看板やバッチで勝負するな。
映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』
連載5回目になりました。ふだん広告代理店でコピーライターやCMプランナーをしている僕が、映画や音楽、本などのエンタテインメントを紹介していくという田中泰延のエンタメ新党。かならず自腹で払い、いいたいことを言う、をテーマに続けること5回目ですが、あいかわらずひどいタイトルのままです。
エンタメ新党。エンタメ新党。いま2回声に出して読んで泣きそうになりました。
そもそも普通の善良な会社員である僕が、なぜこのようなひどいタイトルのコラムを書くことになったのでしょうか。それは、こちらの方、西島知宏さんに声をかけられたところから始まりました。西島さんはこの『街角のクリエイティブ』というサイトの編集長です。
この、巨大なろくろを回す人物です。

そんな飛ぶ鳥を落とす勢いの西島さんとの
「田中さん、私のサイトで映画や本を紹介する連載をしませんか。何かしなければ、今やあなたは飛ぶ鳥が落ちる勢いだ」
「お断りします。まず、最後の一言が余計だ。また、あなたはそれで儲かるのかもしれないが、僕にとってはなんの利益もない行為だ」
「原稿料をお支払いします」
「すぐ連載します。あなたはいい人です。わたしはそれを知っていました」
という、なごやかな会話のあと、彼は
「タイトルは、田中泰延のエンタメ新党で決定だ」
と高圧的に言い放ちました。それはひょっとして「マツコ&有吉の怒り新党」を前の晩にテレビで見たからではないか? しかもそれは「怒り心頭」という言葉のダジャレになっているから面白いのではないか? と僕が疑義を呈すると、西島さんは「ほかにも候補はなくはない」と
●田中泰延の「見たけど記憶にございません」
●田中泰延の童貞の気持ちで見たエンタメコラム
●田中泰延のエンタメあほんだらぼけかすっ
などの捨て案を提示しつつ、服を脱ぎ捨てました。

「すみません。最初の案がすばらしいです。二度と反論しません」僕は平和を好むハト派です。鳩山由紀夫のように平和を愛しています。一も二もなくタイトルは「エンタメ新党」に決定しました。
さて、暴力に屈しながらも今回観た映画は、『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』。
出典:YouTube
連載第1回の『フォックスキャッチャー』、第2回の『アメリカン・スナイパー』と同様、実話をベースにした物語で、本年度のアカデミー賞®作品賞候補になったことも共通のこの映画。
第二次世界大戦中にナチスドイツの暗号、「エニグマ」を解読し、イギリスを勝利に導いた数学者の話です。
エニグマ? なんとなく聞いたことはあります。わたしたちは映画が始まってすぐ、この映像を見せられます。

出典:YouTube
えっ? クマ? このクマが「エニグマ」なのか? これと戦う話なのか?
全然違いました。これは「ブラック・ベアー・ピクチャーズ」というこの映画の制作会社でした。

たいへんまぎらわしい制作会社の紹介です。映画館に来た100人中132人がこのクマのことを「エニグマ」だと思うでしょう。猛省を促したい部分です。
それからやっと本編がはじまるわけですが、日本側がつけた副題が長い。もとの題名は“The Imitation Game”それだけです。なのに日本語版は『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』となっています。なんでそんなに説明するのでしょうか。そこはかとなくB級映画感が醸し出されています。このB級方式でいくとすべての映画が『ルパン三世 カリオストロの城/ニセ札と集団窃盗犯の秘密』とか『となりのトトロ/巨大生物と小学校低学年女子児童の秘密』などとされてしまい、まったく不要な部分が生じてしまうことは明白です。これではまるで蛇に足を描き加えるようなもの、という上手な例え話をいま思いつきました。
また、原題の “ The Imitation Game ” からなぜTheをとったのでしょう。英語におけるTHEは大変重要なものです。たぶんそうです。そんな気がします。質問しないでください。でも取ってしまいました。これにはたぶん理由があって、「ザ」と読んではいけない難しさがあるからだと思います。そうです。義務教育を思い出してください。母音の前のTHEは「ジ」と読むのです。そうすると正解は「ザ」ではなく「ジ・イミテーション・ゲーム」ですので、多くの日本人がウッカリ間違ってしまいます。過去の日本の映画界には大変な間違いもあったのです。

