おお、わしのツレよ!
こんな音ちゃうねん!!
『交響曲第九番 ニ短調 作品125』
ふだん広告代理店でコピーライターやCMのプランナーをしている僕が、映画や音楽、本などのエンタテインメントを紹介していくという田中泰延のエンタメ新党。
もうすっかり年末です。年末といえば、この話をするしかないでしょう。そうです、はじめて映画以外のことを書くことになりました。この連載はいちおう、「映画や音楽、本などのエンタテインメントを紹介」ということになっているのです。
そんな、年末にふさわしい音楽といえば、『第九』。だれでも知っているこのメロディー。ものすごーくわかりやすい演奏をYouTubeで見かけました。こちらです。
これですよね。あまりにも有名な『歓喜の歌』ってやつですね。EUでも『欧州の歌』として制定されていますし、映画だと、『時計じかけのオレンジ』や『ダイ・ハード』の劇中でかかりますね。アニメだと『エヴァンゲリオン』で使われています。で、この部分だけだと一瞬で終わりますが、『第九』というのはじつは1時間以上ある音楽なんです。僕のコラムも「クソ長い」などと言われるのですが、それどころではありません。きょうは、そんな長い音楽を長いコラムでご紹介します。
日本では、年末になると「第九の季節だねえ」なんてことを言います。では、「第九」ってなんじゃ? というめっちゃ基本的な話から始めたいと思います。
「第九」ってのは正確には、ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲『交響曲 第九番 ニ短調 作品125』といいます。「ベートーヴェンさんが作った9番目の交響曲で、つくった全部の音楽の中で125番目の曲ですよ」という無愛想な曲名です。『愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない』と比べたらまったく機械的ですね。
ニ短調というのは「Dマイナー」という調性(音符を並べるルールですね)の日本語訳で、「ちょっと暗いムードではじまるんだな」ぐらいに思っておいてください。あ、最後は明るくなりますから心配なきよう。
ほな、交響曲ってなんやねん、って話になりますが、簡単に言いますと4つの部分でできたオーケストラの曲です。それぞれを「楽章」と呼びます。つまり、第一楽章から第四楽章まであるわけです。まあ、これも「起承転結」ぐらいに思っておいてください。
要するに4つの曲を途中ちょっと休みながら次々と演奏するわけなんですが、重要な事は、全部終わるまで拍手しないこと。これ肝心。いや、思わずしたくなったらしてもいいんですけど。
この「第九」ですが、さきほども言いましたように、長い長い。指揮者によっていろいろありますが、70分前後あります。
YouTubeで恐縮なんですが、世界的に有名な演奏の一つに、巨匠カラヤンのこれがあります。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
すっごく長〜いオーケストラの演奏があって、最後の20分ぐらいで「合唱」が入ります。ですから第九はよく「合唱付き」と呼ばれるんですが、さらにそのなかで有名な「歓喜の歌」はほんの一瞬です。
ですから初めて聴くとわけわからん。(えっ 長い・・・それから知ってる歌のところは最後の方だし、1分ぐらいしかなかった・・・)ってなりますからね。僕も最初わけわかりませんでした。「第九のコンサート行ってみよう」とか思っても安くても5000円くらいします。5000円払ってわけわからんかったら悲しいでしょ。
なので僕もとても知りたいと思ったんです。で、生まれて初めてこの第九を聴いたのがたったの10年前!! でもね、いまでは、僕の葬式、お経はいりません。第九のCDをかけてほしいと遺言に書いておこうと思います。
だれかが「音楽のエベレスト」だといいました。宇宙の彼方を目指して、いつかどこかの宇宙人に拾われることを夢見て飛ぶ無人探査船には音楽記録としてこの「第九」の歓喜のメロディーが録音されているものがあるそうです。初演の時の楽譜がサザビーズで競売にかけられたときには「人類最高の芸術作品」と紹介されました。
