金曜日担当の加納です。
夏休み期間中にいろいろおもしろいことがあったので、
それはまたの機会にどうか聞いてください。
今日は、
8月11日に父と2人で、広島県 福山市に住む大伯母さんの家に宿泊したお話をすることにします。
大伯母さんは、父方の祖父の下のきょうだいです。
祖父には10人くらいのきょうだいがいて、
大伯母さんはいったい何番目のきょうだいだか分かりません。
今日は家がにぎやかになる、とあたたかく迎えてくれました。
* * *
夜、寝る前にお茶を飲んでいて、
テレビでは戦争や原爆の特集をしていました。
一緒に見ていた大伯母さんが、「おじさん(大伯母さんの夫)は胎内被曝だったんよ」と話しだしました。
私は「胎内被曝って、母親のお腹の中で被曝したってこと?」と聞きました。
「そうよ。おばあさん(夫の母親)は戦時中、おじさんのことを妊娠していて近くの島に離れて暮らしてたんよ。
広島に原爆が落ちて、大変なことが起きたらしいって2、3日のうちに市内におじいさん(おばあさんの夫)を探しにいって、入市被曝したんよ。」
「にゅうし被曝?」
「原爆が落ちてきた時には別の場所にいて、その後に市内に入って被曝した人のことを入市被曝いうんよ。
でも、おじいさんは原爆が落ちる前に戦争で亡くなってたんよ。」
「じゃあ、会えなかった……」
「会えなかった。
おばあさんは、軍の建物の場所が分かってたからそこを目指して行ったけど、建物もなくなってた。
骨壷だけもらって、中にはおじいさんの名前の書いた紙切れ一枚だけ入ってたって。体も骨も戻らなかった。」
「紙切れ一枚でこの人は戦死しました。って通知が来て終わりってこと?」
「そうじゃ。紙切れ一枚で徴兵されて、紙切れ一枚になって帰ってくる。とても考えられんよ。
そのときおばあさんは、足元の石を拾って骨壷に入れてそれを遺骨の代わりにしたんよ。今もお墓に入ってるって。」
仏間に兵隊の格好をしたモノクロの遺影がありました。
35歳前後に戦争で亡くなったそうです。
「広島平和記念資料館ってあるじゃろう。リニューアルするずっと前におばあさんと行ったんよ。
そしたら展示を見たおばあさんが『きれいなお人形さんだねぇ』って言うんよ。」
「私、小学校の修学旅行で展示を見た時すごく怖いって思ってすぐ離れてしまった。」
「普通はそうじゃろ。でもおばあさんが実際にみた光景はもっともっとひどくて、皮膚が垂れ下がるって言うけど、そんなもんじゃないって。
だから展示がきれいに見えたんよね。」
普段、誰にもあまり話さないことを今日はよくしゃべったわ。と大伯母さんは言いました。
翌朝、出発前にもう一度、仏間へ行きました。
平成のおわり頃に亡くなったおばあさんの遺影はおばあさんだけど、
戦争で亡くなったおじいさんの遺影は青年の兵隊です。
2人が共に生きていけたなら。
加納穂乃香
日常
ひろのぶと株式会社 事務局長。株式会社街クリ 取締役。パンチニードル職人。