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帰国子女【連載】田所敦嗣の出張報告書<第2回>

田所敦嗣


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アジアを旅すると、アジア人にはわかってしまう景色がある。

何かのカミサマを祀っている寺の門の形、その脇に置いてある石碑や線香、赤や黄色で目がチカチカする御札など、それが何のためにあるのかは正しく説明できなくても、なぜそこにあるのかは何となく理解できる。

あぐらをかいて座っている露店のオバチャンとか、店先で怒ってる様な声で電話をするオジサン、朝から晩まで同じ場所で線香とタバコを売る老人まで、アジア圏以外の人には説明し難い、特有のヤツがある。

地理的に近い国々は歴史や文化が幾度も交差してきたことで、街並みや食べ物、そこに住む人々の仕草、例えば何かでミスをしたときの茶目っ気ひとつをとっても、どこかで僕らは似ていて、アジアに生きてるんだなと思うことがある。

約15年前。

僕は上海の企業と仕事をしていた。

上海という街は昼夜問わず人と街の熱気が渦巻く大都市だが、よく見れば、街角ごとに人々や小さな宇宙を感じられる、少し不思議な街だった。

市内に住むエージェントのヤン(杨)さんは、20くらい年上の男性だった。

目が大きく、よく笑う人で、何ともいえない愛嬌があった。

当時から彼は多くの企業と深い付き合いがあったことを知ったが、何となくその理由はわかった。

ある年の7月。

羽田から上海浦東(プートン)国際空港に降り立つと、ロビーには大柄で恰幅の良いヤンさんが、大きく手を振っていた。

空港と屋外を隔てる自動ドアが開くと、駐車場はむせ返るほどの熱気に包まれていた。

その日はヤンさんがいつも乗っている日本製のセダンが故障してしまった為、彼の社員が配送で使う、古くて小柄な商用バンで迎えに来ていた。

ヤンさんは急遽代車がバンになってしまったことを、申し訳なさそうに伝えた。

車内に乗り込むと、確かにエアコンは苦しそうな音を立てるだけで一向に冷気が来ないし、乗り心地もトラックのようだった。

だが、車内で喫煙可能ということだったので、次回から送迎はこの“リムジン”でいいよと伝えると、運転中のヤンさんは前を向きながら大笑いした。

プートンから市内までの高速道路は広々としていて、片道4車線くらいはあったが、いつ来ても大渋滞だった。

ヤンさんはこの“低速道路”が今後もこんな有り様では、いつか市内に入れる車に規制がかかるかもしれないと話していたが、後年その通りになった。

僕たちは上海から少し北にある、如東(ジョトウ)という街を目指した。

上海市と比べればコンパクトだが、南方の街らしくどこか陽気で、明るい印象を受けた。

空港から2時間弱走り、ホテルに到着した。

しばらくしたら来るという総経理(社長)を待つことにした。

待っている間、ヤンさんとは仕事の話や世間話をしていたが、間もなく来る社長の娘さんは長い間カナダに留学していたので、きっと田所さんと気が合うでしょうと言われた。

ほどなくして社長が到着し、彼の後ろにはさきほど話題になった娘さんも立っていた。

年恰好は僕と同じか少し若いくらいで、背が高く、髪の長い人だった。

近くの喫茶店で大方の打ち合わせを終えると、総経理からディナーのお誘いを受けたので、快諾した。

その夜は落ち着いた雰囲気の店で上海料理を堪能し、楽しいひとときを過ごした。

帰り際になって娘さんに英語でまた会いましょうと伝えると、彼女は顔を真っ赤にして、軽く手を振った。

アジア人は極端に英語で会話することを恥ずかしがる傾向にある。

英語圏で英語を使う環境ならどうということも無いのだが、当時は僕なりに彼女の恥ずかしさの原因は伝わっていた。

それから1年ほど上海に通うことになるのだが、数回に一度は娘さんを連れてきて、共に食事をすることがあった。

夕食後に総経理の車でホテルへ送迎してくれた時も、娘さんにカナダにいた話を尋ねてみるものの、その度に彼女は顔を真っ赤にして、答えてはくれなかった。

ヤンさんはその様子を見ながら、「僕も以前短い間だがイギリスに留学していたことがあって、帰国後に英語を使うことが恥ずかしいと思った。だから、彼女も相当照れてるんですよ」と言った。

まして、父親の前で英語を話すというのは恥ずかしいだろうなと思ったし、僕はあまりしつこくしてはいけないと思い、それ以上は聞かなかった。

それからしばらくの間、一緒に食事をする機会は無かった。

空港から市内までの複雑怪奇な道のりを覚える頃には、仕事も大詰めになっていた。

上海はその周辺を大河や湖で囲まれているせいか、いつも街が宙に浮いている様な感覚があった。

近代的な開発区から、ヨーロッパと見間違えるほどの街並みを残した街角も多くあって、ホーチミンやバンコクとは違う空気を纏っていた。

ある冬の晩、久しぶりに娘さんも食事に合流をした。

普段から彼女とは深い話をした記憶は無かったが、久しぶりに料理のことについて彼女に英語で尋ねると、娘さんは一呼吸置いて、恥ずかしそうにヤンさんに向かい中国語で何かを話した。

するとヤンさんは目をまんまるにして、驚いたような口調で彼女としばらく話していた。

僕は彼女に対して、何か失礼な質問でもしてしまったのかと不安になったが、同席していた総経理が隣の席で突然大笑いした。

ヤンさんは気まずそうに言った。

「タドコロさん、いやーボクの勘違いです。彼女は留学していないし英語も話せません」

え?

僕はしばらく、彼が何を言っているのか理解するまでに時間がかかった。

話によると彼は、別の取引先の娘さんと勘違いをしていたらしい。

初めて話したときに彼女の顔が真っ赤になったのは、話すことに照れているのではなく、唐突に僕が英語で話しかけたせいだろう。

話しかけられた彼女も迷惑だろうし「英語で話すことを恥ずかしがらずに話して」などと言った僕はもっと恥ずかしい。

ある日の食事でワインが出された時も、カナダを思い出しますかと尋ねたが当然あるはずもないし、僕がカナダのワインについて語っていたあの時間も今すぐ返却して欲しい。

ヤンさんは困った顔をし、髪がボサボサになるほど頭を搔きながら彼女にも謝っている様子だったが、それはアジアの人がする特有の仕草だった。

そんな様子を見ながら、総経理は僕に小さな声で言った。

「ヤンさんはいつもこんな調子だけど、不思議と人を笑顔にするんだ。だから私も長い間、彼と付き合っている」

総経理は先ほどの大笑いとは全く別の笑顔で、ニコリとした。

まもなく日没する夕刻のレストランは、いつもの賑やかな円卓に戻った。


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田所敦嗣さんの著書

スローシャッター

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田所敦嗣|ひろのぶと株式会社

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    千葉県生まれ。水産系商社に勤務。エッセイスト。著書 『スローシャッター』(ひろのぶと株式会社)で、SNS本大賞「エッセイ部門」受賞(2023年)。フライ(釣り)、写真、野球とソフトボールが趣味。人前で声が通らないのがコンプレックス。