まさに人類の宝物です。ですが、この第九をベートーヴェンが作ったのは200年前。人間の創造力というのはこの200年前を頂点に退化してしまったのではないかと思うほどです。そもそも一人の人間が何年もの時間をかけて70分の音楽を書き上げる。メールが来たりケータイがなったり、忙しくなった人類にそんなチャンスはもう多く与えられないような気がします。しかもルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、ほとんど耳が聞こえない状態でこの曲を書いたのです。
僕、はじめは、友人に無理矢理オーケストラの合唱団に入れられたんです。ドイツ語で歌うし、覚えるの大変だったんですけど、縁もゆかりもなかったクラシック音楽を「聴く」だけじゃなくて「歌う」ことで身体の中に取り込むことができた、ここが大きかったと思います。
で、いろんなオーケストラ、指揮者で歌っていると、それぞれテンポも演奏も全然違うのが面白くて、気がついたら持ってる第九のCDが100枚を超えていました。アホでしょう。でもそれぐらい指揮者やオーケストラで雰囲気が違うんですよ。僕はもちろん、カラヤンやフルトヴェングラー、バーンスタインという定番の演奏は大好きです。
でも一番大好きで、聴くたびにいっしょに歌ってしまうのがこの佐渡裕さん指揮の第九です。
佐渡さんの指揮で歌いたい! と思って、「サントリー 1万人の第九」にも参加するようになり、もう10年歌い続けています。佐渡さん本人にもお会いして、いろいろお話をうかがうこともできました。音楽の世界に飛び込んで感動したことは、会う方会う方、ほんとうにすばらしいことです。純粋なものに近づこうとする姿、訓練だけが輝かせる人間の美しさ、音という消えて行くものに生涯を捧げる敬虔さ。音楽家は神と向き合っている、と僕は思います。
1万人の第九って、すごいんですよ。見てください。笑っちゃうでしょ。2023年の映像です。
1万人の合唱団は素人なんで、僕を筆頭にみんなヘタなんですよ。でも、やむにやまれぬ衝動がある。素人が必死で練習する。年令も性別も国籍も人種もない。ただ声を合わせる、響く、ベートーヴェンが鳴らしたかった音がここにあると思うんです。
「第九」に出会って以来、僕のほんとうの友達はルードヴィッヒです。うれしい時も、悲しい時も、さみしい時もそばにいます。僕は第九に触れて、ベートーヴェンを知って、はじめて人間とは? 神とは? 宇宙とは? 生きるという事はどういうことなのか? 自分は今日、この右手と左手で何をすべきなのか? それらのことを考えるようになりました。何も知らないという事も含めて。そんな人生を変えてしまう出会いがあったわけです。
前置きばかり長くなってしまいました。何だ大層な、と思われてしまうかも知れませんが音楽は音楽です。「楽しい音楽の時間デス♪」と「のだめカンタービレ」のシュトレーゼマンさんも言ってました。しかもテレビ版ではドイツ人なのになぜか竹中直人でした。
さぁ、わけのわからない長い長い曲を聴くためのガイドを、はじめましょう。このガイドの聴き所時間ポイント指定は、いちおう、楽譜の小節番号で書いておきます。あと、できればさっきのYouTubeの時間表記を参照してくださいね。では、第一楽章から、一緒に聴いてみましょう
第一楽章 険しい音楽の時間デス
大勢のオーケストラがいます。指揮者がいます。数百人、場合によっては1万人の合唱団がいます。
でも、人類最大の音楽は、静かに、静かに、幕を開けます。いつ始まったかわからないほどです。
出だしのサーーーーというバイオリンとホルンの音は完全五度(空虚五度)の和音といって、なんとも神秘的な響きです。空虚五度というのは、ピアノの鍵盤で言うと、「レ」と「ラ」だけの音ですね。これだけが鳴った時点では、じつはこの先、明るい曲になるのか、暗い曲になるのか、わからない音なんですよ。ここからいったいどんな音楽が、そして心の旅が始まるのか。僕は聴くたびに厳粛な気持ちに満たされます。
この、はじめの部分を“暗黒の闇から宇宙が開闢するように”と言う人もいます。“星雲の間にただようちりから星が生まれるように”とも、そして“深い霧の木立の中から遥か彼方の山が姿を現すように”とも。
