レオナルド・ディカプリオ、アカデミーポイントの歩み
映画『レヴェナント:蘇りし者』
ふだん広告代理店でコピーライターやCMプランナーをしている僕が映画や音楽、本などのエンタテインメントを紹介していくというこの連載。
「かならず自腹で払い、いいたいことを言う」をルールにしているのですが、それにしても更新が遅い。映画館に行くお金もなかったのかと言いたい。いわゆる「プレビュー」ではなく、「レビュー」ですので、観てから読んでくださった方が話のタネになる内容です。なので、遅ければ遅いほどいいのですが、それにしても、もはや言い訳ができないほど遅い。
文章がダラダラと長いから遅くなるのでしょうか。今後は、短くズバッと評論するビジネスモデルにしようかと考え、ツイッターでいろいろ試みました。
行って帰る#好きな映画をつまらなさそうに紹介する pic.twitter.com/lgcYQhWQvg
— 田中泰延 (@hironobutnk) June 21, 2016
帰省
— 田中泰延 (@hironobutnk) June 21, 2016
#好きな映画をつまらなさそうに紹介する pic.twitter.com/ko84w6Ild1
公務員#好きな映画をつまらなさそうに紹介する pic.twitter.com/lxuROcvWBe
— 田中泰延 (@hironobutnk) June 22, 2016
いかがでしょうか。毎回、これぐらい短い映画評でいいのであれば、すぐ連載1,000回達成できそうです。
バカなこと言ってる間に今回採り上げる映画『レヴェナント:蘇りし者』、上映終わりそうやん。あわてて調べてみました。

まだやってます。映画館で観れます。まだ観てない人は三重県まで急いでください。伊賀上野です。とても親切な情報満載なのが自慢の当連載ですから経路と時間を調べておきました。

大丈夫です。東京・下板橋にお住まいの方なら12時くらいに自宅を出れば、夕方の上映にはじゅうぶん間に合いますし、売店で食べ物など買う時間も考慮しておきました。
そんなこんなで、ぜひ映画館で、と言おうとしたのですが、衝撃の情報が。

衝撃です。この情報からは8月24日は水曜日だということがわかります。もう映画会社はすっかりDVDを売ることに注力しています。
そんな、何か後ろから小突かれるような切迫感の中、予告篇も一応置いておきましょう。
出典:YouTube
とにかく、レオ様ことレオナルド・ディカプリオがついに、ついに、悲願のアカデミー主演男優賞を獲った、これにつきますね。

僕も自分のことのようにうれしいです。昔から何度この人に間違われてきたことか。僕、よくタクシーの運転手さんにディカプリオと間違われるんですよ。「お客さん、レオナルドはんちゃいまっか?」「違います。似てるとは言われるけど」「いやいや、本人はみんなそう言うんです。トボけたってあきませんで」「それはそうと阪神負けましたなあ」「今日は鳥谷がアカンわ」…大阪のタクシー、めんどくさいです。
レオ様は、アカデミー賞を貰うために、こんな若い頃から苦労してきて、

どうみてもオッサンになったいま、とうとう夢を叶えたのです。アカデミー賞を獲るには、アカデミーポイントを100点ゲットしないと貰えない、そんな噂が一部ではささやかれています。そんなレオ様のアカデミー賞への歴史を、アカデミーポイントと共に振り返ってみましょう。
『ギルバート・グレイプ』 1993年 監督:ラッセ・ハルストレム
アカデミー獲得ポイント:+73点
アカデミーポイント通算:+73点

おお、いきなりの好発進! この映画がいまだにディカプリオのベストというひどい人もいるぐらいです。知的障害のある少年を繊細に演じたデカプー18歳、いきなりのアカデミー賞助演男優賞ノミネート。演技派の若手スターの登場です。
『ロミオ+ジュリエット』 1996年 監督:バズ・ラーマン
アカデミー獲得ポイント:-70点
アカデミーポイント通算:+ 3点

おおっと、ついこないだ獲得したアカデミーポイントが一気に残り3点になる事態に。いや、青年になったレオ様、かっこいいです。でも、アカデミーポイント的には「なんじゃこのハンサム路線は。演技派はどこいったんや」ということで、アカデミー賞からは一歩遠のいてしまいました。
『タイタニック』 1997年 監督:ジェームズ・キャメロン
アカデミー獲得ポイント:-50,000点
アカデミーポイント通算:-49,997点

