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年末の約束【連載】田所敦嗣の出張報告書<第18回>

田所敦嗣


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愛犬が2歳になった。

2年前、犬種をゴールデンレトリバーと決め、ブリーダーのもとを訪れた。案内してくれたスタッフのオネイサンには「子犬の写真はできるだけ撮っておけ」としつこめに念を押されたが、気づけばあっという間に成犬になっていた。

この犬種は人懐っこく、他の犬に対しても警戒心が薄い。
散歩をしていて助かるのは、吠えたり怒ったりすることがほとんどないところだ。

一方、散歩中に大体いつも吠えている代表といえば、柴犬だろう。
これは個体差というより種としてのネイチャー、DNAの話なので仕方がない。
ほぼ毎朝出くわす柴犬の飼い主である爺ちゃんは、犬同士が近づけば100パーセント吠えると分かりきっているため、遠くから僕と我がイヌを見つけ次第、すぐさま90度方向を変えて回避する。

こちらは幾度も遠目にその様子を見ているので、毎回どこか申し訳ない気持ちになるのだが、近づいたところで結果は見えている。
爺ちゃんとは、おそらく半永久的に言葉を交わすことはないのだろうと思うと、やや寂しさを覚えた。

今朝も互いの存在を確認すると、いつも通り爺ちゃんは左にくるりと方向転換した。
その先にも犬がいたため、迷うことなくさらに左へ向きを変える。

だが、そこにも別の犬がいた。
一瞬の出来事だったが、僕は少し興奮してその様子を見ていた。

すると爺ちゃんは一切迷うことなく180度ターンを決め、歩いてきた道を戻る形で颯爽と消えていった。
柴犬の特性を最も理解している飼い主であり、あの素早い90度ターンには、つい見とれてしまう。

週末は平日より長めの散歩をする。
平日は通らない魚市場の脇を抜け、畑が続く小さな小川沿いまで足を延ばす。
そこまで行くと、秋田犬のジャジャに会うことができる。
少し高齢だが体格は秋田犬そのもので、背丈もあり、いつも堂々としている。

毎日懲りもせず我がイヌは警戒心ゼロのまま近づいていくのだが、ジャジャは「ウーッ」と一度だけうなる。
だが、それ以上のことはなく、その後は静かになる。

ジャジャの飼い主とは、よく話をする。
建築関係の下請け会社を営む社長で、本人には言わないが中尾彬にそっくりの爺ちゃんで、心の中で勝手に「中尾の爺ちゃん」と呼んでいる。

ある週末、川沿いのベンチに並んで座り、最近は街で餅つきをする光景をめっきり見なくなったという話になった。
僕が子どもの頃は、年末年始になるとあちこちで餅つきが行われ、それを眺めているとあちこちの大人から餅をもらえた記憶がある。

僕は餅つきの「ホスト側」の経験が一度もないため、その段取りを中尾の爺ちゃんに尋ねてみた。
すると、爺ちゃんの目がわずかに光ったように見えた。
偶然にも毎年、会社の敷地で若手に頼まれ、餅つきをやっているということだが、その下準備や段取りを聞いて驚いた。

毎年150キロから200キロ近いもち米を用意し、大きなバケツに水を張って一晩さらす。
翌日は巨大な蒸し器で蒸し上げるが、時間差で仕上がるよう、蒸し器も数台が必要になる。
高温のもち米を次々と木臼へ移し、手早くつき終え、大きな袋に入れて「のし餅」にしていく。

とにかく「重い。熱い。休む間もない」という三拍子だ。

今は経験者も高齢化し、そのために必要な道具やスペースを考えると、街中でやるのは現実的ではないだろうという。

僕はその話が面白くて聞き入っていたのだが、爺ちゃんは「今度の年末、うちに来て手伝え」と声をかけてくれた。

突然の誘いに躊躇していると、中尾の爺ちゃんはニカッと笑い、
「俺もトシだから、あと何年できるかわからない。会社の人間であろうとなかろうと、餅つきができる若手が一人でも増えたら嬉しい」
と言った。

隣にいるジャジャはいつも凛としているが、その日は珍しく我がイヌにちょっかいを出していた。いつもと違うジャジャに、我がイヌは嬉しそうに興奮している。

今から年末が、楽しみである。


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田所敦嗣さんの著書

スローシャッター

スローシャッター
田所敦嗣|ひろのぶと株式会社

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    千葉県生まれ。水産系商社に勤務。エッセイスト。著書 『スローシャッター』(ひろのぶと株式会社)で、SNS本大賞「エッセイ部門」受賞(2023年)。フライ(釣り)、写真、野球とソフトボールが趣味。人前で声が通らないのがコンプレックス。