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株式会社グルメ杵屋 代表執行役社長 椋本充士さん【ラジオ大阪】田中泰延のシャチョーとシュチョー(2025年10月13日〜17日放送)

田中泰延


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就活も、転職活動も、特別扱いはなし?! 椋本社長がグルメ杵屋に入るまで(10月14日放送より)

時代とともに変化していく食

昨日、そじ坊さんに伺って久しぶりにいただいたんですけど、お蕎麦がめちゃくちゃ美味しい。

それで、鰹の出汁をね、お店でもう一回取りはるんですよね。どんぶりの上で。

この出汁がめっちゃ美味しい上に、その鰹節もお召し上がりくださいと。これがまた美味しい。

食べる直前に本枯鰹で追いがつおをして仕上げる/出典:グルメ杵屋10月14日プレスリリース

こだわりだらけ。どこがチェーン店やねんっていうくらい。

ははは、そうですねぇ。

この辺のね、社長がこうキープしてはるとか、絶対ここは続けなあかんと言うてるようなポイントって、あったりしはるんでしょうか?

我々、商品を管理する中で、レシピっていうのを管理していくんですけども。

ただ、食べ物というのは時代とともにどんどん変わっていくんですね。これが、面白いところです。人の食生活もどんどん変化していきますし。

そういう中において、我々はチェーン店ですけども、ここもですね、創業のそのままではないんですね。

毎年、もしくは数年に一度、出汁からすべてを見直していくということが大切で。

はい、はい。

今、そじ坊でやらせていただいている追いがつお。

あの鰹もですね、本枯れの鰹節を使わせていただいて、より出汁感をお楽しみいただけるようにという工夫から、これは今年から始めたんですね。

ああ、そうなんや。じゃあ、ええ時に行かせていただきましたね、僕。

多ブランドある中で、どう決めているのか

アップデートしていくということやけれども、これは椋本社長が「よし、この味は、今年はこの傾向でいこう!」みたいなのを味わって決めていかはるんですか?

当社の場合は、今、業態ごとにブランドマネージャーというのを置いておりましてね。

このブランドマネージャーが中心となって、そのブランドの商品構成であるとか、商品をどうしていくのかっていう方向性を決めて、そして取り組みをしていく。

そこには商品開発のメンバーが入って、さらにいい商品をつくるためにはどうしていったらいいのかということを、日夜追い続けているという。そういう形です。

なるほど。

そやけど、グルメ杵屋グループの中で、いっぱいブランドがあるじゃないですか。それぞれが、それぞれの専門のことをやっている。

でも、社長というのは、決めなあかんじゃないですか。

はい。

みんなは熱意を持って「これがええと思います!」と言う。

でも社長は、それが良かったら「それでええ!」って言えるけど、それは違うと思った時は「違う」と言わなあかんじゃないですか。

はいはい、ええ。

このお仕事の、なんというかね。僕は小さな出版社の社長やけども、ちっちゃい会社でも重圧があるんですよ。

椋本さん、どうですか、その辺?

以前は私も「いやいや、味はこうやで」「そんなん違うで」って、ついつい口を出す方だったんですけども、今はそうではなくて、彼らに責任を持たせて、そして彼らの自主性を尊重していく。

こういうふうなことが次世代のリーダーをね、つくっていくことつながるのかなというようなことで、できるだけ彼らに任せています。

あんまり、言わんように。

グッと、そこは。

そうなっていかな、あかんねんなぁ。

就職活動、父親からの言葉

グルメ杵屋はお父さんが始められた会社で、椋本充士さんがそもそも、なんで社長に就任されたかという、そこのとことをお伺いしたいと。

私は3代目の社長で、創業者の父親から次・2代目の社長にバトンが移りまして、そして私のところに回ってきたんですね。

会社は今年ちょうど60年目に入っているんですけども、そういう中においてですね。やっぱり、良い時も悪い時もあります。

ちょうど今から15年ほど前にですね、一つは社会的な変化。これがリーマンショックだったんですね。

あぁ、リーマンショック。

そのタイミングで、当時の当社No.2であった取締役がお亡くなりになられたんですね。

それが、その時の社長にとっては非常に厳しい状況になって、バトンを次に託すというふうなことで、私のほうにお話が来たんですね。

なるほど。その時点で、椋本社長は杵屋グループにはいらっしゃったんですよね。

はい。

お父さんの創業された会社に入られたきっかけは? すんなり入りはったんですか?

学校卒業しましてね、はじめ、就職活動ということで父親に相談したんですね。「大学4年になるけども、そろそろ就職活動をせなあかん」と。

その時、密かに期待していたのは「そうか、そうやったらうちの会社に面接来るか」と、そういうふうに言ってもらえると思ってた。

「うちに来い」とすんなり言うてもらえると。

そうそう。で、そういう話をしたら、その時にうちの父親から。

「ああ、そうか。就職か。あのな、人生はものすごく楽しいぞ。お前の好きなように生きろ」

って、これだけ言われたんです。

転職の相談にも「人事部というものがあるから」

あの、別にうちには来んでええよって聞こえますよね(笑)。

そうです、そうです。

そこから僕、就職活動を始めて、当時はね、別の会社さんにお世話になってたんです。

そこで何年か勤められてから。

そうです、そうです。

まず別の会社に就職して、親がつくった会社と違うところで社会人になって、そこでやっぱり、得ることは大きかったですか?

もう、たくさんありましたね。そこでいろいろな方々にお教えいただいたことがありましてね。それが、本当に今の社長業に、非常に役立っています。

まずは普通に就職活動して、頑張って違う会社に就職する。

そやけど、入ってきたら入ってきたで、「あれ、杵屋のボンが来たね」って言われへんですか?

まあまあ、そうですね。いろいろな経緯がありましてね。

前の会社を退職しまして、その時にまた父親にね「退職したんで、それでグルメ杵屋に入りたいんやけど、どうしたらええかな」っていう話をしたら、

「ここに人事部というのがあるから、そこに電話して、中途採用の面接はどうしたらいいか聞け」という、そういう話。

それ、普通の転職活動じゃないですか(笑)。

で、僕、会社に電話して「椋本と申しますが、中途採用の面接をお願いしたいんですけども」ということで。

で、当時の人事の課長から「何月何日、いついつ来てくれ」と。「履歴書持ってきてください」ということで、面接に行ったんです。

「人事課長として、どう判断するのか」

「椋本と申しますが」って、丸わかりじゃないですか。

ところがね、その時は、人事課長はわかってなかったんです。

えぇっ?!

面接している途中で、人事課長が「ちょっと待ってくださいね」っていうことで席を立たれて、社長室に入っていきはったんですよ。

はい、はい。

で、社長室入っていった途端に、「お前、それでも人事課長か!」っていう怒鳴り声が聞こえてきた。

ええ、ええ。

その時に、まあね、創業者ですからね。

「課長が面接して、それをなぜ社長に聞きにくるんだ。課長としてどう判断するんだ」ということですよね。

はぁ〜。

だから今から考えると、あの時は僕と父親の中では、面接に行くことは周知の了解であったんですね。

人事課長だけ、知らなかった。

それは、相談しますよね(笑)。「息子さん来てますけど、どないしたらいいですか、僕は」って。

そやけど、きちっと仕事せえ、と。

はい、そうですね。

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    1969年大阪生まれ 元・広告代理店店員 元・青年失業家 現在 ひろのぶと株式会社 代表