先日、“ライフプランナー”と称する男がやってきた。来るなり、彼は言った。
「会社辞めるとかアホや」
棒グラフと、折れ線グラフが描いてある紙を喫茶店のテーブルに広げ、話を聞かされる。
この棒グラフと、折れ線グラフを見てどうだ? なにか気がつかないか? と彼が尋ねるので
「あとは円グラフがあればグラフ御三家が揃うし、そこにシュテフィ・グラフが加われば、アンドレ・アガシもやってくるに違いない」
と答えると、完全無視のまま話は続いた。テニスに興味がないのだろう。
気づくも気づかないも、グラフの上に大きな赤い文字で
田中様の老後の資金は、64歳の時点で6500万円不足します
と書いてあるではないか。グラフを読み取る必要などなさそうだ。
ひろのぶ、お前は47歳で会社を辞めた。だが日本の男性の平均寿命は80年だ。しかも生存数でいうと、80歳で死ぬのは半数だ。それ以上生きる確率を考えると、まだ人生の半分近くは残っている可能性がある。
もし、お前がこのあとなにかのアルバイトをして毎月15万円ほどの収入を得たとしても、64歳の時点で退職金を食いつぶす。そのあと年金が支給されても、住居費、食費、光熱費、など老後の資金がトータルで6500万円足りなくなる。そもそも、住宅ローンが69歳まで残ってるじゃないか。どうやって払うんだ。
ひろのぶ、死ぬまでまだ40年あるかもしれないんだぞ。なるべく早くどこかに再就職して一定の収入を得なければ、お前に待っているのは生活保護だ。
さっきからこの保険会社のライフプランナーは「ひろのぶ」「ひろのぶ」「お前」「お前」と馴れ馴れしい。何様だ。
とかなんとかいっちゃって、私は彼が誰だか知っている。
彼は、私の電通の同期で、退職して保険会社に再就職してライフプランナーになったのだ。だから、
「会社辞めるとかアホや」
という言葉は、心からの忠告である。
私は計算ができない。
だいたい、高校2年の数学ぐらいから脱落した。
そもそも、24年働いてきた、と言っているが、実はそこから計算が間違っている。ほんとうは29年間、労働者として過ごしてきたのだ。高校を出てから、無職の状態になったのは初めてなのだ。
18歳の時、私は大学生として東京にやってきた。だが、すぐにある会社に入り、そのまま1年間働いた。
そして、そのあと大学を卒業するまでの4年間。
私はトラックの運転手をしていた。
今週からしばらく、電通に入社する前の労働について書こうと思う。時系列が逆なのだが、まずは4トントラックの運転をしていた頃のことを話そう。
1989年の4月。私は1年間を過ごした、ある会社を飛び出した。飛び出したはいいものの、働かないことはすなわち死を意味する。
私は19歳で、夜間大学に通う学生だった。
あっさり書いてしまうが、私は貧しい家の生まれである。
よく「お坊ちゃん育ちっぽいですね」とか「福々しいですね」とか「クマのぬいぐるみに似てますね」とか言われるのだが、これは役作りだ。血の滲むような努力で1日4回ほど牛丼を食べ、深夜にラーメンをいやいや食べ、遊び抜かれた肉体を手に入れたのだ。
私は高校も大学も、親の援助が望めず、入学金も授業料も全額、育英会の奨学金を借りて卒業した。しかも高校も大学も公立に落っこちてしまい、私立に通ったので、結構な合計額だった。完済できたのは会社に入って10年以上してからだ。
なので、働きながらでないと大学は卒業できない。そこで選んだのが、早稲田大学文学部の夜間だった。ちなみに今はその学部はもうない。時代の流れだろう。
18歳で入った一つ目の会社を1年で辞めてから、求人の貼り紙をみて、板橋区の運送会社に入った。自動車の部品をトラックで運ぶ会社だ。
暗いうちから起きて、板橋の会社へ行き、作業服に着替える。4トントラックに加工済みの自動車部品を積み込み、福生や座間の工場まで走る。荷物をすべて降ろし、代わりに加工前の部品を積み込んで戻る、これを繰り返す。当時は普通免許で4トントラックが乗れたのだ。今は法律が変わり、普通免許でそんな巨大な乗り物は運転できない。
当たり前だが、金属でできた自動車の部品は重い。積み降ろしは重労働だが、そこはバブル期の日本だ。たくさんの外国人労働者がいて助手を務めてくれた。そこで出会った人々のことはおいおい話そう。
4年間、私は寡黙だった。というか、話をしようがない。朝、荷物を積み、車を運転し、昼、荷物を降ろす。また荷物を積み、車を運転し、夕方、荷物を降ろす。そして夕方6時には大学の教室に座る。授業が終わると、図書館で借りた本を寝落ちするまで読む。4年間、これを繰り返した。
労働は、嘘をつかない。荷物は積んだだけ積まれていくし、降ろしただけ降りていく。なにかの重量を帯びたものを託され、自分の肉体で関係することで、私はお金をもらった。私はその4年間で、身体は嘘をつかず、言葉は嘘をつくことを知った。
のちにどういうわけか広告会社に勤務するようになった時も、私はなにが嘘で、なにが嘘でないかを忘れたことはなかった。肉体で、関係すること。広告の仕事も、同じだったのだ。誰かから預かった何かを、離れている誰かに届ける。その何かに、身体で関わらなければ、それは嘘に変わってしまう。
そして、またその仕事を離れ、こうして何かを書くことで生きていこうとしている。だが、忘れてはいけない。身体が伴わなければ、きっと嘘になる。いまこの瞬間も、追憶に輪郭を与えるため、それを嘘にしないために、私はその重量を確かめている。
肉体で関係する労働は、今日も続いている。