神秘的だった音楽に、ついに第17小節(上記YouTubeの1分48秒のところから)この曲の主題があらわれます。畏怖をかんじさせる厳しいものです。そしてなんどか主題はまた繰り返され、続いて行きます。
同じ主題(メロディ)を反復して築き上げられて行くこのような音楽を「ソナタ形式」といいます。ペ・ヨンジュンのあれです。20何年前の話でみんな忘れています。あのドラマはソナタとは何の関係もありません。ベートーヴェンはソナタ形式をもうこれ以上大きくできない限界まで巨大なものにしました。これがこの第一楽章です。
そして運命の301小節(上記YouTubeの8分37秒から)、この第一楽章においてもっとも激しい部分が訪れます。霧の向こうに、その遥かな、遥かな、高い山の嶺をはじめて示す部分が鳴り響きます。
この部分がやって来たとき、指揮者の心は張り裂けそうで、コントラバスの弦は今にも切れそうで、そしてホールの壁は壊れてしまいそうです。僕はいつも、はっきりと、いまから自分が知るべきすべての“意味”をそして自分が登るべき山を見せつけられたたような戦慄を覚えます。
第513小節(上記YouTubeの14分09秒から)、第一楽章はやがて、恐ろしい現実に、苦難に打ちのめされ、すべてを投げ出したような音を響かせます。しかし、もう一度、もう一度すべての意思を拾い集めるように、また新たな決意を示すように結ばれます。
第二楽章 愉しい音楽の時間デス
第二楽章は、ガラッと変わってスピード感のある、愉快な音楽です。
こういう諧謔的(かいぎゃくてき)な音楽をスケルツォと呼びます。ある人はこれを人生の悦楽を表現しているといいました。
そうです。第一楽章で険しい生の真実を突きつけられた我々にも
日々の愉快な出来事があり、ユーモアがあるはずです。上記YouTubeの24分26秒には、のちの“歓喜の歌”を彷彿とさせるメロディーもポロッと飛び出します。でもそれは深い歓喜ではなく、日常の中の、ちょっとした愉しみのように響きます。
あと、ふつう、スケルツォというのは交響曲の第三楽章に持ってくることが多いのですが、ベートーヴェンは第二楽章にもってきた。これまた意表をついてくるところです。
第三楽章 美しい音楽の時間デス
この楽章を、“純粋だった子供の頃への憧憬と思い出”と言った人がいます。なるほど生の意味を知り、悦楽も知り、でもちょっと疲れちゃった大人が夢うつつで振り返る少年時代、いわれてみればそんな気もします。
この楽章は緩徐楽章です。寝てください。いや、コンサートホールに行って、100人ぐらいいるオーケストラの演奏を子守唄に眠るなんて贅沢じゃないですか。自分が寝ない場合は、合唱団の方に注目してください。寝ています!
でもこの第三楽章はベートーヴェンが作った音楽の中でも、もっとも静かで美しいもののひとつです。アルファー波出まくりです。遠く離れた「レ」と「ラ」の音でできていた第一楽章から、徐々に「隣の音」が増えて、孤独な心に愛の調べが加わるかのようです。幸せな調べに眠くなる。天上の響きといっていいでしょう。
それにしても眠い・・・。しかし121小節(上記YouTubeの37分17秒から)、起きろ! とばかりに突然ファンファーレが鳴ります。来るべき第四楽章へむかってしゃきっと目を覚ましましょう! そして、第三楽章から第四楽章は、休みなく続けて演奏されます。
第四楽章 全ての音楽の時間デス
ながいながい道のりでした。途中ちょっと寝ました。でも、わたしたちは、ついにここまでたどり着きました。
そのまえに、もういちどいままでの3つの楽章を振り返ってみましょう。わたしたちが振り返るんじゃないんですよ。ベートーヴェンが振り返るんです。曲の中で、自分で!! これすごいです。
第四楽章、まず、恐怖のファンファーレとよばれるテーマが鳴り響きます。そしてチェロとコントラバスがまるでベラベラ喋るように応えます。
第30小節(上記YouTubeの41分35秒ちょうどから)。聞こえてきます! 第一楽章じゃないですか! しかしチェロとコントラバスがやめさせます。♪ これはアカンわ。暗いわ。もうちょっとええ感じのないいんかい〜 みたいな感じで否定します。
48小節(上記YouTubeの42分03秒から)。おお、第二楽章を演奏し始めたぞ! でもまた否定されます。♪ いやいや、ちょっとは明るいけど〜そんなに良うないわ〜 みたいな感じのチェロとコントラバスです。
