雄琴のソープ街で働く道子は、愛犬シロと琵琶湖でジョギング中、謎の笛の音を聞く。
ある日、シロが殺される。米国の諜報員ローザの協力で、犯人は東京の作曲家・日夏という男だということが判明する。
日夏の日課がジョギングであることを知った道子は、日夏を「倒れるまで走らせてやる」と決意し、駒沢公園で日夏を追いかけるが、振り切られてしまう。敗北した道子の前に、銀行員の倉田が現れ、求婚してくる。
そんな折、道子は哀しげな笛を吹いていた男、長尾に出会う。長尾は織田信長に殺された女、「みつ」の子孫で、その魂を鎮めていたのだ。NASAで働く長尾は、大気圏外へ飛び立つ…
これ、私がデタラメを書いているとお思いになるであろう。違う。本当にこんなあらすじの映画があるのだ。興味のある方は調べてみてほしい。あまりのわけのわからなさに驚くことだろう。
この映画と同じくらい、世の中にはわけのわからないことがある。
無職になった私にも、わけのわからないことがふりかかってくる。それは、みんなが同じ質問をすることだ。「何をするために辞めたのか」と。それに対して「なにもしないでぶらぶらしています」と何度答えても信じてくれない人がいる。
最近その人に、もうめんどくさいので「ミラノで靴職人になろうと思って」と答えることにした。するとその人は、一瞬おとなしくなったのだが、すぐに「靴職人になるにはどんな修行をするのか? イタリアの靴の製法の特徴は何なのか?」などと訊いてくるのだった。
どう考えても私がアリタリア航空に乗る気配はなさそうなのに、訊いてくるのである。おかげでだいぶ靴職人の仕事について詳しくなった。
そのほかにも
「ドバイで投資会社を経営する」
「マレーシアでマングローブの植樹をする」
などと適当な回答をしたばっかりに、ドバイの通貨はディルハムでありUSドルとペッグ制をとっていることを知ったし、熱帯降雨林の地下に蓄積された炭素は、通常1ヘクタール当たり100トン以下だがマングローブ林の地下部には1,000トン以上の炭素が蓄積されていることを計算で突き止めた。
そんな複雑な為替計算や二酸化炭素の測定方法をマスターしたにも関わらず、元いた会社の関係者の集まりなんかに行くと、元同僚たちがやはり「なにをしたくて会社を辞めたのですか?」と横一線になって尋ねてくる。
横一線で迫る、そんな大江戸捜査網みたいな、そんな隠密同心みたいな、江戸の町を堂々と歩いてどこが隠密やねんみたいな、死して屍拾う者なしみたいな、そんな勢いで質問してくる。
そのとき、ハタと気がついた。
ついでに昭和時代は月に一度の女の子の日をハタ日と呼んでいたことも思い出した。
いらないことを思い出したので気がついたことを忘れそうになったが、もう一度気がついた。
「なんか、みんな・・・不安なのだ」
と。
いや、私の方が不安だと言いたい。会社に残ったあなた方より、なにもなくなった私の方が不安にきまっておろう。
だが、会社勤めを続けるみんなは経験がないことだから、人は組織を離れたら一体どうなってしまうのか、痩せ細ってしまうのか、死んでしまうのか、不安だから実例を見て質問ぜめにしたいのだろう。ちなみに体重は増えたのでそのあたりはかなり安心感を与えることができ、とても良かった。
一昨日も元の会社の人たちが集まるパーティでパスタを山盛りにして食べていたら、真剣な顔で
「やはり、こういう機会にたくさん食べておくんですか」
と訊かれた。どういう機会でもたくさん食べる。そんなに見ないで欲しい。
不安なのはわかる。だが、不安といえば何もかも不安だろう。そもそも、なんで生まれてきたか答えられる者はいるだろうか。いや、いまい。(疑問-反語) 両親がイチャイチャしたからだというのはその問いの答にはなってない。どこから来て、どこへ行くのかもわからないまま歩かされるのが、生命なのだ。
あらゆる生きとし生ける者と敏いとうとハッピー&ブルーなのだ。
出発点も終着点も不明。そういう不安が根本にあるのに、その途中地点では何か目標っぽいものを作って、達成したのしないの、安心したのしないの、考えてもしょうがないと思うのだ。
私は知っていたのに、忘れていたつもりになっていた「不安」を、もういちど抱えて生きることにした。忘れたつもりがいやになったのだ。
パーティの夜も更けた。
「田中さんは、糸の切れたタコだね」と言われた。
そうだとも。タコだ。今まで何かの糸に縛られていたのだ。だが、糸が切れたら空から落ちて終わりは勘弁だ。タコはタコでもクネクネするほうだ。これから思う存分、明石海峡あたりの海底で、クネクネして生きてみよう。
「セミリタイアですか?」とも言われた。
そうだとも。セミリタイアって、あれだろう。セミが死ぬ間際に、地面に横たわってジジ・・・ジジ・・・といってるあれだろう。もう老い先長くないかもしれないが、鳴けるうちはジジ・・・ジジ・・・と鳴いてみようと思う。