大変なことになってしまいました。世界的大ヒットを記録したこの映画、作品賞をはじめアカデミー賞の11部門を受賞、共演のケイト・ウィンスレットも主演女優賞にノミネートされましたが、レオ様にはなんもなし。男前はアカデミー賞にとことん嫌われるのです。レオ様の今後の人生の苦闘の始まりとなった瞬間でした。授賞式の夜、ロサンゼルスにすらいたくなかったディカプリオ、ニューヨークの寿司屋にいる写真を撮られてます。かわいそうすぎる。3点だけあったアカデミーポイントはマイナス4万9997点に。
『刑事プリオ』 1998年
アカデミー獲得ポイント:-1億点
アカデミーポイント通算:-1億49,997点

日本のカード会社のテレビCMに出たレオ様。デカ…プリオ。ダジャレやがな。僕は大好きですけど、アカデミー会員にみつかったらおしまいやで…。アカデミーポイントはついにマイナス1億点越えです。やばいです。
『ザ・ビーチ』2000年 監督:ダニー・ボイル
アカデミー獲得ポイント:-3点
アカデミーポイント通算:-1億5万点

何百本ものオファーを蹴って、ダニー・ボイル監督を選んだレオ様。しかしやっぱりアカデミー的には借金がかさんでしまいました。若者の空気感が出てる、いい映画なんですけどね。僕はかなり好きです。ちなみにアカデミーポイントに関しては、端数が面倒くさいのできれいな数字になるようにしておきました。
『ギャング・オブ・ニューヨーク』 2002年 監督:マーティン・スコセッシ
アカデミー獲得ポイント:+5万点
アカデミーポイント通算:-1億点

さあ、スコセッシ監督と組み始めたディカプリオ。ここからアカデミーポイントを取り返すイバラの道が始まります。一気に重厚な演技に振ります。とりあえずタイタニックで失った5万点は取り返しました。しかしフタをあけてみると、主演はレオ様だったのになぜか主演男優賞にノミネートされたのはダニエル・デイ=ルイス。相手が悪かったわ。ちなみに史上ただ一人アカデミー賞主演男優賞を3回獲ったダニエル・デイ=ルイスは、現在靴職人をしている模様。
『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』2002年 監督:スティーヴン・スピルバーグ
アカデミー獲得ポイント:+5千万点
アカデミーポイント通算:-5千万点

いや、これ最高ですよ。軽快なコメディかつ、繊細な心理ドラマ。スピルバーグが大作の準備期間にちゃっちゃと撮った映画に駄作なしです。複雑な人間をカメレオンのように演じきったディカプリオ、かなりの得点です。ノミネートとか受賞とかとは関係なく、やっぱり演技できる人なんだとみんなが思いました。
『アビエイター』 2004年 監督:マーティン・スコセッシ
アカデミー獲得ポイント:+2千万点
アカデミーポイント通算:-3千万点

だんだんとポイント計算が大味になってきましたが、スコセッシ監督と組んでの挑戦は続きます。奇人変人大富豪・ハワード・ヒューズをわかりやす〜い奇人変人感を出して演じたレオ様、計算通り初のアカデミー主演男優賞ノミネート! が、受賞には至りませんでした。その他の部門では5部門を受賞。
『ディパーテッド』 2006年 監督:マーティン・スコセッシ
アカデミー獲得ポイント:+1千万点
アカデミーポイント通算:-2千万点

スコセッシ監督と3度目のタッグ、アカデミー賞作品を受賞したこの映画、マーク・ウォルバーグが助演男優賞にノミネートされる陰になってしまったレオ様。でもこの映画ではジャック・ニコルソンとの出会いがあり、ディカプリオに徐々にニコルソンが乗り移るきっかけとなります。

『ブラッド・ダイヤモンド』2006年 監督:エドワード・ズウィック
アカデミー獲得ポイント:+1千万点
アカデミーポイント通算:-1千万点

個人的にはディカプーのベスト演技! タフで、ワルで、泣かせる。アカデミー主演男優賞ノミネートも納得でした。映画自体も社会派の良作。未見の人はぜひ。
『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』 2008年 監督:サム・メンデス
アカデミー獲得ポイント:+1千万1点
アカデミーポイント通算:+1点

いやあ、いい映画ですね。ていうか、男女の真実をこれでもかと描いた傑作。アカデミーポイントもついに『タイタニック』前のプラスまで戻しました。なんといっても、『タイタニック』のケイト・ウィンスレットとの再共演、哀しい、枯れていく男女をこのキャストで実現したのはすばらしい。ウィンスレットは同じ年の映画『愛を読むひと』でアカデミー主演女優賞を獲得。レオ様の「オレもオレも」の願いはこのころから叫びに変わってきます。
『J・エドガー』 2011年 監督:クリント・イーストウッド
アカデミー獲得ポイント:+14点
アカデミーポイント通算:+15点

