×

2026年10月7日「街角diary」廣瀬翼がお届けします。

廣瀬 翼


  • LINEでシェアする

無自覚の丸パクリ問題

土曜日、クリストファー・ノーラン監督の『オデュッセイア』を観てきました。

急に思い立って、です。というのも、夕方に日比谷公園で開催していたニッポン放送の「ラジオパーク」に行ってみたから。前の予定が延びてしまったので到着した時には出店ブースはほとんど閉まっていたのですが、ステージはまだやっていて、少しブラブラして会場の雰囲気を味わうも、おなかが空いてすぐ日比谷ミッドタウンへ移動したのです。

そこで、思った。日比谷ミッドタウンといえば、映画館があるじゃないか!

パッと上映作品を調べて、サッと入ったのが『オデュッセイア』でした。

結果、よかった。いやー、もう公開から少し時間が経っているので、気づいたら劇場上映終わってるってなる前に観に行けてよかったです。

3時間ある映画ですが、3時間に感じませんでした。

それで、「こんな映画でした!」と泰延さんに共有したくて、サッとつくってパッと見せたのが、なんと1万字越えの映画評。

忙しいのに、他にも書くものあるのに、なに大変なものを書いているんだと泰延さんに呆れられたのですが……

「これ、私書いていないんです」
「??」
「書いてないんです、思ったポイントをポンポンClaudeに送って、文章にしていってもらっただけなんです」

今度は「ほ〜!」と感心されて、「せっかくだからdiaryで公開してや」「そのつくりかたも、diaryにしてや」と言われました。

で、昨夜から考えていたのですが、身内で自分の感想や考察を共有するにはいいのですが、公開するには——たとえ街クリではなく個人のnoteであってもちょっと難しいな、と。

なので今日は、どうやって書いたのかと、難しいと感じた理由をバババッと書きますね。

まず、映画館から出てから帰りの電車で、いろいろ考えていました。

ノーラン作品“なのに”観やすかったな、とか。
予想以上にまっすぐホメロスの叙事詩に向かっているな、とか。
これ『オッペンハイマー』と同じだな、とか。
マット・デイモンかっこよすぎるだろ、とか。
かっこいいのに、全然“英雄譚”ではなかったな、とか。
しかし撮影地がどれもすごかったな、とか。
崖という崖が、行ったばかりの隠岐とちょっと重なるな、とか。

神話好き・魔女好きとしてはキルケは享楽的美人であってほしかったな、とか。

そういういくつかある改変って、より生活や文化とギリシャ神話の世界が近い欧米の人にはどう感じるのかな、とか。

そうして解釈が変わっているところにこそ作品の意図や表現したいことが含まれるだろうから、本当の意味で理解するにはたとえ元の叙事詩を読み込んだり研究したりしていたとしても、違う文化圏にいる私にはわからないところがあるんだろうな、とか。

たぶん、その「本当の意味では」の感覚は、反対に日本以外の文化圏で生きる人たちが『千と千尋の神隠し』を観るときにも同じだろうな、とか。

それから、最初に次のノーランは『オデュッセイア』だと知った時は、「ついに神々に手を出すのか」と思ったけれど、ノーランは神話の物語で“人間”であり“人間の業”を描こうとしたんだな、とか。

そうして、「神話ではなく、人間を描こうとしたんだな」と思ってから一晩経つと、「ああ、そしたらやっぱり、キルケは享楽的美人よりも、今回の解釈にたどりつくんだろうな」と納得したり。

そうやって考えているうちに、これ頭の中だけでグルグルしているのもなんだかだし、残さないのももったいなく感じたんですね。

そこで、日曜日に大阪へ戻る新幹線の中で、Claudeを開いて映画評にしはじめました。それなら、スマホでもできるわけ。

最初のプロンプトはこうでした。

映画『オデュッセイア』と『オッペンハイマー』について、

・技術革新をした
・しかしそれは人として正しいこととは言えないパンドラの箱
・その後の世界と文化の崩壊、無秩序な世界の始まりを起こすことになった
・一方で、その時その場ではそれが最善と思われ、そうすることでしか道は開けなかった
・周囲に一時は英雄として取り上げられるも、本人が罪を感じている
・監督クリストファー・ノーランは2作で共通して、現代の技術進化と倫理の欠如、戦争に対して警鐘を鳴らすメッセージを込めている

