 
                                    
                                    
引っ越し業者でもないのに、なぜか引っ越しの依頼がよく舞い込む。
ざっくりとこの5年で、6件。
依頼主はどこから聞いたのか、人伝で突如依頼が来ることが多い。
シティーハンターならぬ、シティームーバーである。
若手は引っ越しの資金もいろいろ大変だろうし、こちらも日程と時間に余裕があるとき、なるべく手伝うことにしている。
「引っ越し」という言葉を聞くと、なぜかテンションが上がる。
その原因はハッキリとはわからないが、引っ越しのときに漂う独特の“空気”が好きなのかもしれない。
ある引っ越しの当日。
まだ20代男性の友人のアパートへ向かう。
僕は見知らぬ駅や地名、初めて見る土地、その家の周辺にある景色や空気、そして部屋からの眺めなど一通り見る事になるのだけど、そこで彼が毎日生活をしていたのだろうなぁという想像をする。
僕は幼少の頃から親の都合で転校をする機会が多く、引っ越しに関しては慣れているという事もあって、身近で引っ越しをしますという人がいると、ちょっと手伝いたくなる。
もちろん家族単位での引っ越しは、運ぶ量も恐ろしい事になるので断然業者さんに頼むのがベストだが、近距離で単身の引っ越しであれば、多くてもクルマでせいぜい数往復もすれば終わってしまうので、わりと簡単なのである。
クルマの荷室にテトリスの要領で隙間なく家財を詰め込み、彼らが長らく住んでいた街を後にして新しい街へ向かう。
助手席の彼がスマホの地図を見ながら、「こっちに行くと近道みたいです」と教えてくれる。
土地勘のない場所を進むその時間が、なぜか少しワクワクする。
段取りに関してはどの引っ越しも概ね同じパターンで、依頼主には電気・水道・ガスやネットの開設などをどんどん進めてもらう。
その様子を見ながら、こちらは素早く部屋のスペースへ荷物を運び込む。
その間も、通販などで買ったと思われる家具や家電の配達が次々に運び込まれるので、僕は合間を縫ってそれらを作り上げる。
昼過ぎには一通り作業が終わり、段ボールだらけの部屋でコンビニ飯を食べながら、
「新しい場所も、いい街じゃん」
と言うと、
「はい。でも、人間関係とかめんどくさいんですよね。友達とか作るの苦手なんで」
彼は、やや憂鬱そうに呟いた。
その言葉を聞いたとき、昔の自分の感情にも似た、懐かしい感覚がよぎった。
——引っ越しをすると、人との接点が増える。
特に子供の頃は学校という場所があるので、否が応でも新しい人間関係が生まれた。
友達ができれば、その家の親御さんとも知り合う。
そうやって顔見知りの数は増えていったけど、親友と呼べる存在は、どの街でもほんの少ししかいなかった。
大人になってもそれは同じで、ゴミ捨てでよく会う人、会社ですれ違いざまに軽く話をする人、居酒屋でしか会わない人、たまに行く喫茶店でいつも同じ時間にコーヒーを飲んでいる人。
きっと社会に出れば出るほど、周辺に増えていくのは友人より、知人という存在がほとんどを占めるようになる。
SNSでは、「友達が少ない」と嘆く人をよく見かける。
けれど、その人が見ている“楽しそうな人々”も、みんなが本当の友達なのかどうかなんてわからない。
むしろ、気づかないうちに増えている“浅いけれど確かな知人”こそ、人生を変えるきっかけになることが多いのではないかと思う。
人付き合いが上手な人というのは、誰にでも親身に寄り添っているわけじゃない。
おそらく本人にも特別な意識はない。
ただ、知人という浅煎りコーヒーのように軽やかな存在と、どう接しているか——それだけの違いで、そこには性格や性別すらも、あまり関係ないと思っている。
だからといってぞんざいな扱いをしていいという話ではなく、簡単に言えば、貴方の興味のある話だけに寄り添えばいい。
考え方もTweetも性格もマッチしないけど、互いが好きな趣味に関して共感できるなら、その趣味の魅力だけ分かち合えばいい。
逆に親友や恋人のように、時には気を遣いすぎたり、自分の好きじゃないことに付き合わされたりする関係よりも、知人という存在のほうが、むしろ理想的な距離感を持っているのかもしれない。
もちろん何かが共鳴し、知人から友人になり、最高の親友になるかもしれないし、恋人になる事だってあるだろう。
SNSというツールを使う魅力は、そんな知人が増えていく喜びじゃないだろうか。
思想信条が違っていても、笑いのツボが同じなら繋がれる。
政治の話は合わなくても、趣味の世界が楽しければ笑い合える。
会ってもいいし、会わなくてもいい。
誰にも支配されない、支配する必要も意味も無い世界だ。
今の若い子はみんな、真面目過ぎる。
あまりに世界に敏感で、他人に敏感であり、1つ足場を踏み外すとゴロゴロと転がってしまうような、そんな危うさすら感じる時がある。
もっといい加減で、そんなに窮屈じゃなくていい。
信じられないほど貴方は自由で、ずっと世界は寛容で、とんでもなくアホな事象で世界は埋め尽くされている。
——昼の休憩が終わる頃、スマホの画面を見ているまだ若い彼の横顔を見ながら、僕はなんとなく、そんなことを思うのだ。
田所敦嗣さんの著書
 
    スローシャッター
田所敦嗣|ひろのぶと株式会社
※ 本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています。
                
                    田所敦嗣                
                エッセイ
                
                
                                    
                         
                    
                                
                
                                    
                         
                    
                            
千葉県生まれ。水産系商社に勤務。エッセイスト。著書 『スローシャッター』(ひろのぶと株式会社)で、SNS本大賞「エッセイ部門」受賞(2023年)。フライ(釣り)、写真、野球とソフトボールが趣味。人前で声が通らないのがコンプレックス。

 