「どの監督ならアカデミー賞貰えるんだ?」「歴史上のだれを演じたらアカデミー賞くれるんだ?」という必死さが伝わってくるこの時期のレオ様。クリント・イーストウッド監督だけあって駄作はないんですが、地味な映画でした。
『ジャンゴ 繋がれざる者』2012年 監督:クエンティン・タランティーノ
アカデミー獲得ポイント:+35点
アカデミーポイント通算:+50点

レオ様が極端な人を極端に演じる限界まできましたこの映画。タランティーノにディカプリオ、ちょっとこれ最高ですね。なんか吹っ切れてきた感じ、明るい兆しですね。
『華麗なるギャツビー』2013年 監督:バズ・ラーマン
アカデミー獲得ポイント:+0点
アカデミーポイント通算:+50点

バズ・ラーマン監督と久しぶりに組んだ作品。『グレート・ギャツビー』はなんと5度目の映画化ですね。派手な音楽、派手な衣装、派手なセット、あんまり俳優の演技が思い出せません。アカデミーポイントはプラマイゼロです。
『ウルフ・オブ・ウォールストリート』2013年 監督:マーティン・スコセッシ
アカデミー獲得ポイント:+49点
アカデミーポイント通算:+99点

スコセッシとディカプリオ、これでもかの5度目のタッグ。『ジャンゴ』以来の吹っ切れ演技も爆発して、もちろんのアカデミー主演男優賞ノミネートですが、この年はライバルが多すぎました。しかし、とうとう99点! アカデミー賞まであと1点です!
そしてその時を迎えます ジャーン。
『レヴェナント:蘇りし者』2015年 監督:アレハンドロ・イニャリトゥ
アカデミー獲得ポイント:+1点
アカデミーポイント通算:+100点

やりました! ついに100点達成です! 念願のアカデミー主演男優賞です! いや、この映画の演技が1点って言ってるんじゃなくて、この映画は「つらい目に合いました演技ポイント10億点」ではあるんですけど、ここまでのアカデミー賞へ賭ける意気込みの積み重ねが押し出しの1点になったのは間違いありません。
以上、独断と偏見によるレオ様ヒストリーでしたが、問題は『レヴェナント:蘇りし者』やがな。
もはや評論といっても、今さら何をいっても後出しジャンケンになりますので、今回はとっとといきます。下板橋を出た人が伊賀上野に着く前に話を終わらせてしまいましょう。
この連載を始めた頃に、便利そうだと採用した評論の枠組みがあります。すっかり忘れてました。
2.映画には意図のないシーンはひとつもない
3.映画の半分は音だ
- 目下のところ天下無敵のアレハンドロ・イニャリトゥ監督。昨年の『バードマン』に続いて2年連続のアカデミー監督賞受賞。

- 映画は、アメリカ開拓時代の実在の人物、ヒュー・グラスを描いたマイケル・パンクの小説『蘇った亡霊:ある復讐の物語』を基にしているが、監督自身による脚本が原作と違う点は、ヒュー・グラスの息子が殺害されるという部分。イニャリトゥ監督自身、息子を喪くしている。『ビューティフル』『バードマン』…彼のフィルモグラフィーは、家族の喪失について描くものが多い。
- この映画自体が手垢のついた言葉でいうと「神話的」なのだが、ずばり、「神」に関する言及も多い。「俺はお前の神だ」「親父は信心深かった」「復讐は創造主にゆだねる」などなど。過去作『21グラム』では十字架を燃やすシーンがあるし、『バベル』は天罰についての話だったり、キリスト教をテーマにすることが多い監督でもある。『レヴェナント』にも教会のシーンがある。それは善悪の彼岸について神ではなく自己で審判する場であり、(だから聖堂は朽ち果てている)生と死と復活の境界でもある。また、開拓による殺戮と復讐劇の背後にキリスト教文明の欺瞞と限界が示される。アカデミー賞を選ぶということは、アメリカ白人の意識と無意識を反映している、というのが僕の持論だが、前回評した『スポットライト 世紀のスクープ』を今年のアカデミー作品賞に選んだように、現代の白人は今、キリスト教との関わりかたの変容を強く感じているようだ。
- 一本道に見える映画だが、じつはイニャリトゥ監督は引用とオマージュの人。『バードマン』もそうだったが、引用の量ではタランティーノにも匹敵する。この映画自体がリチャード・サラフィアンの『荒野に生きる』を下敷きにしているし、シドニー・ポラックの『大いなる勇者』などの開拓者ものにも影響を受けている。そして映画ファンならすぐわかるのが、『僕の村は戦場だった』『サクリファイス』…アンドレイ・タルコフスキー作品のシーンの完全コピー。隕石落下なんか、『バードマン』でもやってた。そんなに好きか隕石。検証ビデオを作った人がいるんですが、すごすぎる。ご覧ください。
出典:
「魔術的リアリズム」を使う映像作家とは、そこで映っていることにはじつは何もリアリティはない、そういう作家。映るものは常に表象で、観る側が読み取る作業をしないと、かなり「面白くない」。
- 撮影は、目下のところ天下無双のエマニュエル・ルベツキ。『ゼロ・グラビティ』『バードマン』に続いて、アカデミー撮影賞3年連続受賞。世界で一人だけ別次元のカメラマン。

