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チロエ島の老人【連載】田所敦嗣の出張報告書<第9回>

田所敦嗣


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働くことの先に、終着点はあるのだろうか。

大きな家を建てる夢も悪くないし、金持ちになる夢があってもいい。

ただその先には、何があるのだろう。

南米チリ(Chile)までの出張は遠く、少しうんざりする。

拙著『スローシャッター』の短篇でも何度かその旅程について触れているが、日本から約12時間のフライトで、米国ダラス・フォートワース国際空港に到着する。

ダラス空港で電光掲示板を見上げると、次の便は6時間後。ここぞとばかりに、日本から持参した読みかけの小説を開くものの、時差の影響もあって次第に読むペースが落ちてくる。

なんとか夜まで時間を潰し、ようやく次の便に搭乗すると、飛行機はアルトゥーロ・メリノ・ベニテス国際空港(チリの首都サンチアゴ/Santiago)へ向けて飛び立つ。

このフライトは深夜発で、機内では目を閉じて横になってみるが、やがて“寝ること”にも飽きてくる。

約10時間のフライトを経て朝方のサンチアゴに着く頃には、もう飛行機を見たくもなくなっている。

だが、そこからがさらに長い。

サンチアゴで次の乗り継ぎまで約4時間をなんとかやり過ごし、さらに2時間弱のフライトを経てエル・テプアル空港(プエルトモント/Puerto Montt)に到着する頃には、激しい時差もあって、現在時刻や今が何日なのかなど、いろんなことがどうでもよくなっている。

たが、数万キロ彼方で待ってくれている仲間と再会し、美しいプエルトモントの街で美味しい料理を味わい、柔らかいホテルのベッドに身を沈めて深く眠れば——翌朝には気力のほとんどが回復している。

僕は美味しいご飯と適度な寝床さえあれば、何とでもなるのだ。

今回の目的地はチロエ島(Isla de Chiloé)なので、ここからさらに200キロほど南下する。

島までのアクセスは車しかないので、今回はプエルトモント市内でレンタカーを借り、島の途中でエージェントのペドロ(Pedro)と落ち合うことになっていた。

島内で一番大きなカストロ(Castro)の街で無事に合流し、彼の車についていくと、海辺の村に到着した。

目の前には青い壁の大きな工場が建っていて、早速そちらに向かって歩いていくと、ペドロは慌てて引き止めた。

「違う、そっちじゃない。隣のあそこだ」

ペドロが指をさした方向を見ると、そこにはオフィスとは呼べないような、小さな小屋が建っていた。

僕はびっくりして再度彼に尋ねると、客はみんな隣の工場(件の青い工場)とよく間違えるんだと、小さく笑った。

小屋の奥にある庭は、とても小さいが手入れが行き届いていて、綺麗に刈られた芝生に、たくさんの花が咲いていた。

小屋の中に入ると、わずかに暖炉の匂いがした。

奥からやってきたのは背の低い老人で、たっぷりと蓄えたあご髭は、胸の近くまで伸びていた。

「ハポネス(日本人)、よくきたね」

スペイン語でそう言うと、彼はどっしりと自分の椅子に座り、テーブルに用意されたお茶を淹れてくれた。

老人の工場はチロエ島では盛んなウニ(雲丹)の生産をしていて、今回ペドロの紹介で訪ねることになっていた。

規模こそ小さいが、昔から丁寧な製品を作ると評判で、以前から気になっていた。

工場の中を見せてもらったが、そこで働くワーカーは10名程度で、全員が老人の家族や親戚だった。

水揚げされたばかりの真っ黒なウニを1つ1つ丁寧に脱殻し、小さな身を取り出す。

出来上がったばかりの製品は噂通りの仕上がりで、惚れ惚れするほどだった。

ランチは工場で、工場にいる家族が作ってくれた「Humita(ウミータ)」という、すりおろしたトウモロコシに玉ねぎ、バジルと塩を混ぜ、トウモロコシの皮で包んだ伝統料理を出してくれた。

「これは自慢のウミータだ。うまいだろ」

老人はそう言い、僕はそれを頬張りながら親指を上げた。

彼は何も言わず、笑顔で頷く。

食事をしながら老人に、もっとウニの生産量を増やさないのか訊ねた。

こんなにいいモノを作れるなら、増やせばどこでも売れると思ったからだ。

すると老人は、今まで来たハポネスはみな同じことを言うと笑い、両手を上にあげ、呆れたような顔をした。

「量を増やせばきっと売れるだろう。人も増えて、家族以外の連中も雇うことになる。隣の工場見たか? あそこもそうやって大きくなったのさ。でも、大きくしてどうする? 今より金は増えるかもしれないが、なにも困っていないんだ」

そう言うと、隣に座っていたペドロはこちらを見て、小さく首をすくませた。

しばらく間があった後、老人は続けて言った。

「俺も若い頃はそう思ったこともあったが、その代わりに時間を失う。家族や仲間と過ごす時間だよ」

彼の言葉を聞いてから、時折働くことは何かを考えるようになった。

会社を大きく成長させることも、共に働く仲間を増やすことも、富を得ることも、どれも努力の証だ。

だが、“いい仕事”とはきっと、誰と、どんな時間を過ごすかにあるような気がした。


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田所敦嗣さんの著書

スローシャッター

スローシャッター
田所敦嗣|ひろのぶと株式会社

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    千葉県生まれ。水産系商社に勤務。エッセイスト。著書 『スローシャッター』(ひろのぶと株式会社)で、SNS本大賞「エッセイ部門」受賞(2023年)。フライ(釣り)、写真、野球とソフトボールが趣味。人前で声が通らないのがコンプレックス。