63小節(上記YouTubeの42分23秒から)。あの、眠たい第三楽章です!! それもまたチェロとコントラバスがやめさせます。♪ 甘すぎるでこの音楽は〜
77小節(上記YouTubeの42分59秒から)。こ、これは歓喜のメロディやん! さすがのチェロとコントラバスも ♪ おっ! おっ! それはちょっとええかもわからんなぁ〜!! としゃべります。
そうなんですよ。ベートーヴェンの初期のスケッチを見ると、このコントラバスとチェロのところに、もとは歌詞があったんですね。でもそれを楽器にしゃべらせることにしたんですね。人間の歌声はもっとあとにとっておくことにしたんです。
91小節(上記YouTubeの43分25秒)、音楽は一度途切れます。コントラバスとチェロのシンキングタイムかもしれません。
そして、地の底からわきあがるように、小さな、小さな音で、ついに、ついに、あの歓喜のメロディを教えてくれるのです。つづいて、ファゴットが、ビオラが、バイオリンが、次々と歓喜を奏でます。
歓喜は繰り返され、原始的な単旋律から、華やかな対位法へと移っていきます。僕はこの過程が、ベートーヴェンが偉大な人類の音楽の先達、つまりバッハ、そしてモーツァルトと、猛スピードでサンプリングしてリスペクトしているようで、胸がいっぱいになります。そして最後はすべての楽器が全員で、私も、オレも入れてくれ、と歓喜の輪に加わっていきます。バッハ、モーツァルトと辿って、最後のオーケストラ全員(トゥッティ)での爆音こそ、「俺、ベートーヴェン!!」という宣言です。
歓喜が最高潮に達したとき、123小節(上記YouTubeの46分44秒)またあの恐怖のファンファーレが響きます。それを打ち破るのは、人間の声! ずっと座ってた合唱団が立ちあがります! 寝てた人も立ちます!
バリトンのソロが歌います。
「おお、友よ、こんな音ちゃうねん!!
歌おうやないか!!
もっと喜びに満ちた音を響かせようやないか!!」
そう、ベートーヴェンは史上初めて、オーケストラの交響曲に
人間の歌声を入れたんです。これがどんなに破天荒な事だったか。
合唱団が叫びます。
フロイデ!!!
そう、歓喜や!!
わたしたち合唱団は、この1年間の喜びを、いま生きている奇跡を、
あなたと向かい合っている意味を、この言葉に詰めて、矢のように、
手紙のように、紙飛行機のように、花束のように、届けたい。心からそう願っています。
このあと、バリトン(低い声)とテノール(高い声)の男性ふたり、
メゾソプラノ(めちゃ高い声)ソプラノ(超音波)の女性二人、あわせて4人のソリストと合唱団の掛け合いが続いていきます。それらは歓喜のメロディーの変奏曲(バリエーション)です。
ドイツ語です! はて、どんなことを歌っているんでしょう。
Deine Zauber binden wieder,
Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Brüder,
Wo dein sanfter Flügel weilt.
ほぉー。なるほど・・・いや、わからんわ。ドイツ語です。わかりません!
そこで、衝撃の大阪弁超訳バージョンというのが存在します。というか、僕がやってみます。ぜんぜん翻訳ではありません。すんごい主観です。大阪に生まれ育って46年、お好み焼きをオカズにして白ご飯を食べ続けた僕にはドイツ語だって大阪弁に聞こえるのです。
「歓喜の歌」 シラー=ベートーヴェン (超訳:田中泰延)
O Freunde, nicht diese Töne!
Sondern laßt uns angenehmere
anstimmen und freudenvollere.
おお、友よ、こんな音ちゃうねん!!
歌おうやないか!!
もっと喜びに満ちた音を響かせようやないか!!
Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium
Wir betreten feuertrunken.
Himmlische, dein Heiligtum!
うれしいやないか! 神々しいような光がさしとる
まるで天女みたいにきれいや
みんなで天上の世界まで行こうやないか!