- 特許取得的なワンカット長回しはやや影をひそめ、自然光で撮影されたという強烈な大地はほとんど「詩情」の域。台詞の少ないこの映画では、木であったり、雪であったり、水であったり、すべての風景カットに意味がある。荘厳な映像こそがある意味、この映画の主役。風景への没入感覚、「痛み」を感じる視覚体験がこの映画のキモである。3時間、もう痛くて寒くて2回は観たくないです。
- 坂本龍一の音楽は、途中ほとんどオーケストレーションを感じず、「重低音」だけが響く設計になっている。
出典:YouTube
そこは一緒に音楽を作ったアルヴァ・ノトとの協業が効いているのかもしれないが、安易な感情移入を防ぎ、大地から沸き上がる音を拾ったような、叙事詩的な効果がある。
- 冒頭と最後の「主人公の息の音」は数少ない主人公のセリフと共に、とても重要。
…はい、以上いろいろテーゼ化して書いてみましたが、やはり開拓時代のアメリカ、そして出てくるモチーフ、特に獣の「皮革」については肌感覚では分からん部分もある。そこで連載20回を記念して、西部開拓時代や皮革製品の歴史に詳しいこの方に、最後お話をきいてみました。
エンタメ新党・特別ゲスト、マエダショータさんです。パチパチパチ。

マエダショータ
コピーライター/カウボーイ/スナワチ代表
1975年東京生まれ。カウボーイハットをかぶって都立大泉高校を卒業。カントリー音楽への愛、カウボーイへの憧れが高じて、アメリカ・ケンタッキー州の大学に入学。卒業後、広告会社・電通にコピーライターとして14年間勤務、2003年からコラムニストとしても「月刊ショータ」を連載。
2015年退職して単身北米大陸へ渡る。「カウボーイとは何なのか」という日本人にあまりにも知られていない、アメリカの大地に生きる者の精神の根幹を理解するため牧場の門を叩き、ひと夏をカウボーイとして過ごす。帰国後、豊富な皮革製品への知識と造詣を生かし、レザーブランドを扱う会社「スナワチ」を設立。X:@monthly_shota

マエダさんは、カナダの牧場で、開拓時代と大差ない自然の中で過ごされたわけですが、『レヴェナント』で描かれたアメリカの大自然は、そうとう厳しいものですね。

3時間という長さを感じずに鑑賞しましたが、とにかく身体に「刺さる」映像体験でしたね。すげえもん見た、という感慨で…。観ていると自分が自然と格闘したカウボーイ生活がフラッシュバックしました。

ディカプリオの演技がまた痛そうで。

僕の友人は「ありゃディカプリオにアカデミーあげるために “ 痛い痛い痛い! もういい! わかった! アカデミーあげるからもうやめて! ” という作品」と言ってました(笑)。ディカプリオが痛がる演技はほとんどダチョウ倶楽部の上島竜兵ばりのリアクション芸でしたね。

熱湯コマーシャル(笑)。

クマとの格闘とか、「痛い」以外のなにものでもないですね。最近、日本でクマに襲われて亡くなる方が多くて、観ていられませんでした。

まぁ、あのクマ、撮影時はこれやけどな。


このおっさんやったんか。合成用のディカプリオの相手は。

で、そもそもこの話は、「皮革」を巡る話と感じました。主人公ヒュー・グラスたちは、あれは、密猟人なんですか? インディアンの暮らしを脅かしてバッファローの皮を剥いで持っていく。

映画の中では、なんだか裏稼業に従事する密猟者みたいですけど、毛皮産業は19世紀当時「主要産業」というぐらい大規模なものだったんです。

みんな荒くれ者みたいですが、ビジネスのメインストリームだったんですね。

下山晃さんの『皮革と毛皮の文明史』という本に詳しいんですが、1812年から46年の間、毛皮猟師の数は金鉱掘りやカウボーイの数よりも遙かに多かったという指摘もあります。
『レヴェナント』の舞台は1823年の、現在の南北ダコタ州あたりですから、当時は毛皮目当てに、商人やハンターたちが大挙して押し寄せていた。
ですから、まぁ彼ら映画の登場人物はバブルの頃の商社マン、ないし百貨店のバイヤーみたいなものです(笑)。

