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酒呑み山さん【連載】田所敦嗣の出張報告書<第8回>

田所敦嗣


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「人を信じる仕事って、おもしろいんだよ」

そう言うと山さんは目の前のジョッキに注がれたビールを飲み干し、豪快に笑った。

山さんは僕よりふた回りは年上になる小柄なおじさんで、海外にある食品工場の品質管理や監査業務をしていた。

以前は誰もが知る大手企業に勤めていたが、その後独立した。
初めて取引する工場や新製品の品質管理を頼みたいとき、僕はいつも山さんに相談し、数日間海外で共に行動することもあった。

今まで山さんとはベトナム、タイ、中国、マレーシア、ポーランドなど数々の国へ行き、いろんな工場を見てきた。

仕事中の山さんはどちらかと言えば静かだと思うが、仕事が終わると大好きなお酒を飲む。
お酒が入ると途端にひょうきんなおじさんに変身するが、僕はそのギャップが好きだった。

2人で初めての工場を訪れると、山さんは工場の人たちと挨拶をする前に、必ず工場の外堀を歩く。
そこでいつも独り言をいいながらメモを取り、ひと通り周囲を観察してから中に入るのがルーティンだった。

日中は工場内をあちこち巡り、スタッフに様々な質問をする。
山さんは場内を動き回るスピードは速いのだが、的確に工場のコンディションや設備、そしてそこで働く人を見ていた。

オフィスに戻ってからも打ち合せは続く。
あの部屋にあったナイフだけはなぜタイ製だったのかとか、この部屋にあったトーツだけ*色が違ったが何か意味があるのかなど、現地のスタッフも困惑するほど詳細な質問をする。
僕も同じように見て回っているのに、記憶すら無いような細部までを僅かな時間で見ていて、それを隣で聞いているのもおもしろかった。

*市場なんかで見るプラスチックトーツ(容器)

時に、工場の外に置いてあったあの植物は虫を呼ぶから避けた方がいいとか、ここは水の環境が良いなどの話もする。
ひと目見るだけで、なんでそんなことがわかるのか、当時の若い僕にとっては不思議なことばかりだった。

山さんと仕事をしていた頃は日本でも食品における品質管理という概念が生まれた時代で、どの企業の品質管理担当者もこぞって工場に対し設備投資を促していたが、山さんはそんな資金を使わなくても、良い工場はできると言い続けていた。

山さんはいつも、工場側が働く人たちを機械で管理をすることを嫌っているように見えた。
場内に設置されている監視カメラは代表的な例で、それが多く設置されている工場に行くと、どこか不機嫌そうだった。

山さんはそんな時、決まって同じセリフを言った。

「監視カメラが多い工場ってのはさ、そこのトップが社員を信用してない証拠なんだ」

それからしばらく、監視カメラまみれだった件の企業は、いつの間にか廃業していた。

工場の中には山さんの考えに感銘を受け、丁寧な仕事を続ける企業があった。
20年以上が経過した今、国を代表するほどの大企業になっていたりしているところもある。

山さんが工場に教えるちょっとしたアイデアは、どれも驚くほど綿密に考えられていていながら、誰もが思いつきそうなほどシンプルだった。
けれど、当時はそれを思いつく人は誰もいなかった。

過去に一度だけ、山さんが肌身離さず持っているノートを見せてもらおうとしたことがあったが、山さんは笑いながらサッと閉じ、

「これは見られちゃったら俺の仕事はしめえよ」

と笑いながら、バッグに突っ込んでしまった。

ある国での仕事終わり、屋根を叩くような大雨の夜で、山さんはいつも以上にお酒を飲んで泥酔していた。
店を出てホテルまで戻るタクシーの中、眠るような声で山さんは言った。

「お前と仕事ができて楽しいよ。いつかお前を通じて、俺の教えたことが広がるのが楽しみだ」

不意にそう言われ、僕は思わず雨で濡れる車の窓を見つめた。

山さんが教えてくれた数々の知恵は今でも生きていて、いろんな国や工場に伝わり、彼らの手によって正しく運用されている。

今ではスタンダードになった管理や知恵の幾つかはきっと、山さんがオリジナルだと僕は信じている。

彼の仕事はとてもシンプルに見えるが、1つの隙も無い。

山さんは機械で管理する工場より、多くの人が働く工場が好きで、そんな工場がいつまでも続いて欲しいと言っていた。

軽快にも見える緻密な仕事ぶりを思い出す度、

大功は拙なきが若し

という老子の言葉を思い出す。


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田所敦嗣さんの著書

スローシャッター

スローシャッター
田所敦嗣|ひろのぶと株式会社

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    千葉県生まれ。水産系商社に勤務。エッセイスト。著書 『スローシャッター』(ひろのぶと株式会社)で、SNS本大賞「エッセイ部門」受賞(2023年)。フライ(釣り)、写真、野球とソフトボールが趣味。人前で声が通らないのがコンプレックス。