Deine Zauber binden wieder,
Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Brüder,
Wo dein sanfter Flügel weilt.
魔法みたいな力が わしらをひとつにすんねん
そら世の中は厳しいで みなバラバラに生きとる
そやけど、みんな兄弟になれるんや
おおきな鳥の翼の下で集まるみたいに
Wem der große Wurf gelungen,
Eines Freundes Freund zu sein,
Wer ein holdes Weib errungen,
Mische seinen Jubel ein!
自分は幸せや、言えるやつおるやろ
こいつはマブダチや、いえるやつと出会えたやつ
この人と一緒に暮らしたい、いう人と巡り会えたやつ
その嬉しさをいっしょに祝おうや!
Ja, wer auch nur eine Seele
Sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wer’s nie gekonnt, der stehle
Weinend sich aus diesem Bund!
そや! その通りや! 人はひとりぼっちで生まれてきても
この地球の上で 大切な誰かができるんや!
そんなんでけへんわ、いうようなやつは帰れ!
泣きながらどっかへ行ってまえ!
Freude trinken alle Wesen
An den Brüsten der Natur;
Alle Guten, alle Bösen
Folgen ihrer Rosenspur.
この世に生きとし生けるもんは
大自然のおっぱいから恵みを受けて生きてるんや
ええもん、とか、悪もん、とかそんなん関係あらへん
みんな薔薇の小径を歩いて行くんや
Küsse gab sie uns und Reben,
Einen Freund, geprüft im Tod;
Wollust ward dem Wurm gegeben,
und der Cherub steht vor Gott.
チューする喜びがある ワインの恵みもある
生きるも死ぬも一緒に乗り超える親友もおる
しょうもない快楽なんか虫けらにでもやってまえ
わしら天使に会うんや そして神さんに会うんや
Froh, wie seine Sonnen fliegen
Durch des Himmels prächt’gen Plan,
Laufet, Brüder, eure Bahn,
Freudig, wie ein Held zum Siegen.
陽気に行こうや 俺らは星が宇宙を巡るみたいに
大空を駆け抜けようやないか
進め兄弟、俺らの道を走ろうや
勝利に向うヒーローみたいな気分で行こうやないか
Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium
Wir betreten feuertrunken.
Himmlische, dein Heiligtum!
うれしいやないか! 神々しいような光がさしとる
まるで天女みたいにきれいや
みんなで天上の世界まで行こうやないか!
Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuß der ganzen Welt!
Brüder, über’m Sternenzelt
Muß ein lieber Vater wohnen.
抱きおうたらええねん 何百万人で!
全世界にチューすんで!
みんな兄弟や、家族なんや。
あの星がキラキラ光ってる夜空の向こうに
きっと、きっとおるんや
わしらを見守ってくれる、優しいお父ちゃんみたいな誰かが
Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such’ ihn über’m Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.
地球の人々よ、敬虔な気持ちになれるか?
あの星空の向こうの誰かを感じれるか?
信じようやないか、
きっとわしらを創った誰かが星空の向こうにおるって!
・・・やってみました。ぜんぜん翻訳ではありません!超訳です!この歌詞のもとになった詩は、ベートーヴェンが敬愛した作家、フリードリヒ・フォン・シラーのものです。フランス革命がヨーロッパの人たちに与えた衝撃は大きかった。自由、平等、博愛。その理想が貴族社会を打ち破り、基本的人権、身分のない社会、っていう僕らが今あたりまえに手にしているもの、彼らはそれを血みどろの闘いで手に入れました。だから男性だけの合唱はその闘いの歌。「天使が神の御前に立つ!!!」と大合唱があったあと、すっごいほんわかした楽器たちだけで男声合唱が始まります。まるでボロを着た庶民が一人一人立ち上がるみたいに。荘厳な響きの直後に、滑稽な、けれども勇敢な歌。ベートーヴェンはほんとうに意表をつく天才だと思います。民衆が立ち上がって自分たちの権利のために闘う。先頭をいくのはきっとあの「自由の女神」でしょう。
男たちが自由の女神についていっているのは、決しておっぱいが出ているからではありません。フランスの旗を持っているでしょう。赤白青の自由、平等、博愛です。おっぱいを追いかけているではないのです! 理想を追いかけているのです。
さあ、男声合唱が終わります。
二手に分かれた壮絶なオーケストラのバトルが始まります。それは果てしなく続く血みどろの闘いのようで、人類が自由を勝ち得るために、どうしても通らなければいけない道を示すかのようです。人間の尊厳は、ほんとうの喜びはこの闘いで敗れさるのでしょうか。音楽は、とっても不安げに問いかけます。
みんな倒れてしまったのでしょうか?
