「雰囲気」とは一体、どんなモノだろうか。
人はそれを“オーラ”と表現したりする。“趣”や“風情”とも近いだろうか。
それを持てる人の特徴の1つに、
“黙っていること”
というのがある。
思い返せば、高校の時すごくモテていた佐藤くんは確かにモノ静かな人だったし、黙っているだけでクラスの女子からは「かわいい」と言われていた。
それを察した僕もしばらく黙っていたことがあるが、「タドコロくんて暗いよね」と言われた。
世の中はいつの時代も、不平等に溢れている。
* * *
2022年の夏過ぎから、拙著『スローシャッター』(ひろのぶと株式会社)は、本格的な制作が始まった。
出版日が決まった年末まで連日連夜、スタッフ総出でオフィスに缶詰め状態。
密度の濃い時間は今になれば一瞬だったが、大変だった。
ただ、そんな毎日が楽しかった。
それが始まる少し前、出版社の代表である田中泰延さんからは、僕のエッセイにあるどこかの国、そこに出てくる誰かを取材したいという依頼があった。
2022年と言えば、例の疫病が世界中のあちこちでまだ蔓延していたが、渡航に関しては条件次第で渡れる国が増えつつあった。
最終的に僕は、ベトナムを勧めた。
ベトナムは、大きな産業である観光収入を安易には排除できないこともあり、政府は一定の条件さえ揃っていれば、受け入れをしてくれるようになっていた。
とはいえ、いつもは仕事で向かう出張に個人的な本のための取材を加えるというのは、実はとても難しかった。
ベトナムに住むその登場人物は食品工場に勤務していた為、先ずは工場の許可を取らなくてはならない。
日本を含む世界の食品工場は日々目覚ましい進化を遂げており、最新鋭の設備や加工技術以外にも、フードセーフティやフードディフェンスという観点から、職務に関係のない部外者を入れることは簡単ではなかった。
それでも、本書の中に登場する、取引先であり仲介者にもあたるカイ君の多大な尽力もあり、いくつかの条件付きで工場視察の許可が出た。
2022年6月、僕らはベトナムのニャチャンという街に行き、出先での仕事をこなしながら、合間を見てはヒロノブさんの取材に応対した。
因みにヒロノブさんはその旅程、連日行動を共にしていたわけではない。
ヒロノブさん自身超多忙な方なので、ある日僕らが工場でミーティングをしている時も、市内のあちこちに向かい、取材をされていたそうだ。
その他にも、
ツイートを見ているだけで、多忙で孤高な始皇帝感がヒリヒリと伝わってくる。
その後はニャチャンでの任務と取材を無事に終え、僕たちは一路ホーチミンへと向かった。
当初はホーチミンまで入り、次の日にそこから南にある街まで出向く予定だったのだが、たまたま相手もホーチミンに用があるということで、翌日僕たちの滞在するホテルのロビーで商談をしましょう、ということになった。
翌朝。
時間になりロビーへ降りると、クーラーの効いたカフェで待っていた相手は、笑顔が素敵な女性の社長だった。
その隣には、今回の段取りと仲介をしてくれたベトナム人男性、フンさんがいた。
せっかくなのでヒロノブさんも同席しませんかとお誘いし、その場に立ち会ってもらった。
ただ、こちらの都合(本の取材であること)を相手先に説明するのも憚られる空気があった為、取引先に対しては、ヒロノブさんは僕らと同じ水産業界で働く方だという紹介をした。
商談は、想像以上に面白かった。
機会に恵まれ、対象の商品は水産以外の内容だったので、何から何まで知らないことだらけだった。
社長がする商品説明の仕方も素晴らしく、時を忘れた。
商談中は合間を見てはヒロノブさんに説明をし、ヒロノブさんもそれを聞くたび、深く頷く。
ヒロノブさんは商談の会話に入ることは一切なく、静かに見つめていた。
そんなルーティンで話を進めていくうち、社長とフンさんは、ヒロノブさんの方を気にして話すようになっていた。
最初は特に気にしていなかったのだが、中盤になって、彼女は持参してくれた試食用サンプルを僕らの前ではなく、ヒロノブさんの座るテーブルに並べだした。
それを全員で試食し、各々が感じた意見を話し合うのだけど、ヒロノブさんの評価の時だけ、二人はメモを取っていた。
少しずつ、違和感に気づきだしたのもその頃だった。
フンさんはヒロノブさんの意見を聞きながら、具体的にどのくらいの数量を検討しているのか、日本で扱えるのかなどを僕たちに質問した。
僕はヒロノブさんにその説明をすると、彼は静かに大きく頷き、日本語で少しだけ話す。
すると社長とフンさんは、しきりにヒロノブさんが何を言っていたのかを尋ねてきた。
カイ君も終始真面目に商談に参加していたが、僕よりも先にその異変に気づいていた様で、彼の顔を見ると笑いをこらえるのに必死な様子だった。
商談は滞りなく進んでいるし、ここで僕らが
「ヒロノブさんはバイヤーではない」
という説明をする意味は無いと思っていたので、そのまま続けた。
ヒロノブさんは商談中一番奥の席で静かに腕組みをし、僕らの説明を聞いては深く頷き、無事に商談は終わった。
僕たちは訪ねてきてくれた彼らにお礼を伝え別れの挨拶をしたが、ヒロノブさんとはガッチリ握手をし、「今後もぜひ我が社をお願いします」というふうなことを言ったあと、深々と頭を下げた。
その夜。
ホーチミン市内の韓国料理屋で僕たち3人は商談を思い返して、大笑いした。
おそらく「雰囲気」とは、「雰囲気」にありけり。
田所敦嗣さんの著書

スローシャッター
田所敦嗣|ひろのぶと株式会社
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田所敦嗣
エッセイ
千葉県生まれ。水産系商社に勤務。エッセイスト。著書 『スローシャッター』(ひろのぶと株式会社)で、SNS本大賞「エッセイ部門」受賞(2023年)。フライ(釣り)、写真、野球とソフトボールが趣味。人前で声が通らないのがコンプレックス。