俺は確信した。
でも安心してください。パンツは履いています。

野球とはスポーツではない。いや、スポーツではあるのだが、単にそれだけではない。

野球とはきっと不治の病なのだ。

一度罹ってしまうと、野球をやめることはできても野球に関わることはやめられない。

選手をやめても指導者になる。指導者をやめても解説者になる。解説者をやめても草野球をする。草野球をやめてもテレビで高校野球を見る。それをやめても「俺の現役時代はな」と言い始める。

もう治らない。

だから「Diamonds」の歌詞にある「年をとっても、やめられない」という感覚が、歳をとるほど妙にリアルに思えてくる。

野球を始めた少年は、いつか野球をやめる。でも、野球を始めたことだけは、いつまでもやめられないし、そこから逃れることはできない。

野球とは、そういう不治の病なのだ。


どうでもいいか。どうでもいいな。

 

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  • 上田 豪 広告・デザイン/乗り過ごし/晩酌/クリエイティブ


    1969年東京生まれ フリーランスのアートディレクター/クリエイティブディレクター/ ひろのぶと株式会社 アートディレクター/中学硬式野球チーム代表/Missmystop