…もういいかげん映画の中身の話をさせてください。主人公、実在した数学者、アラン・チューリングを演じるのはベネディクト・カンバーバッチ。

間違えました。これは嶋田久作さんでした。顔が長いのでつい間違えそうになりますが、こっちです。テレビシリーズ『シャーロック』で人気を博したこの人です。

そのアラン・チューリングと深く関わる女性数学者、ジョーン・クラークを演じるのはキーラ・ナイトレイ。

また間違えました。元気があればなんでもできるのですが、これは一緒にはできません。違います。

キーラ・ナイトレイは美人です。美人ですが少しだけ猪木に似ているのです。
主演の2人、ベネディクト・カンバーバッチとキーラ・ナイトレイが話し合うシーンになると僕はもう、いつ長い顔同士がぶつかるかとハラハラドキドキしました。もしこの映画にNGシーン集があれば、衝突事故映像集のようになったのではないかと心配です。
物語は意外にも、1951年、数学者アラン・チューリングの家を刑事が訪れる、というシーンから始まります。チューリングが警察を追い払おうとする態度に、刑事は疑いを持ちます。
そして時間は1939年に戻り、イギリスがドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦が始まるところが描かれます。
さらにはもっと遡って1928年、まだ学生だったアラン・チューリングと級友の交流の話に飛びます。
映画は、この3つの時代を行ったり来たり行ったり来たりします。しかも、いちいち「1951年」とか出ません。パッとカットが切り替わって時間軸がバラバラに切り貼りされながら進むのです。そんなに頭がこんがらがるようなことはないのですが、もし僕が後期高齢者の2人に挟まれて観ているとしたら、いちいち右を向いて「ずいぶんと昔の話に戻ったよおばあちゃん、高校の制服を着ているだろう」左を向いて「おじいちゃん、また後日の話になったよ、ほらあの刑事がでてきただろう」とずっと首を左右に振りながら観る羽目になったでしょう。
さて、行ったり来たりはしますが、物語の中心になるのは1939年からの話。天才数学者を自負するチューリングは、自ら政府に申し出て、ドイツ軍が駆使する最強の暗号、「エニグマ」を解読する任を負います。
チューリングは非常に尊大で、人とコミュニケーションする気がありません。現代なら彼は「アスペルガー症候群」と診断されそうな感じです。その姿は映画『ソーシャル・ネットワーク』で描かれたFacebookの創始者、マーク・ザッカーバーグにも通じます。
イギリス軍は、暗号解読チームとしてチェスのチャンピオンなど5人の男を集め、チューリングをリーダーとしますが、彼は他のメンバーを見下していて、目もくれません。
ナチスの「エニグマ」は複雑極まりない暗号でした。膨大な数の歯車を使い、その組み合わせはなんと15京9000兆通り。暗号解読のパターンをすべて試すには、10人がかりで24時間働き続けて2000万年かかるという代物でした。そして、暗号でイギリス攻撃の指令を出した1日の終わりの深夜0時には、また歯車の設定を変えてきます。夜中に設定を変える、ナチスよ、お前はパチンコ屋か。解読チームが地道な作業をしても、深夜の鐘が鳴るとまた振り出しに戻る。そうしているうちにも毎日、ドイツ軍にやられてイギリス人が死んでいくのです。
チューリングはチームと打ち解けず、ひとりで巨大なマシーン、「bombe」を組み立て、その機械を「クリストファー」と呼びます。「エニグマは機械が作る暗号だ。機械には機械で対抗する」というのが彼の考えでした。この「bombe」こそ、現代のすべての「コンピュータ」の先祖にあたるものなのです。
僕はコンピュータの先祖は『コンピューターおばあちゃん』だと思っていたのですがとんだ間違いでした。

しかし、次第にチューリングとチームの軋轢は深刻になってきます。そこに現れたのが女性でただひとり、暗号解読チームのクロスワードパズル試験に合格したジョーン・クラークです。彼女は最初、女だからという理由で軍に相手にされません。当時、イギリスでの女性差別は深刻でした。ところが、その才能を見越したチューリングによってチームに引き入れられます。ジョーンは、チューリングに少しづつ、周囲との打ち解け方を教えます。ジョーンとチューリングは公私ともにパートナーとなっていきます。独身のままでは実家に仕事を続けさせてもらえない、というジョーンに、それならと婚約を申し出るチューリング。
しかし。話は1951年、戦後に飛びます。そこでは、チューリングが刑事に逮捕されるシーンが描かれます。じつは、チューリングは同性愛者だったのです。そうです、当時のイギリスでは同性愛もまた、激しく差別されていました。それは犯罪とされていたのです。
さらに、時代は1928年に戻り、学生時代のチューリングがいかにして同性愛に目覚めたかが語られます。同級生に思いを寄せるチューリング。同級生は若きチューリングに、この世界との関わり方を教えます。彼は人との隔たりに苦しむチューリングに言います。「時として思いもよらない人が、思いもよらない事を成し遂げる」と。しかし、彼は結核でこの世を去ってしまいます。その彼の名前こそが「クリストファー」だったのです。
劇中で映し出される巨大な機械、「クリストファー」は現存する「bombe」の外観を再現したもので、その巨大さ、無数につながるコードの束…思いっきり「マシーン萌え」するように描かれています。

