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2025年7月31日「街角diary」上田豪がお届けします。

上田 豪


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ちょいと気になる①

ひろのぶとのみんなが日替わりで書く
「街角diary」なるものを街クリで始めるという。

加納取締役の業務命令とあらば、
居候のフリーランスの俺としては従わねばなるまい。

そしてとうとう、俺の一回目の順番が回ってきてしまったのだが、
特に書くテーマを決めるでもなく、
行き帰りの電車の中で思いついて書くくらいのことを書いていこうと思う。

といっても、俺には、
「いま何を読まされたんだろう」と言いたくなるような読後感の
くだらない文章しか書けないので、あまり期待しないでつかあさい。



******



修行時代の若い頃のこと。

職場の近く、
八重洲の片隅に昔からあると思しき定食屋があった。


「店構えはバラックみたいに古くて汚いんだけど、やたら焼魚が美味いんだよ」
そう絶賛する先輩に連れられて行ったのがその店だった。

テーブルに着き古びた店内を見回すと
サラリーマン客でごった返していた。

我々の目の前に少し乱暴にお茶が置かれた。

どこか山岡久乃っぽいお婆さんに、
「何にすんの」と無愛想に注文を促される。

先輩も俺も焼魚定食を頼んだ。

山岡久乃ジェネリックは、
注文を聞やいなや厨房に向かって声を張り上げた。
店員ではなく店主なのかもしれない。


「ずいぶん横柄な人ですね」

「この店はちょっと面倒でな。でも美味いから来てんだよみんな」

「何が面倒なんですか?」

「すぐにわかる」


火に炙られた魚の皮下の脂が爆ぜた香り。
一気に白飯を掻き込みたくなる衝動が掻き立てられる。
我々の焼魚定食は山岡久乃ジェネによって
お盆ごとそれぞれの目の前に置かれた。




「いただきます」

目の前で軽く両手を合わせ終わると、
お盆の右側に置かれていたお椀と左に置かれたご飯茶碗を
自分が食べやすい位置に変えた。
ご飯茶碗を右へ。お碗を左へ。


その瞬間、山岡久乃ジェに烈火のごとく怒鳴られた。

「駄目駄目!ご飯は左!味噌汁は右!」


呆気に取られている間に、
山岡久乃が茶碗とお椀の位置を元に戻し、言った。


「あんたね、まともな食事の作法を身につけないと恥ずかしいよ」

そう吐き捨てられた言葉に、
親を侮辱されたようで思わず出かかった憤りの言葉を
どうにか飲みこんでいる俺を一瞥した久乃は、
他のテーブルに去っていった。


「な、めんどくせえだろ?」


向かいの先輩がニヤニヤしながら言った。


******



ご飯は左。汁は右。

このお作法、
俺はこどもの頃からちょっと気になって仕方がなかった。


ご飯は左。汁は右。

世の中のみんなは普通に受け入れているのだろうか。


ご飯は左。汁は右。

このスタートの形からどういう流れで
ゴールまで辿り着いているのだろうか。


そもそも右利きの俺にとって右に汁物を置いてある状況というのは、
箸とお椀を同時に持てと言われているに等しい。

さらに言えば、
お椀が右側だとお椀を持つ左手から遠くなる分、
熱い液体をうっかりこぼして大惨事になったり、
左側のごはん茶碗から米粒を左袖で拾ってしまったことに気づかないまま、
得意先にプレゼンに行っちゃったりなんかして恥をかくリスクが上がるだけだ。

まさか、
ひとまず右手でお椀を持ち上げて
左手に持ち替えてから空いた右手で箸を持てというのだろうか。
例えるなら、右投げのピッチャーが左手にはめた左投げ用のグローブを
右手にはめ替えてゴロを処理するみたいなことだ。

だとすると、
口をつけた後のお椀は箸を置いて右手を空けてから持ち替えてお椀を戻すという、
またしても右投げのピッチャーが左手にはめた左投げ用のグローブを
右手にはめ替えてゴロを処理するみたいな流れを、
お椀を持つ度に繰り返しながら毎日食事していることになる。

本当なら日が暮れそうだ。
ごちそうさまの前にサスペンデッドゲームだ。

ご飯が左、お椀が右にあって、
世の中の右利きはどうやって食事をしているのか。
考えるだけでお腹いっぱいだ。


ちなみに俺は、
「ご飯をおかわりをする時には一口分を茶碗に残しなさい」と
子供の頃から親に躾けられたのだが、
この作法は後に任侠の食事作法だということを知る。

どうでもいいか。どうでもいいな。


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  • 上田 豪 広告・デザイン/乗り過ごし/晩酌/クリエイティブ


    1969年東京生まれ フリーランスのアートディレクター/クリエイティブディレクター/ ひろのぶと株式会社 アートディレクター/中学硬式野球チーム代表/Missmystop