ごあいさつ
始まりました。田中泰延のふたりごと。
これ、ラジオ大阪さんとつけたタイトルなんですけど、かぶってますよね。先に街クリでスタートしている「米澤渉のふたりごと」と。でも、“ふたりごと”がわかりやすいので、このままいこうと思います。
「米澤渉のふたりごと」も、もともと「誰々の」で変えていけるねと話してつけた連載名だったのですが、まさかその第2号が自分になるとは思っていませんでした。
さて、ここで10年前の私であれば「さて、僕はふだん、広告代理店でテレビコマーシャルの企画をしたり、ポスターや新聞広告のコピーライターをしています。」と続くところ。
実は今回の書き出し、私が初めて「街角のクリエイティブ」で「田中泰延のエンタメ新党」の記事を出したときの書き出しに合わせています。
その後、挨拶が「青年失業家」に変わり、さらに「ふだん出版社の代表をつとめる僕」に変わりました。10年ってすごい変化ですね。
ということで、あらためまして。
ラジオ大阪で毎週土曜の夜、18:45〜19:00に放送される「FIRST DOMINO presents 田中泰延のふたりごと」。

放送:毎週土曜 18:45〜19:00
その収録の様子を撮影した動画と、トークを再構成した記事を、これからここ「街角のクリエイティブ」でお届けしていきます。
ラジオ番組は、FIRST DOMINOさんの提供による放送です。
55も過ぎて、ラジオパーソナリティという新たな挑戦の機会を僕に与えてくださったFIRST DOMINOさん、ラジオ大阪さんに、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございます。
初回ということで、放送では自己紹介をしています。
2回目からはゲストが登場します。記事もひろのぶと株式会社 編集の廣瀬翼がラジオ放送の内容を読みやすく編集したものを掲載します。
というか、実は今回のここまでも、田中泰延が書いたテイでわたくし廣瀬翼が勝手に書き進めています。
しかも、こんなに書くなら放送部分のテキストはなくてええんちゃうか言うたら、「いや、泰延さんが番組デビューで何を話したか、文字で知りたい人は絶対います!」と言い張る廣瀬。
なら、放送のテキストだけでええんちゃうか言うたら、「街クリには別の“ふたりごと”もある説明と、FIRST DOMINOさんへの感謝、記事・動画スタッフをお伝えしましょう」と言い張る廣瀬。真面目か。
そんなわけで興味のある方は、この後から放送で話したことが続きますので、ぜひご一読ください。
YouTubeの動画は、ひろのぶと株式会社社員で株式会社街クリ取締役の加納穂乃香による編集です。入社時の「マルチに活躍する」宣言を有言実行。偉人。
そして、番組バナーは、もちろん当社アートディレクターの上田豪さんがつくってくださいました。いやー、うれしい。これつくるために、夜の銀座に撮影しに行きましたからね。
とまあ、全社一丸で取り組んでいます。これから皆さんの毎週の楽しみにしていただければ幸いです。
田中泰延
田中泰延の自己紹介(2025年11月1日放送)
「自己紹介して」と言われまして
田中
記念すべき第1回ということで、まずは「自己紹介して」と言われまして。
この番組はゲストをお招きしてお話しする「田中泰延のふたりごと」なのに、いきなり「ひとりごと」です。
まあ、問われて名乗るもおこがましいが、知らざあ言って聞かせやしょう、という感じで、自己紹介させてください。
大阪生まれ、大阪育ちです
田中
あらためまして、田中泰延(たなか・ひろのぶ)と申します。
大阪生まれ、育ち。大阪は豊中市、いうても庶民の町「庄内」の生まれ・育ちでございます。
高校まで大阪。上本町の清風高校を卒業しまして、大学は東京へ行きました。早稲田大学。でもね、第二文学部、当時あった夜間大学なんですよね。
で、大学に行くために東京へ行ったんですけど、住むところがない。
カバン一つさげて、慶應大学の一人暮らしの友達の家におしかけて、居候させてもらいました。
まあそれが、バブル真っ最中の1988年のこと。
いきなり学生企業に参加
田中
最初の1年は、なんと学生企業というものがあったんですよ。学生が会社をつくっている。そこに入りまして。
大阪と東京に会社があって、いろんな大学の学生30人くらいの集団でした。
みんなそれぞれが目標は「東証に上場する企業をつくる」。
大企業をつくるんや。それも、この30人みんなでつくるんじゃない。それぞれ、一人ひとりが東証に上場すんねんって、すごいこと言っていたんですよ。夢みたいな話でしょ?