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こういうのを思い出して胸熱なんですけど、そんなこと言われてもみんな困ると思いました。すみませんでした。とにかく、愛した男の名前をつけるほどに、チューリングはこのマシーンを人格視しています。
そうなんです。チューリングこそが、戦後さらに人工知能を提唱し、人間の思考とAIの区別がなくなる可能性を指摘したのです。そのとき、機械が人間と見分けのつかないレベルにまで人をだませるかどうか? をはかるテストが、 “ イミテーション・ゲーム ” と呼ばれたものなのです。この映画でも、チューリング自身が刑事とそのテストをするシーンがあります。このシーンは、映画『ブレードランナー』を彷彿とさせますね。

『ブレードランナー』の劇中でレプリカント(人造人間)を見分ける手段として使われる「ヴォイト=カンプ テスト」はチューリングが考案したゲームが基になっていますし、その1シーンをさらに『イミテーション・ゲーム』が引用するといった映画史的な円環構造がここにあります。
さて、せっかくジョーンと婚約したチューリングでしたが、同性愛者である自分のことを考慮して、婚約を解消します。しかし、ジョーンとチューリングはその後もお互いの理解者であり続けます。ジョーンも、あの亡くなったクリストファーと同じ言葉を口にします。「時として思いもよらない人が、思いもよらない事を成し遂げる」と。キーラ・ナイトレイの演技は、優しさと激情、機知と情熱、すばらしいものです。
映画の方は徐々にチームが一丸となって、「エニグマ」と対決するヤマ場にさしかかってきます。クールなアオレンジャー、カレー好きなキレンジャー、紅一点モモレンジャー…そんな感じで、ここから映画はなんと「戦隊萌え」になります。
ある日、意外なキッカケから暗号解読のヒントがひらめき、メンバーは「クリストファー」に駆け寄ります。取り憑かれたように解読へ突っ走るチーム。うなりをあげる巨大なアナログマシーン! 最高に戦隊萌え、マシーン萌えの瞬間です。ついに戦隊は悪の敵組織の毒暗号を激解読します! これでドイツの爆撃から家族が救える! もうドイツの潜水艦に船が沈められることはない! やったー!
でも、そうはなりませんでした。チューリングらの功績で、確かにエニグマ暗号は丸裸にされたのです。ナチスの通信はすべて筒抜けになったのです。しかし、すぐに同胞の命は救えないのです。史実に基づいた、この非情な展開は、どうかぜひ劇場で目の当たりにしてください。
チューリングたちは、エニグマを解読したことも、ここでチームとして働いたことも、全部忘れるように命令され、解散させられます。すべては、なかったことにされてしまうのです。

そして戦後、「クリストファー」とふたりきりで暮らす彼は、同性愛者への強制治療であるホルモン注射を受け、肉体と精神を病んでいき、非業の死を遂げます。41歳の若さでした。
この映画は、あまりにも構成が緊密で、多くのテーマを詰め込みすぎた感もあります。
●天才の生涯●アスペルガー的な人間と世界との関わり●裏から見た戦争の真実●暗号解読ミステリー●マシーン萌え●戦隊萌え●スパイもの●女性差別●マイノリティー迫害●国家と個人●人間と機械●そして、一途な愛とは…
ただ、これだけの要素をクロスワードパズルのようにはめ込んで、なおかつ時代が行ったり来たりする構成なのに、誰が見ても話がわかる。監督のモルテン・ティルドゥムは、まさかのノルウェー人でした。

まだそんなにたくさん商業映画を撮っていない人ですが、かなりの豪腕だといえると思います。当時のイングランドの空気を醸し出す美術や衣装、美しい構図も見事です。
イギリスを舞台にした映画なので、主演の2人はもちろん、イギリス人俳優たちが脇を固めています。英国情報部員を演じるマーク・ストロング。

