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サラマトフの親子【連載】田所敦嗣の出張報告書<第21回>

田所敦嗣


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記憶に残る出来事は、人から何かを得たり学んだ瞬間よりも、人と何かが通じ合ったときに生まれると、僕は感じている。

先日、都内の居酒屋で宗教学を研究する教授と宗教と食べ物について話したことがきっかけで、昔の記憶が一気に蘇った。

二十年前、僕は仕事で数か月間、アラスカ各地に滞在した。拙著『スローシャッター』の一篇にも登場する少年・アプーとは、チグニック(Chignik Lagoon)で知り合ったが、そこから約800キロ北東に、サラマトフという小さな町がある。

そこでの主な仕事は、毎日のように水揚げされる鮭から採取される魚卵を検品し、イクラや筋子用に仕分けていく作業だった。
昼夜を問わず漁が続くため、とにかく検品の時間は不安定だった。
サラマトフの工場は小さかったが、ハイシーズンになればアメリカ本土から多くのワーカーがやってきて、工場内も賑わった。

その工場を切り盛りするロッド(Rod)は、四十代前半の大柄な男で、顎には大きな髭を蓄えていた。
初めて挨拶をしたときも素っ気ない態度だったが、ワーカーの話によれば、彼は普段からあまり余計な話をしないらしかった。

アラスカ各地での滞在では、ホテルやモーテルといった気の利いた宿泊施設は、比較的大きな街へ行かなければなく、工場の脇にある小さなロッジやゲスト用のトレーラーハウスに泊まることがほとんどだった。
中には水もろくに出ないような場所もあったが、ロッドが用意してくれたトレーラーハウスにはキッチンやテレビも常設されていて、とても快適だった。

滞在して2日か3日目、ロッドに「トレーラーハウスの居心地はどうだ」と話しかけられた。
それが、私語らしい私語はほとんどない彼との、数少ない会話だった。
残りのほとんどは仕事に関するやり取りばかりだった。

ある日、漁獲量がピークを迎える頃、ロッドの家族も工場に手伝いに来ていた。
その中には幼いロッドの愛娘も交じっていて、まだ10歳から12歳くらいの小学生だった。

彼女は、日本人である僕が少し珍しいのか、作業をしている間もよく話しかけてくれた。
この魚卵は日本でどんなふうに食べるのかとか、アツシに家族はいるのかなど、他愛のない質問だったが、果てしなく続く流れ作業の中で、彼女との会話はとても良い時間だった。

彼女は学校があるため、工場に来るのは週末だけだった。
僕が「休日に家族の手伝いをしているのは素晴らしいね」と言うと、彼女は少し肩をすくめ、恥ずかしそうに笑った。

ある日、めったに話さないロッドが作業部屋の入り口で僕を手招きした。
ついていくと、そこには今まさに水揚げされたばかりの魚たちが、トーツ(プラスチック製の大型の箱)に入っていた。

聞けば、アメリカ本土からのオーダーで生鮮の魚を空輸する仕事もしているのだが、想像以上に獲れてしまったらしく、「何匹か好きな魚を持って帰っていい」と言われた。
その魚のほとんどはショートスパイン(shortspine / 和名:キンキ)だったと思う。

僕はその中から比較的小さな1匹を選んだ。するとロッドは、「それだけでいいのか」と何度も訊いてきた。トレーラーハウスには、つい先日グローサリー(食料雑貨店)で買い足した食料もあるし、一人なのでそんなに要らないと答えると、ロッドは少し笑って去っていった。

その晩、キンキは刺身や煮付けにして食べた。料理の写真を撮って翌日ロッドに見せると、彼は嬉しそうに親指を立てた。

次の週末、ロッドは娘の隣で一緒に作業をしていた。親子はそっくりで、二人とも黙々と作業をこなしていたが、娘が僕に質問した。
「アツシを日曜に教会で見かけたことはないけど、神様に祈らないの?」

咄嗟の質問に、僕はどう答えればいいのかわからず、返答に窮していた。すると隣にいたロッドが娘に言った。
「彼とは文化が違うから、教会に行くことはないかもしれない。でも、僕らと同じく、食べ物と命の扱いを知っている人だ」

ロッドがそう言うと、娘は意味がわかったのかどうかはわからないが、「OKAY」と答え、こちらを見て笑った。

ロッドの家族が敬虔なクリスチャンであることは、僕にとって何の関係もないことかもしれない。だが、あの言葉と笑顔は、20年たった今も、消えずに残っている。


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田所敦嗣さんの著書

スローシャッター

スローシャッター
田所敦嗣|ひろのぶと株式会社

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    千葉県生まれ。水産系商社に勤務。エッセイスト。著書 『スローシャッター』(ひろのぶと株式会社)で、SNS本大賞「エッセイ部門」受賞(2023年)。フライ(釣り)、写真、野球とソフトボールが趣味。人前で声が通らないのがコンプレックス。