でもね、その仲間は今、たくさんの企業の創業者や社長や役員に、本当になったんですよ。
DeNAとかGMOとか、仕事探しのIndeedとか、人材派遣のPERSOLとか。ほんまに、そないになったんですよ。みんなが起業して、大企業になった。
その学生企業では僕、1998年の1年頑張ってついていって、仲間として認められたんですけど、さすがにその人らの気迫にはついていけないということで。学生なのに、すごい奴らやなと。
そこは退職して、今度は運送会社に就職しまして。大学は夜ですから。昼間はトラックの運転手になりました。で、夜は大学に通うと。
シューカツ? なんやそれ?
田中
でもね、大学4年になったら、まわりのみんながスーツしてネクタイしてキャンパスへ来よるんですよ。
「なにしてんねん、ネクタイして。自分らそれ、七五三か?」言うたら、「あほ言うな、シューカツや」と。
「なんやそれ? シューカツて。ヒレカツかメンチカツの仲間か?」いうて訊いたら、「ボケたこと言ってんじゃねえぜ。就職活動じゃん」って東京弁で言われまして。
で、「スーツ持ってへんがな、わし」言うたら、「丸井でゲップで買え」言われまして。
「え? 炭酸水でもようけ飲んでゲップしたら、スーツが買えまんのか」言うて、いやいや言うてませんけど、月賦でスーツを買いまして。
「シューカツはどこ受けたらええのん?」言うたら、「1番人気は電通や」言われまして。
電通? 広告代理店?ようわからんけど、とりあえず行きまして。そうしたら、面接に進みました。
トラックの止め方を話していたら合格に
田中
面接官にね、「君何やってんねん」って言われて「いやー僕昼間は、大学は夜なんで、トラックの運転手やってます」言うたら、「なんだそれは」と言うから。
「いや、トラックいうのは面白いんですよ。止まるにも、普通のフットブレーキは重たいから止まりませんねん。荷台にいっぱい荷物積んでますから。排気ブレーキをシューいうて引いたら、ギューいうて止まります、これが面白いんです」言うたら……。
面接官の人がですね、「お、なんか面白そうやな。俺もトラック運転してみよかな」言うたんですよ。
それで、「え、ちょっと待て、なんで俺がトラックの運転すんねん。お前の面接や、お前がうちの会社で働けや」って、もうそれで合格ですよ。わけわかりません。
そんなこんなで、電通に入りまして。
で、僕、営業志望だったんでですよ。営業が何するか分からないんですけど、まあ外ウロウロするんやろうなと思ったら……。
違うと。なぜか適正を検査されまして、「お前は、クリエーティブ局のコピーライターになれ」と。
「え? 僕がコピーライター?そんなん文章とか書いたことありませんよ」って。
「いや、とにかくなるんや」ということで、コピーライターとして電通で働くということになりました。
阪神淡路大震災をきっかけに、再び大阪へ
田中
そうこうしているうちに、1995年の阪神淡路大震災が起こりまして。父親の住む大阪の実家が全壊しました。
大阪に戻って家族と暮らしますいうことで、大阪・堂島の関西支社、電通の関西に来まして。大阪の電通でコピーライターを続けると。
その間に結婚して子供も授かりまして、24年間勤めたんであります、が……。
46歳の時ですよ。2016年、忘れもしない。
壁に「早期退職」という張り紙を見まして。それ見てね、特に何も考えずに辞めてしまいまして、奥さんもびっくりしたと思います。
電通コピーライターから「青年失業家」に
田中
辞めてどうするかと言ったら、何もしないんですよ。ほんまに無職。
で、「青年失業家」を勝手に名乗りまして。青年実業家ちゃいますよ、「青年失業家」ですよ。
ぶらぶら無所属・無収入の日々を過ごしてたんですけど。
その間、インターネットにお金に全然ならへん映画評なんかを書いていたんですが。
それを読んだ出版社・ダイヤモンド社の編集者さん、今野良介さんいう方に「本でも書いてみいひんか」と言われまして。
『読みたいことを、書けばいい。』を出版
田中
「えぇ〜? 僕、本でっか?」ということで、2019年に生まれて初めて書いた本がダイヤモンド社から出た『読みたいことを、書けばいい。』という本です。
これがね、生まれて初めて書いた本なのに、ありがたいことにものすごい売れまして
アマゾン全書籍で第1位!