堅物の中佐にチャールズ・ダンス。

軟派なチェス王者に扮するマシュー・グード。

とにかく芸達者の演技合戦は重厚のひとことです。彼らの操るイギリス英語がまたいい。ほんとうは僕には違いがわからないんですけど、イギリス英語です。あなたがもし友達と浅草を歩いていて、急に英語で話しかけられてさっぱりわからなかった場合、こう言えば大丈夫です。
「いやぁ、アメリカ英語はわかりにくいわ~。イギリス英語でないとなに言ってるか本当にわからない。今のはアメリカ南部の人かな」
そしてなにより、ベネディクト・カンバーバッチの演技が素晴らしい。複雑な人間性を演じきった、一世一代の名演といっていいでしょう。僕は会社に入ったとき、「企業の看板で商売するな、お前の個人商店だと思え」「背広につけてる会社のバッチで信用されるな、お前自身が信用されろ」と言われました。その点でいくと、ベネディクト・カンバーバッチにとって、看板バッチという名前は非常に重荷だったに違いありません。しかし、彼は彼自身の実力で真の演技派という名声を掴んだのです。
この映画は、他人とうまく交流できない病気を抱え、そして性的マイノリティである彼の末路を描く悲劇だと捉えることもできるでしょう。しかし、視点を変えればこれは、異端であることを恐れなかった者の偉大な勝利の物語です。
チューリングの功績は隠されましたが、エニグマの解読は最終的には戦争の集結を2年早め、ドイツ軍から救った命は1400万人にのぼると試算されています。
彼は異端者であるがゆえに人類史に大きな足跡を残したのです。世界初のコンピュータを開発し、人工知能の実現性を指摘した彼の功績をたたえ、いまではコンピュータ技術に貢献した人物に、コンピュータのノーベル賞といわれる「チューリング賞」が授与されます。
“Sometimes it’s the very people who no one imagines anything of who do the things that no one can imagine.”
「時として思いもよらない人が、思いもよらない事を成し遂げる」
劇中、何度も繰り返されるこの言葉こそが、この映画のメッセージです。そしてこの言葉を聞いた現代の私たちは、“Stay hungry, stay foolish”の名言を残したAppleの創始者、スティーブ・ジョブズのことを思い出すことでしょう。
この映画には、何度もリンゴが出てきます。最初に刑事に見せるリンゴ、チューリングが仲間と打ち解けるために配ったリンゴ。リンゴは聖書のアダムとイブの物語の時代から知性の象徴で、特に科学の分野ではニュートンのリンゴが知られています。チューリングが謎の死を遂げたとき、傍らに齧りかけのリンゴがあったといわれ、チューリングを敬愛するスティーブ・ジョブズは齧りかけのリンゴをAppleのマークにした、という説もあるのです。
この映画は、アカデミー賞®で多くの賞にノミネートされましたが、結果として脚色賞を受賞しました。その脚本を書いたグラハム・ムーアのスピーチが感動的でした。彼は少年時代に自殺未遂をしたことを明かし、「人から変わり者だと呼ばれ、居場所がないと感じている人たちへ。変わり者のままでいい。そのまま生きていけばいい。あなたが、いつかこの舞台に立つことがあったら、僕と同じメッセージを伝えて欲しい」
僕、この映画を観て思い出したんですけど、大好きなショートムービーがあるんですよ。
HONDAの、アイルトン・セナの軌跡が鈴鹿サーキットで走る映像など、CMの世界で国際的に活躍し、AKB48の『恋するフォーチュンクッキー』のビデオも手がけた関根光才さんが、2005年に撮った『RIGHT PLACE』という5分間のショートムービーです。

誰かに、自分を合わせようとしなくていい、必ずあなたの居場所はこの世界のどこかにある。だからこそ、会社で万年平社員で、査定評価が最低の僕でも、バカにされようが、友達がいなかろうが、だれも昼ご飯に誘ってくれなかろうが、後輩より給料が少なかろうが、ツイッターだけしてる人と言われようが、えー、書いててだんだん死にたくなってきましたけど、それでも自分を信じてすべきことを続ければ、必ずなにかができるはずです。僕はこの『イミテーション・ゲーム』を観て、忘れていた勇気をもらった気分です。

映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』オフィシャルサイト