という視点で、『オデュッセイア』の映画評を書いてください。

字数は問いません。

そうしてClaudeが仕上げた文章には、『オデュッセイア』と『オッペンハイマー』の違いについて一歩踏み込み、オデュッセウスは最後に西へ旅立つことまで触れられていました。

そこで、新たな視点として以下のプロンプトを送りました。

後半の、オッペンハイマーから1歩踏み込んで描いているその後の旅について、映画『オデュッセイア』には『指輪物語』との類似性もあるように思います。この点はどうでしょうか?

2度ほどの意見交換を交わして、こちらも内包した文章に。

これでわかりやすい評の核ができました。そこをもう一つ大きく囲う視点として、次なるプロンプトを送りました。

ノーランは神話を題材にしながら、神話ではなく人間を描いたという視点を、この映画評の大きな笠として語り入れてもらえますか。その際、以下の点に触れてください。

・神々と対峙するオデュッセウスの物語は「過去の回想」
・並行して息子の成長物語が進む
・「現在の話」である息子が立ち向かうのは人間
・オデュッセウスの過去の話でも、ゼウスやポセイドンなど、オリュンポスにおわす神の姿は描かず、ままならない自然の力として描かれている
・そのほかの1つ目の怪人やセイレーン、冥府についてもすべてオデュッセウスの回想として語られており、実際に起こったことなのか、過酷な航海で彼が見たと想像したことなのかは判然としない
・アテナの姿も、最後にトロイアで斬られた神殿の巫女と同じ姿で、オデュッセウスにしか見えておらず、実際のアテナではなくオデュッセウスの精神のあらわれだと捉えることができる
・魔女キルケーの描写が、神話の美しい女性で享楽的に訪問者を動物にしているところから大きくかわり、戦争と暴力を批判し自衛のために魔法をかける、魔法が使えるだけの一人の人間の女性として描かれている

原稿アップデート。さらに次の指示。

現在の原稿に加えて、オデュッセウスは、1度目の罪、つまりトロイアの木馬については無自覚であったこと。一方で2度目の罪、つまり求婚者たちを殺すことには自覚的であり、あえて自らその罪を引き受けに行ったことを、以下の要素を含めながら表現してください。

・回想の中で、1つ目の怪人の目を潰したからポセイドンの怒りをかったとみんなが「思っていた」と発言しているその言い方から、振り返ってそれ以前からことが起こっております、トロイアの木馬の作戦を実行した時点ですでに苦難に遭う運命だったと考えていると思われること
・航海の途中で訪れ略奪した村で、自分たちは「海の民ではない」と語っているが、苦難の航海を経て自身と罪を受け入れ、ペネロペの前に戻ってきた時、自分が文明を終わらせる「海の民」であると話していること
・求婚者たちを討つ話をする際、息子に「血に手を染めるのは自分だけ」と話し、息子には武器を持たせず一人で闘おうとすること
・求婚者への試練である弓をしっかり弾いて的を当て、自身がオデュッセウスであることを見せつけてから攻撃していること
・その弓をひく前に、大きく弓の弦を鳴らしていること。それはオデュッセウスが的当てや狩りの際に行う儀式であり、狩りではその理由を「動物に対して正々堂々とやりあうため」とかたっていること

再び原稿アップデート。さらに次の指示。

とにかくこんな感じで何度もやりとりをして、どんどん論のお肉をつけていきます。

そうして、ある程度入れたい視点を入れきったかなと思うところで、こんなプロンプトを送ります。

ここまでで、入れていただきたい視点・要素は全て組み込まれたと思います。

その上で、最初の構成を崩して、現在の全体像の中で最も読みやすく説得性の高い構成に書き換えていただけますか?

