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伊藤荘2階右号室【連載】ひろのぶ雑記〈第八回〉

田中泰延


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先週、「トラックの運転手をしながら夜間大学を卒業した」という事実を淡々と書いたのだが、読まれた方から

「大変だったんだな」

「苦労したんだな」

「苦労人かよ」

「クローン人間かよ」

などの声が寄せられた。

誰が遺伝子から無性生殖によって誕生した人間なのだ。誰が核を除去した卵子に体細胞を直接注入するホノルル法により生まれた人間なのだ。そんな別の自分がいたらまずこの原稿を書いてもらいたい。


はっきり言って、露ほども苦労していない。だいたいちょこっと肉体労働をしたら苦労だというなら、生涯を通じて肉体労働を生業とする人に失礼である。

私自身のことでいうと、若くて体力があったこともあるかもしれないが、トラックを運転して荷物を積み降ろしした4年間は、むしろ爽快であった。健康的で楽しかったと言ってもいい。

どっちかというと、4年間の肉体労働を終えて、いわゆるオフィスワーカーになった24年間のほうが、苦労を感じたことが多いと思う。

それにしても、誰かのことを「苦労した」と規定したい人は不思議だ。

「それであなた、ご苦労なさって」

「いえ、別に苦労はしてません」

「でも、大変なご苦労で」

「苦労じゃないです」

「いいえ、ほんとにご苦労されて」

「ですから苦労はしてません」

これは、どうしても苦労話にしたい黒柳徹子と私の想定問答だ。もし私が「徹子の部屋」に呼ばれたら必ずこのループに陥るだろう。

黒柳さんの話はこのへんにしてもらいたい。今回は私が上京した時に住んだいくつかの家のことを話そう。


18歳で夜間大学に入学するために上京したのだが、なんと私には「住むところがなかった」。いや、そんな話があっていいのかと思うが、本当になかったのだ。今考えてもおかしい。

奨学金を借り、入学費用と初年度の授業料を納めたのはいいものの、最後に東京行きの片道切符を買ったところで所持金が「ゼロ」になったのだ。

とはいえ、とりあえず行くしかない。そのうちなんとかなるだろう。そこでまず私が実行したブリリアントな作戦は、「知り合いの家に転がり込む」だった。我ながら完璧だったと思う。

横浜近郊の友人男性のワンルームマンションをいきなり訪ね、鞄ひとつ手に提げてピンポンした。2〜3日泊めてもらうぞ、と告げると「いいよ」と快諾があった。ただし2〜3日したら出て行くとは一言も言ってない。

そのまま3ヶ月ほど居着いた。ものすごく迷惑だったと思う。その友人の彼女が訪ねてきた時は、いつも「済むまで出ておいてくれないか」と言われる。2時間ぐらい外に立っているつもりでいたら、30分ぐらいで「済んだから入っていいぞ」と言われて「早すぎる」と批判したら本格的に追い出された事もあった。

名は伏せるが、その友人宅には3ヶ月間、ほんとうに世話になった。だが、いいかげん他人の家は出なくてはいけない。働いて小金を貯め、高田馬場の不動産屋に行った。不動産屋は選択肢を示した。

「下北沢と、上板橋、どっちがいいですか?」

「下より上がいいだろう。上板橋で」

と私は即答した。

家賃月6万5千円、いざ物件を見てみると、それは

「ラ・エスポワール上板橋」

というパステルカラーに塗り分けられた賃貸物件だった。約30年前の話だ。いまはもうすっかり、

出典:Googleマップ

あった。まだあったわ。Googleマップ恐ろしい。

しかし、ここに住んでいたのは1年ほどだった。先週書いた、18歳から1年ほど勤めた会社組織を辞めたとき、毎月6万5千円が支払えなくなった。そこで引っ越したのが伊藤荘だ。

西早稲田にある家賃2万5千円、風呂なし、共同便所の4畳半、1階にひと部屋、2階にふた部屋しかないボロアパート、私の部屋の住所はまさかの


「伊藤荘2階右号室」


といった。これは正式な住所なのだ。住民票にも、免許証にもこう印刷してあった。伊藤荘2階右号室。もちろん向かいの部屋は伊藤荘2階左号室である。

ある日、郵便局の人が書留を持ってきて、怒った。

「僕がどっちを向いた時の“右”なんですか。わかりゃしない」

一升瓶をぶら下げて押しかけてくる大学の同級生、えらく都合のいい将来の夢を語りあった仲間、いろんな連中と、この四畳半でとりとめのない話をした。


その伊藤荘は今はすっかり取り壊され、駐車場になっている。


貧しくても確かに若さがあった、と思いたい。過ぎた日々の思い出を懐かしさとともに語ることは、“Talking about the good old days”という。そのときはうんざりしていて、ここを脱出したいと思っていたのかもしれないが、その気持ちは「あの頃は良かった」に上書きされてしまっている。それは単に自分の肉体が若かったからなのかもしれない。


だれもが、一度しかない人生を一度きり生きている。

もし、私のクローン人間ができても、やっぱり同じような貧しさとか、心細さとか、やることなくて男2人で口笛を吹いた夜とか、ゲロを吐いてビルを見上げた瞬間、理由はわからないけど無限の希望を感じた朝の新宿の風とか、そんな気持ちを味わってほしいと思う。

たとえ私にそっくりなクローン人間でも、きっと一度しかない人生を一度きり生きるのだろうから。


でもそんなおれにそっくりな奴が来てまた3ヶ月居座ったら、神谷くん、めっちゃ嫌やろな。

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  • 田中泰延 映画/本/クリエイティブ

    1969年大阪生まれ 広告代理店元店員 コピーライター/CMプランナー ひろのぶ党党首 ひろのぶと株式会社