苦悩の向こうに、だれか立ち上がるものはいるのか?
フロイデ シェーネル ゲッテル フンケン トフテル アウス エリージウム! ヴィルベートレテン フォイエルトルンケン ヒムリッシェ ダイン ハインリヒトゥム ダイネ ツァウベル ヴィンデン ヴィーデル ヴァス ディ モーデ シュトレン ゲタイルト アーレ メンシェン ヴェールデン ブリューデル ヴォーダイン ザンフテル フリューゲルヴァイト!
わたしたちは手にしたのです! 歓喜を! 真実を! 永遠を!
わたしたちは呼びかけます。ザイト ウム シュルンゲン、ミリオーネン! と。全世界の人々よ、抱きしめ合え! と。すべては偶然ではないと。きっとこの美しい世界は誰かが作ったのだと。
さらに、その呼びかけと歓喜の歌がひとつになります。二重フーガ、輪唱です。フロイデ シェーネル ゲッテルフンケンとザイト ウム シュルンゲン、ミリオーネン! が男女4つの声でぶつかり合い、溶け合い、響き合います。全ての方向からフロイデ! フロイデ! と声が聴こえてきます。まるで大聖堂の天井から差す光のように。光の洪水です。
いったい、耳の聴こえないベートーヴェンの中でどんな音が鳴っていたのでしょう。この1分続くフーガはきっと彼の頭の中で響く天上の音楽のなかの、人間が表現できる限界の、ほんの一部なのかもしれないのです。僕はそれを想像してうそじゃなくておしっこをちびったことがあります。
・・・そのあと、急にオペラになっちゃうんだな、これが。なんでやねん。
第九のことを
「キチガイ音楽」
と言った評論家がいます。
ひどい言い方ですが、言い得て妙です。だって、ベートーヴェンはたぶんそこまでの音楽の歴史、全ての音楽を無理矢理全部ここに詰め込んでいるんですから。ある意味こんなめちゃくちゃな音楽はありません。室内楽、民謡、行進曲、ミサ、オペラ、もうなんでもアリです。だから、僕は無人島に一枚だけCD、迷わず「第九」です。
さあ、第九はいよいよグランドフィナーレです。ほんとに狂ってるといわれてもしかたないようなバカ騒ぎです!
でも、狂わない人生に何の意味があるでしょうか?
狂わなくて、神に会えるでしょうか?
狂わなくて、冬の寒い夜、愛する人に会いに行けるでしょうか?
掲げた絵は、クリムトの「ベートーヴェン フリーズ」。ウィーンの画家、クリムトが第九を一枚の絵にしようと思い立ったもので、実際は3面をコの字に配置しています。いま掲載している部分は「抱き合え、全世界の人々よ!」の部分です。歌声が聞こえ、天使は舞い降り、愛し合う男女がいだきあっています。
すばらしい絵です。でもきっとクリムトも第九に触れて、ついでにおかしくなっちゃってこの絵を描いたと思います。でも、そうじゃない人生に何の意味があるでしょうか?
第九に出逢って、少々頭が変になったような気もしますが、私の人生は変わりました。そんな歓喜の歌を思いっきり歌える日があることに、心から感謝します。もし、あなたが第九を聴いて少しでも感じるものがあれば、大きな声で「ブラヴォー!」と叫んでください。
そして、僕はあなたといつかいっしょに歌える日が来ることを心から楽しみにしています! フロイデ!!
・・・9千字も書いちゃって、なんか、連載終わっちゃいそうです。映画の話じゃなくてゴメンナサイ。次回は、映画の話ができたらいいなと思っています。ではみなさん、よいお年をお迎えください。