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〝よい死〟とは? 「Deathフェス」はポップに気軽に、問いかけの力で〝死とその周辺〟をアップデートする

街クリ 編集部


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〝死〟っていったい、誰のもの?

—— 先ほど「死は、誰かの唯一のものではない」というお話がありましたが、お二人は「死は誰のもの」だと思われますか?

問いですね(笑)!

ちょうど「Deathフェス」の構想を梨奈ちゃんと立てる少し前に、私もエンディングの事業をぼんやりと考えていたことがあったのですが、そのきっかけは母の義理の叔母さんが亡くなった時の話を聞いたことでした。

彼女は急に倒れたのですが、自分が死んだら検体に出すという手続きをしてから亡くなったんです。訃報を受けた母は病院に駆けつけて、検体の引き受けが来るのを6時間くらい待っていました。

でも、やっと来たと思ったら別れを惜しむような時間もなくパーっと連れていかれちゃって。

—— えぇっ?! 6時間も待ったのに!

そのとき叔母さんは、すごく質素な手術着のような白い着物姿だったそうです。

母から見た生前の叔母さんは、とても粋な人だったといいます。また母は洋裁の仕事をしてきた人なこともあって、「あんなにお洒落だった人が、最後があんな簡素な姿だったなんて。6時間も待っていたのだから、せめてシルクの一つでも買いに行って、掛けてあげられたら良かった」とすごく後悔していて。

「自分はずっと洋裁の仕事をしてきたのに、なぜ気がつかなかったんだろう」と話していたんです。

—— ……ああ、それは、「じゃあ次はこうしよう」ができない後悔ですものね……。

叔母さん自身はとても潔い人だったので、そんなこと気にもしてないかもしれないんですけどね。でも、やっぱり母はとても切なく感じたそうです。

今の話でも改めて思うけれど、〝死〟は遺される人にとっても大きなものですよね。

私は、自分に関してはある程度決めているところがあって、自分の身体(肉体)は自分のもの、でもその後のことは、希望は伝えるけれども、周囲の人たちの思いに任せようと考えています。

焼かれるのはね、嫌なんですよ……身体は有機還元葬でお願いしたい。でも、葬儀を行いますかとか、三回忌をやりますとか、そういったことは家族の考えが中心でいいなと。

あ、私もその考え方、しっくりくるかも。

先ほどの叔母さんも、身体すら検体に出しちゃう人だから、何もいらないって人だったと思うんです。でも、遺された母や叔母さんの家族にとっては、昨日まで元気だった彼女が急にいなくなってしまったわけで。

やっぱり、遺された者が死に向き合って、彼女のいなくなった日常を生きていくのには、たぶん何かしらのお見送りの儀式みたいなものが必要だったんじゃないかなと思うんですよ。

—— 葬儀を通して心の整理ができたり、やることがあるので少し冷静になれたりするという話も聞きます。

死って遺された家族のものだと思うし、だけど本人のものでもあって、答えはないんですよね。

答えがないからこそ、どうしたらいいんだろうねとみんなで対話ができる場や、体験を共有し合うことをとても大切にしています。

うん、「Deathフェス」はそのスタートラインですよね。

家制度によるお墓と今の時代って、合わなくなってきていない?

答えがない新たな課題だと、旧来の家制度にのっとったお墓の形と、今の時代の価値観や生活が合わなくなってきていない? という話を、ちょうど先日していたんですけど。

シニアになってからの結婚や歳の差のある結婚も、増えてきているよねと。それで、もし自分がそうした結婚をしたとしたら、相手より自分が先に亡くなることも考えるよねと話題になりました。

そこで出てきた声が「会ったこともない親戚がいるお墓に、旦那より先に入ったら超気まずい」。

—— それは、確かにちょっと嫌かも……!

お墓にいるお義母さんたちも、その旦那さんより先に会ったことのない女性が入ってきたら「誰、この人?」ってなっちゃいそう(笑)。

これまでの日本には代々のお墓があって順番に入るといった文化があったけど、最近は結婚の変化や長寿化してきたことで、その入る順番が変わってきたりもしているらしいですよ。

—— お墓の話だと、私はまだ結婚していないのですが、祖母に「このままだと無縁仏になってしまう」と泣かれてしまったことが以前あって。

生まれた土地や代々のお墓を大切にされている方も、特に上の世代にはいらっしゃいますし、でもそのしきたりを守ろうとすると縛られていると感じてしまうこともありますよね。

一方で、墓仕舞いや、家族がいま住んでいる地域にお墓を移したりすることに対して、「亡くなられた方の尊厳もあるのでは。その土地に眠っている人を勝手に動かすのは、死者の権利を侵している」という議論も聞いたことがあります。

—— 「死者の権利」ですか。亡くなった本人の気持ちの視点で考えているという意味では、知らない人ばかりのお墓に入るのは嫌だという話も、お墓を移すことや無縁仏になることへの不安も、同じ考えかもしれないですね。

そうですね。住んだこともない土地に眠るのは嫌だって、知らない人ばっかりのところは気まずいというのと、実は似ているかもしれないですね。

先ほどの「死は誰のもの?」とも共通すると思うのですが、お墓もそれまでにどれだけ話してきたか、その方がどんな人だったのかで捉え方が変わるかもしれないですよね。

そうだよね。しがらみやしきたりに悩むのではなく、その方と向き合って選択できたら、家族みんなで前向きに捉えられるんじゃないかなと思います。

—— その方が東京に行ってみたいと話していた人だったら、お墓を東京に移すことを「東京に来られたよ」と捉えることもできそうですね。そうしたら、その方が隣にいるみたいにみんなでハッピーに語れるようになる家族もあるかも

こういったことを本人と家族で話す機会があったり、家族みんなで会話して自由に柔軟な発想ができるようになったりしたら、家族も何か一つ和らぐかもしれないですよね。

>次のページ:〝死〟を考えれば、どう生きたいかが見えてくる

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