×

クリンとイースとウッド【連載】ひろのぶ雑記〈第二十四回〉

田中泰延


  • LINEでシェアする

先日48歳になった。まさか無職のまま誕生日を迎えるとは思ってもみなかった。


24年間ひとつの仕事を続けてとうとう辞めてしまったわけだが、人生というのはいろいろあるもので、その間にも転職を考えたことはあった。


なにかで海外の広告賞をもらったときに、マレーシアの広告会社から「来ないか」と誘われたときはちょっと心を動かされたが、広告の仕事をするなら電通でできるし、英語も不得手である。TOEICなんか受けると、「日常会話には困らないが、絶対に仕事を任せてはいけない点数」あたりだ。なにより、マレーシアは回教国なんで、酒が飲めなかったら俺の人生どうするんだと思い、すぐに断った。


だが、24年の中で本気で迷い、ギリギリまでやるかやらないか考えて断ってしまった誘いが、3つある。きょうはその話をしよう。


世の中には、自分に似た人が3人いるという。それは自分にそっくりなのに、違う場所で、違う人生を歩んでいる自分の姿なのではないか。そう考えると、少し楽しくなる。もちろん、何度生まれ変わっても「この仕事しか我を生かす道なし」と考える人もいるだろう。映画監督のクリンとイースとウッドなどは、3人組なのに脇目もふらずに一つの仕事をしているのだ。



私には別の選択肢があった。


違う人生を歩んでいたかもしれないひとつめは、寺の住職だ。


こちらの寺である。

出典:google map


どこの寺とは言わないが、地方の寺だ。私は、30代前半の頃、こちらの住職と知り合い、何年かしたとき「跡取りがいないので、この寺の坊主になってくれないか」と真剣に頼まれた。


一ヶ月くらい、真剣に考えた。


よくは知らないが宗教法人というのは税金もかからないらしい。食いっぱぐれもなさそうだ。檀家みたいな存在もいて、それなりに安定収入もあるのかもしれない。しかし、頭も剃らなくちゃいけないだろうし、よく聞くとこの宗派の総本山で3年ぐらい修行をしてから住職になるらしい。


楽な仕事というのはないのである。地方の檀家の法事なんかに出向いて、ありがたいお話をする自分というのも想像しにくい。だいたい、住職というのは寺に住むのである。当たり前だが境内にお墓もある。お墓の隣で布団を敷いて寝るのはちょっと苦手だ。


そんなこんなで考えた挙句、丁重にお断り申し上げてしまった。結果、この寺は廃寺になってしまった。跡を継いでいたらと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


いまでも時々、髪を剃り、袈裟を着てお経をあげ、よくわからないような法話をする自分を想像すると、不思議な気分になる。


違う人生を歩んでいたかもしれないふたつめは、バーのマスターだ。


こちらのバーである。


どこのバーとは言わないが、20年近く通った店だ。40になったぐらいの頃、オーナーに「歳を食って、もうカウンターに立ち続けられない。この店のバーテンダーになってくれないか」と真剣に頼まれた。


二ヶ月くらい、真剣に考えた。


このバーの内装は数千万円かかっているが、数百万円で店ごと譲るという。置いてあるボトルや、ウイスキーの希少な樽もそのまま使って営業していいと言われた。20年通っていたがゆえに、オーナーは「田中さんしかいない」と言ってくれた。しかし、バーテンダーとしての修行も必要だろう。また、20年通う間には、結局一晩、客が私一人だけという夜が何度もあった。水商売というのは厳しいものだ。とうとう客が来なかった日は、明け方、店の鍵を閉めていると涙が滲んでくるんだよ、とオーナーが言っていたこともあった。


楽な仕事というのはないのである。タチの悪い客に絡まれて、「お代は結構ですからお引き取りください」なんて塩をまいている自分というのも想像しにくい。だいたい、バーテンダーというのは立ち仕事だ。電車でもダッシュして座る自分にはできそうもない。


そんなこんなで考えた挙句、丁重にお断り申し上げてしまった。結果、このバーは閉店になってしまった。なんとか代わりに営業を続けていたらと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


いまでも時々、黒いベストを着て、「バーテンダーが着るフォーマルな服をバーコートっていうんですよ」とかなんとか言いながら、シェーカーを振る自分を想像すると、不思議な気分になる。


違う人生を歩んでいたかもしれないみっつめは、雑誌の編集長だ。


こちらの雑誌である。

出典:Amazon


どこの国とは言わないが、東南アジアの風俗店や観光スポットを案内する雑誌だ。40すぎた頃、これを発行している会社の株主に「編集部が揉めたりして発行部数が下がっている。この雑誌の編集長になってくれないか」と真剣に頼まれた。


三ヶ月くらい、真剣に考えた。

出典:Wikipedia

バンコクには住んでみたい。仕事や観光で何度も訪れている。食い物もうまい。その街で風俗店の紹介をする記事の指揮を執る。なんだか酒池肉林なような気もする。だが、負わなくてはいけない責任は、編集部員や、ライターや、カメラマンたち、なにより数字にはっきり現れる売り上げ部数だ。


楽な仕事というのはないのである。毎日風俗嬢の写真を選別して「もっとセクシーな写真を撮ってこい!」なんて檄を飛ばしている自分というのも想像しにくい。いや、ちょっと想像できるけど仕事にしたらどんなことでも大変だろう。


そんなこんなで考えた挙句、丁重にお断り申し上げてしまった。結果、この雑誌は休刊になり、web配信の媒体になってしまった。なんとか編集長を務めて新機軸を打ち出せていたらと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


いまでも時々、トゥクトゥクの後席に座り、「新規開店の風俗店に急げ。200人も女の子が在籍してるらしいぞ」とかなんとか言いながら、バンコクの街を走り回る自分を想像すると、不思議な気分になる。



世の中には、自分に似た人が3人いるという。それはつまり、自分にそっくりなのに、違う場所で、違う人生を歩んでいる自分の姿なのではないか。そう考えると、少し楽しくなる。


そんな私が、会社員以外の自分に出会っているこの1年は、けっこう、楽しいのである。

 

  • LINEでシェアする
  • 田中泰延 映画/本/クリエイティブ


    1969年大阪生まれ 元・広告代理店店員 元・青年失業家 現在 ひろのぶと株式会社 代表