「若い時ほど苦労をしておけ」
という言葉は、昨今ではブラックな響きで受け取られがちだ。
でも、あれにはもう少し別の意味があるのではないかと思うようになった。
僕だって若いころ、仕事は楽に越したことはないと思っていたし、忙しいアピールなんて地獄のミサワがやってくれれば十分だと思っていた。
寝てない自慢ほど、聞いて得をしない話もない。
趣味や仕事以外の好きなことは、時間が経つとけっこう忘れてしまうのに、仕事の記憶は不思議と残り続ける。
理屈で説明できても、少し引っかかる。
毎日あれだけ「面倒だ」とか、「帰りたい」とか思っていたはずなのに、だ。
おそらくこの「苦労」とは、根性論の話ではないのかもしれない。
若いころ最前線に放り込まれて、右往左往しながらボコボコになった、あの感じだ。
共に仕事をした仲間であっても、同じ景色を見ていたわけではないだろう。
価値観や、仕事の守備範囲も違う。
けれど、“戦場”で一緒に過ごした仲間とは、どれだけ時間がたっても、いざ再会すれば、あっさりとあの空気に戻れる。
それはきっと、仕事にしかない責任を、同じ距離で見てきたからだと思う。
* * *
拙著『スローシャッター』にある一篇、「烟の街」に書いた小李と、十数年ぶりに仕事をすることになった。
彼は中国各地の生産工場と連携し渡り歩くネゴシエーターで、細やかなオーダーまでも管理する、守備範囲の広い優秀なエージェントだ。
彼は僕と同い年というのも、長い付き合いにおいて大切な要素だったのかもしれない。
タイミングなどもあって、彼と仕事を共にする機会はしばらくなかったが、久しぶりに会うことになった。
5月の連休前。
クライアントからもらったテーマに沿って練り上げるプレゼンがあり、どんな提案をするか悩んでいた。
日本や世界の仲間からアイデアをもらって試行錯誤していたのだが、最後になってふと彼のことを思い出し、連絡してみた。
提案の期日は2日後と迫っていたが、滑り込みで彼が出してくれたアイデアが、バシッと音を立てるように通過した。
提案が通れば大体やることは同じで、まずは工場の視察や商品の作り込みのための打ち合わせをする。
小李と仕事をするのは久しぶりで、途中世界的にウイルスが蔓延したことも加わって、10年弱は会っていなかった。
夏。
僕はうだるような暑さの日本を飛び立ち、同じくうだるような暑さの大連周水子国際空港に到着した。
入国ゲートを出ると、ひときわ背の高い小李が笑顔で待っていた。
懐かしくも馴染みのある声で彼は「お久しぶりです」と言った。
久しぶりの再会ということもあって、僕はその空気がどうしても照れくさく、彼にどんな声をかけたのかあまり覚えていない。
10年前の彼は、SUBARUのステーションワゴンを気に入って乗っていたが、今は新しいSUBARUのSUVに変わっていた。
空港から高速に乗り、約3時間をかけて目的地へ向かう。
車中では、互いにこの数年やってきた仕事や、当時一緒に仕事をした仲間が引退したり別の業界に移ったりしたことなどを、答え合わせのように話した。
見慣れたはずの彼の表情は、以前よりずっと頼もしく見えた。
目的の工場に着き、全ての工程を終えるまでは、いたってスムーズだった。
若いころに共に乗り越えた苦行とも言える経験は、互いの信頼に変わり、言わなくても理解し合えることが増えた。
最終日の夜。
市内に帰る夕暮れの高速道路で、しばらく仕事が作れなかったことを詫びると、彼は夕陽を受けて眩しそうにしながら言った。
「仕事はタイミングです。こればかりは仕方ないです。でも、そう言っていただいて私は嬉しい。今回も長く続くよう、一生懸命がんばります」
隠れる壁や隙間もない彼のストレートな言葉に、気持ちが温かくなった。
互いに何年も違う国、違う環境で仕事をしてきたが、始まってしまえば昔と何も変わらない空気がそこにはあった。
昔の方がずっといろんな話をしたような気もするが、今は互いに、そうではなくなった。
若いころの苦労、悪くないかもしれない。
田所敦嗣さんの著書
スローシャッター
田所敦嗣|ひろのぶと株式会社
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田所敦嗣
エッセイ
千葉県生まれ。水産系商社に勤務。エッセイスト。著書 『スローシャッター』(ひろのぶと株式会社)で、SNS本大賞「エッセイ部門」受賞(2023年)。フライ(釣り)、写真、野球とソフトボールが趣味。人前で声が通らないのがコンプレックス。






