神戸でこうべを垂れる
10月8日(水)
東京駅地下、銀の鈴。待ち合わせの時間、9時15分。
今日は朝から盟友田中泰延とクライアントとの打ち合わせのために神戸へ向かう。
東京駅で調達した崎陽軒のシュウマイ弁当を新幹線の車内で食べる。
シュウマイ5個、鶏の唐揚げ、鮪の漬け焼き、筍の煮物、卵焼き、蒲鉾、切り昆布、千切り生姜、そしてあんず。俵形のご飯と小梅。
目の前にある弁当は、あの頃と全く変わらなかった。
当時付き合っていた24歳の女性。赤い制服がよく似合っていた。
崎陽軒の売り子だった彼女から、売れ残った弁当をよく貰って食べていた19歳のテキ屋の日々をふと思い出す。
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満腹になるとすぐ寝落ちした。
広島行きの新幹線。
普段なら緊張して起きているところだが、
今日はひとりじゃないので乗り過ごす心配はない。多分。
京都に差し掛かる頃に目が覚めた。
「豪さん、あれ、東寺」
ひろのぶさんが指差す方向を見ると五重塔が見えた。
そういえば、これまで下りの新幹線で左列に座ったことがなかったかもしれない。
考えてみれば、仕事で日本のあらゆる場所に訪れたことはあるものの、仕事柄いわゆる僻地ばかりで、有名観光地のような場所へ行ったことがない。
旅行というものに縁がなかった人生。この歳にもなって恥ずかしい限りだ。
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新神戸の駅に着いた。
この駅に降り立ったのは仕事で訪れて以来27年ぶりだ。
あの時の仕事を進めるにあたって必要な、とある権利を持っている方に使用許諾を得るため、その人に会いに行かねばならなかった。
先方に指定されたビルに赴くとエレベーターで8Fまで上がり、
「こちらでお待ちください」と案内された部屋に入ると、壁のそばにいくつもの机と椅子が寄せて置かれていた。
普段あまり使われていない雰囲気の、宴会場のような大きな部屋。
がらんとした広い空間に、長机がひとつと椅子が数脚対面になるように置かれ、神戸の街が一望できる窓からは昼間の光だけが差し込んでいた。それでもどこか薄暗いのは照明が消されているからだ。
少し経ちその部屋に現れたのは明らかに堅気の世界の人ではなかった。
その匂いを感じたのと同時にいつの間にか部屋の照明がついていたことに気づいた。そして俺は
……この先は書くことができない1999年の出来事をつい思い出す。
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神戸。
今月、19歳の息子が親元を離れこの街へ出て行く。
ある夜、「もう自立しなきゃ」と彼は言った。
突然のその言葉に、ここ数年の、子供なりの気苦労があっただろうことを察した。それと同時に彼が大学と野球を辞めると告げた夜のことが鮮やかに蘇った。
彼はなんの縁もない神戸という街でひとり、どのような暮らしをして、どのような人に出会い、どのような経験をするのだろうか。
いつか、彼が男としてひと回り大きく成長した姿を見られる日が来ることに想いを馳せながら、
俺はクライアントとの打ち合わせ場所への道を歩いた。
どうでもいいか。どうでもいいな。
上田 豪 広告・デザイン/乗り過ごし/晩酌/クリエイティブ
1969年東京生まれ フリーランスのアートディレクター/クリエイティブディレクター/ ひろのぶと株式会社 アートディレクター/中学硬式野球チーム代表/Missmystop