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文字がここへ連れてきた【連載】ひろのぶ雑記〈第四回〉

田中泰延


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小学1年生の時のクラスに、伊木くんという子がいた。

伊木くんは、ある日、福井県から「阿川くん」という子が転校してきた時、泣いた。 

五十音順の出席簿で1番ではなくなったからである。

人間、どんなことにプライドを持っているのか、想像もつかない。

小学1年だから、担任の先生はみんなに「将来なりたいもの」を尋ねた。それぞれ、パイロットだとか、歌手だとか、そのようなことを言う。

その中で、あのプライドの高い伊木くんは、「犬になりたい」と答えたのだった。

放課後、先生が2時間くらい伊木くんを説得した。伊木くん、大きくなっても犬にはなれないのよ。伊木くん、がんばっても犬にはなれないのよ。

ホームルームが開かれた。なぜ人間は犬にはなれないか、なぜ犬になりたいと考えてはいけないのか。

小学1年だから、話し合っても結論は出ない。そして、じつは、47歳の私にも結論が出ていない。

 

そんな私は、会社を辞める自分を、まるで犬だと感じた。会社にいた時の自分は、人間だった。集団で行動し、なにかを建設したり成果をあげるために他者と協調し、役割を分担する。同じ哺乳類でも犬はあまりやらない動物行動を遂行していたのだ。


だが、そこを離れる瞬間が、犬のようだと感じたのだ。


散歩の時、河川敷の土手なんかで鎖を解くと、犬は猛ダッシュでどこかへ走り去る。それはもう、ものすごい勢いだ。

しかし、しばらくするとだいたい戻ってくる。

鎖が取れて一瞬嬉しかったので走り回ってはみたものの、よく考えると犬には別に行きたいところとか、転職先とかないのだ。

 

私は会社で24年間、文字を書く仕事をしていた。辞めるとなった時は、長かった文字を書く年月から鎖が取れた気がして、一瞬、走り回ったのだが、結局、いまこうして文字を書く仕事をしている。

それについて、私はこのサイト、『街角のクリエイティブ』の編集長、西島さんを恨んでいる。今日はその恨みを書こうと思う。


2年前のことだ。2015年の2月だった。西島さんから急に一通のメールがきた。メールというのはいつでも急である。

メールが急だと思われないためには「このあとメールをしますよ」というLINEをしなければならないし、そのLINEが急だと思われないためには「このあとLINEをしますよ」という電話をしなければならないし、その電話が急だと思われないためには直接会ったほうがいいのである。

そう考えたのだろう、西島さんは大阪まで私に会いにやってきた。なんとも急だ。

西島さんは、私が勤務している電通の大阪の制作チームの後輩で、その後、独立して東京の南青山でクリエイティブ制作会社を経営している。彼は言った。

「僕が編集長をしているサイトで、映画評論を書いてください」

 そういうことはメールに書いて欲しい。直接言われたら断れないではないか。

西島さんは続けて言った。ひろのぶさんがたまにツイッターで映画について一言書いているのを読んで、面白かったので。

「だから、一行でもいいですよ」

  

翌週、僕は7,000文字書いて送った。

 

その日から私の人生は、人間から犬に向けて走り始めたのだ。

 
 私は24年間、文字を書く仕事をしていたが、長い文章など書いたことがない。

広告のコピーライターが書く文章の分量など、キャッチコピーが20文字くらい、ボディコピーと呼ばれる商品の説明が200文字くらいなものだ。

その自分が、原稿用紙に向かって、生まれて初めて自分の頭の中を文字にしたら、いきなり7,000字なのだ。終わらない無駄話も含めて、書いても書いても文字が頭の中に迫ってくる。

出典:YouTube

頭の中で、文字が横一線になって迫ってくる。

出典:YouTube

それを書き写すだけで朝になってしまう。そのことを1年半続けているうちに、会社で20文字のキャッチコピーを、しかも何かの商品のために書くことが、どうしてもできなくなってしまったのだ。


西島編集長との出会いにより、私は会社を辞めて人間から犬になった。

会社を辞めると、月給がもらえないだけではなかった。会社が法人で加入していたスポーツクラブの会員権や保養施設の割引券も無くなった。それは、集団で行動し、なにかを建設したり成果をあげるために他者と協調し、役割を分担していた人類へのご褒美だったのだ。犬には会員権や割引券は必要ないのだ。

もう割引で東急スポーツオアシスも行けないし、ホテルニューアワジにも泊まれない私は、ほんとうに西島編集長を恨んでいる。お前、平成何年入社や。


だが、ホテルニューアワジには行けなくても、書くことで私は思いもしなかった場所に立つことになる。書いたものを読んだ誰かが、予想もしなかったどこかへ、私を呼び寄せてくれるようになったのだ。

「あなたの書いた文章を読んで、会ってみようと思いました」という人から連絡があり、京都駅に立った時。「あなたの書くものが好きだから酒を奢る」と言われて気が付いたら九州にいた時。「読んだら面白かったので、話を聞きたい」と言われて静岡の「さわやか」という店のハンバーグを食べている時。

そんな時、私は、

  

文字がここへ連れて来た。

  

と思う。

今日は午後からハローワークへ行く。ハローワークに立っているときも、いつも「文字がここへ連れて来た」と思ってトホホとなるのだけれど。

  
西島さん、恨みます。お前、平成何年入社や。
 
 

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  • 田中泰延 映画/本/クリエイティブ

    1969年大阪生まれ 広告代理店元店員 コピーライター/CMプランナー ひろのぶ党党首 ひろのぶと株式会社