その際、全体に「ですます調」で、少し柔らかく読みやすい文体・トーンへ変えてください。

また、全体の核にすえるテーマ・タイトルも、書き換えに合わせて現在の評の中で最も適したものにしてください。

このプロンプトが、かなり重要です! それで整理し直すと、よりクリアになるだけでなく、物足りない部分や新たな発見が生まれてくる。だからまた追加のプロンプトを送る——と続きます。

こんなやりとりが、あと3サイクルくらい。Claudeとのやりとりを見返していて、よっぽど新幹線の中で暇だったんだなと、ちょっと笑ってしまうくらいです。

泰延さんが読んでくださったのは、こうして出来上がったClaudeの執筆による文章でした。

「泰延さん、それ文章は私じゃなくてAIなんですけど、街クリとしてそのまま公開していいんですか……?」

泰延さんに「せっかくやから、公開してや」と言われて聞いてみた私。

「……つーさんがよければ」

なんとも泰延さんは微妙な反応です。

「うーん……ちょっとやだなぁ」

「そうなん?」

「読んでみてどうでした? ……おもしろくないでしょう?」

「まあ、堅いわなぁ」

「そうでしょう? 視点・論点はその通りで、そうなんだけど、でも、そうじゃない、みたいな。ただ、全体の情報の構成と整理は素晴らしいんですよ、おもしろくないけど読むつもりならわかりやすくて、そこはやっぱりAIがないとできない」

「そうやねん! それはやっぱり、AIすごいよなぁ」

「だから、これが構成の下敷きで自分で書いていく、こう書き換えたを覚え込ませるを繰り返さないと、なかなかAIが書いたものをそのまま文章として出すにはもうちょっとかなと」

「なるほど」

「あと……」

「ほう」

「それ、宇多丸さんの映画評(『アフター・シックス・ジャンクション』の「週刊映画時評ムービーウォッチメン」のコーナー)を参考に渡したら、その文章をそのまま載せている箇所があって……」

「!! なるほど」

いろいろ置いておいて、これが一番の問題でした。一つそれに気がついてしまうと、他のところも自分が知らないだけで一文まるまる丸パクリってものが散りばめられている可能性は多大にあります。

今後はClaudeに文章を頼む際には「参考にしたサイトの文章をそのまま使うことは禁止」「使う場合は明確に引用として表示する」というプロンプトを追加しないといけないかもな〜、なんて思いました。

難しいですね、そんなの「参考にして」と書けば当然と思っていたから、それではClaudeさんには通じないんだなって。だけど、反対に社内で用意した書面をパワーポイント資料にするときなんかは、文言を変えないでほしかったりもするから、どちらかと覚え込ませるのも違うし。前提ってどこまで伝えるものなのか、まだまだ未知です。

ま、あとはね、欲を言えば動画や画像を入れて欲しいとか、パンフレットからの引用も盛り込みたいとか、そういうのもあるわけですが。公開“できない”決定的な理由は、外部文章の「無自覚の丸パクリ問題」。

でも、やっぱり上手く使えばすごいですよ。一人ではこんなスピードで泰延さんに感想伝えられるほどまとめられなかったもの。

というわけで、あまり凝りすぎずにちょこちょこ調整して、近々映画評も出せればなと思っております。

本当に、AIに文章を書かせている皆さん。気付かぬうちの丸パクリにはお気をつけくださいね。

  • LINEでシェアする
  • 廣瀬 翼 レポート / インタビュー Instagram


    1992年生まれ、大阪出身。編集・ライター。学生時代にベトナムで日本語の先生を経験。食物アレルギー対応旅行の運営を経て、編集・ライターとなる。『全部を賭けない恋がはじまれば』が初の書籍編集。以降、ひろのぶと株式会社の書籍を担当。好きな本は『西の魔女が死んだ』(梨木香歩・著、新潮文庫)、好きな映画は『日日是好日』『プラダを着た悪魔』。忘れられないステージはシルヴィ・ギエムの『ボレロ』。