この復讐劇の発端は、インディアンに襲撃されて、それでも皮を持って帰る、という強欲さにありますもんね。

そうそう、だから、映画の中で断固として狩った毛皮を持ち帰ろうとした時「んなもん無理やで。捨てて行けよ~」と思ったが、当時の彼ら、おそらく貧しい出の一攫千金を狙うギラギラした人たちからしたら、それはあり得ないことなのです。

それにしても、アメリカに渡った人たちの、バッファローの獲り尽くしぶりはすごいですね。この映画でも、山積みになったバッファローの骨が出てきましたが。

ええ、もの凄い殺戮ですね。毛皮を欧州の貴族や金持ちに売ると、えらい価格で売れたのです。衣服もそうですし、これも乱獲したビーバーの毛皮は帽子の原料です。まぁそうやって獲り尽くしてバッファローは絶滅寸前になりました。近鉄バファローズはその前になくなっちゃいましたが。

大阪人が泣く話するな。


この映画、「熊が怖い」「インディアン怖~い」という感想もありますけど、本当に怖かったのは白人ですよね。白人は当初は交易所に狩った獣の毛皮を持ち込むインディアンにアルコールと交換してたんですけど。産業が過激化するにつれて、取引相手のインディアンに粗悪なアルコールを渡したり、白人が持ち込んだ天然痘でたくさんインディアンが死んだんです。で、瓶を掲げて「天然痘をバラまくぞ!」とか脅したり。なぜインディアンが向かってきたかというと、土地の問題のみでなく、彼らは衣食住から装飾からしっぽのハエ叩きまでバッファローに依存してたんですわ。

そういう、資本主義が発達する中での白人の横暴と、それにまつわる因果応報的な話がこの映画の背骨ですよね。

毛皮狩猟は過剰な殺戮・生態系の破壊であり、インディアンからの不当な簒奪と同時並行なんですね。
それを映画を観ているアメリカ人も、全然気付いていませんよね。たったの数世代前、およそ200年前のことです。この映画には、白人が自らを断罪する目線がありますね。ケヴィン・コスナーの『ダンス・ウィズ・ウルブス』もアカデミー賞をとりましたが、そういう贖罪意識もあるんだと思います。


その中で主人公は、インディアン女性と結婚して息子が生まれるという、いわばハイブリッドな立ち位置で、合理的で強欲な白人の側面と、自然と一体化して生きるインディアンの側面を両方持ってる人間として描かれてるんですね。

そこで、毛皮が重要な意味を持ってきます。最初は収奪の目的だった毛皮が、後半は主人公と一体化して生命の強さを表現するんですね。

主人公、毛皮をまとって生き抜きますもんね。

倒したクマの毛皮ですね。『真田丸』の真田昌幸とお揃いですね。

あれ、クマのベストか。草刈正雄。


極寒の中、死んだ馬の身体を裂いて中に入って生き延びるとか。

あれは『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』やね。


知らんがな。そういうシーンがあるんですね。とにかく、動物の毛皮=自然と一体化して生き延びる、そういう描写が続きますね。

そうやってヒュー・グラスは、インディアン的な共生の考え方を象徴する毛皮の力を借りて生きて還ってくる。

あれほどの険しい自然の中、恥ずかしながら帰ってきたのは横井庄一さんぐらいですよ。


ええ、恥ずかしながら帰ってきて会社を興しました。カウボーイの仕事とは、広い牧場で牛を育てる仕事です。自分の家で食べる分の牛を潰す手伝いもしましたが、みんなすごく肉を食べるんですよね。僕もカウボーイの仕事は体力的にキツくて、一生懸命肉を食べました。で、最後は皮が残ります。それをレザーの業者に売ります。そうやっておいしく食べて、革は大事に使うというのが、罪を背負った人間のあるべき生き方なのではと思います。

今日は貴重な、ていうか日本人にほとんどいないカウボーイ職歴のあるマエダさんの話をきけて、よかったです。ありがとうございました。

お役に立てれば幸いです。
ところで次は『FAKE』観てくださいよ。


えっ。佐村河内守を追ったドキュメンタリー映画ですか。

もう誰かと話したくて話したくて。

わ…わかりました。行きます。
というわけで、次回は、ドキュメンタリー映画『FAKE』でも観に行こうかと思っています。行けたら行きます。知らんけど。