紙の本16万部突破!
みたいなビギナーズラックに恵まれたわけではあるんですが——。
本いうたら著者、書いた僕の収入というは、いわゆる印税でしょ?
でもそれがね、そないに多いわけでもないんですよ。
初めて知った、著者の収入
田中
1,500円の本の印税は1割やから、150円ですよね。
そこから所得税・住民税・社会保険と引かれますと、1冊売れて100円も現金収入あらしませんのですよ。
本1冊売れたら、もうちょっと儲かると思いません? でも、100円とかですよ。
だから僕ね、友達に「お前の本、売れてるらしいやん。買うたろか、俺も?」と言われたら、「いやいやいや、買わんでええ、読まんでええ、今100円ちょうだい」言うて、ほんまに100円もろてました。
そんな生活をしていたんで、書いた本がベストセラーなったと言うても、2年ぐらい無職でしょ? 青年失業家といってお金全然稼いでなかったんで、さらに1年ぐらいかけて本書いて、やっと売れたと言うてもね。
3年でのべたら、1年あたりで言うと、年収にしたら全然少ないわけですよ。
それなら自分が始めてみよか
田中
まあ、自分の本が割と売れてみて思ったのが、これは本書く人は大変やなと。
そやったら自分は、本書いた人に印税をちょっとでも多く払う出版社をつくってみたらどうやと、その時思いついたんですね。まあ、起業ですわ。
で、2020年に始めたのが、自分が社長の出版社「ひろのぶと株式会社」です。
私の名前が「田中泰延」。
それが、私が社長で、あと株主さん、社員さんがいてますから「ひろのぶ、と、株式会社」。「ひろのぶ & 株式会社」。そういう、変な名前の出版社です。
でも、よそよりも印税高いんですよ。
一般的に業界的には1割ですけど、2割スタート。これがもっと売れていったら、3割、4割、最大5割と上がっていく「累進印税」というのを導入しています。これもう、商標登録の出願していますから。
そういう、変わった出版社です。これまで6冊の本を、当社から刊行しています。
社長業は、人とたくさん会う仕事
田中
これで社長業が5年になるわけですけど。
社長になってみたって、それまでサラリーマンやったわけなんで、ほんま、知らんこと・分からんことばっかりなわけで、ここまで5年来てしもうたわけですよ。
でも社長という仕事は、人とたくさん会います。ほんまに、人と会うのが社長の仕事。
ほんなら、もっともっといろんな人に話を聞いてみようと思っていたところ。
こちらラジオ大阪さんから番組の機会をいただきまして。
これが、毎週土曜の夕方、始まります、こちらの番組「田中泰延のふたりごと」。
今日は「ひとりごと」ですけど、「ふたりごと」いうわけですから、ゲストにお越しいただいて、なんでも僕がゲストの方に聞いていく番組です。
カフェでね、隣の2人組が喋っているのを聞くような気分で聴いてもらえたらいいなと思っています。
今日の曲紹介|EPO「DOWN TOWN」
この番組では、毎回ゲストに1曲、思い出の曲や大好きな曲を紹介してもらおうと思っています。今日は、 僕・田中泰延から紹介の1曲です。
EPOの「DOWN TOWN」
これはね、山下達郎さんが書かれた曲で。
僕が小学校・中学校の頃、土曜の夜といえば「おれたちひょうきん族」という番組がありまして、そのエンディングでかかってたんですよ。ものすごく笑った番組の最後にこれ聴くと、僕もう「土曜の夜や! 明日は休みや! 自由や!」とわくわくしました。
そんな気持ちで土曜のたそがれどき、1曲お付き合いください。
(編集:廣瀬翼)

放送:毎週土曜 18:45〜19:00
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