「いま、食べましたよね?」
地元でも有名なハンバーグ屋さんで、ひろのぶと株式会社・代表取締役社長である田中泰延さんと、株式会社街クリ・取締役の加納さんが僕を見てそう言った。
泰延さんは数年前、僕のnoteのエッセイを読んでくれていて、一冊の本にしましょうと言ってくれた人だ。
それから本ができるまでのハードな日程を乗り越え、『スローシャッター』という本が完成した。
新人無名の本を5,000部も刷ってくれたのだけど、発刊から少しずつ、安定して売れ続けているというのは本当に嬉しい。
親しい友人は各所へ勧めてくれ、知人の店では本を置いてくれ、自分の想像を超える遥か先の遠い知り合いにまで読んだよという報告を受けると、さりげなく広めてくれた仲間には心底、感謝しかない。
出版後もイベントを通じて泰延さんとの交流は続いているのだが、それ以外にも不定期で、“ハンバーグと日帰り温泉に行く”というミッションがある。
ハンバーグ屋さんは地元で名の知れたお店で、個人的にお気に入りだったのだけど、ある日泰延さんにもお勧めしたところ、大変気に入っていただいた。
いつも通りハンバーグ(ダブル)を食べ終えた頃、
「『街角のクリエイティブ(通称:街クリ)』になにか書いてほしい」
という言葉を耳にした。
1日のうち最低でも27時間は忙しいひろのぶとスタッフがいつもの打合せをしているのだと思い、食後のアイスを食べていたのだが、前を向くと全員がこちらを見ている。
その時、僕は以前のほぼ日のサイトで、西島知宏さんと泰延さんが大阪ヒルトンホテルで出会った時のシーンを思い出した。
すごくいい和食が用意してあって。一口食べたら、
「今、食べましたよね?」「食べましたよ」
「つきましてはお願いがあります。うちで連載してください」と。
【ほぼ日の塾】田中泰延×糸井重里アマチュアのその先に(担当・コットン)より
当時この記事を読んで、大笑いしていた記憶がある。
手口が巧妙すぎるが、僕もいまアイスを完食したところだ。
向かいのテーブルに座る加納取締役の満面の笑みを見つめながら、僕は首を縦に振った。
* * *
数年前、ひょんなことから他社の社員旅行に参加するという事態に巻き込まれた。
他社なのに。他社員旅行。すごい響きだ。
世界的な疫病により大きなダメージをくらった旅行業界だったが、その後環境は大きく変化した。
人は元来定住せず、移動し続けなければならない生物なのではないのかと思えるほど、世界の観光業はめざましいV字回復を遂げる。
既に多くの人が経験済かもしれないが、昨今は軽い気持ちで国内を旅行をしようにも大変なことになっていて、どこも混雑、予約で一杯、人員不足、交通手段1つ取っても、手配が大変なのだ。
取引先の1つでもあるその会社はコンパクトだが活力があり、ほぼ毎年社員旅行イベントを実施していた。
そこで何十年ぶりに「社員旅行」という言葉を聞いた。
今はそんな企画そのものが消滅しつつあるのだろうし、X(旧Twitter)で「ウチでは毎年社員旅行をやっています」と企業の社長が意気揚々とポストでもしようものなら、強制的に行かされる旅行なんて行きたくないとか、それって残業代出るんですか?なんてク〇リプが山ほど飛んできそうだが、そんな懸念は杞憂に終わった。
彼らは「目標B地点にて、悩みに悩んだ複数の飯屋を一択に絞る緊急会議」とか、「皆の衆、土産屋はココとここに立ち寄りたいが、異議は無いか」などという社内メールが飛び交うほど、旅を本気で楽しもうという気概が感じられた。
僕は取引先にそのイベントがあるのは知っていたが、事態はあらぬ方向に展開していく。
旅はできる限りお得にしたい、というのは多くの人がそう思うだろうが、こんな時世にできる限りスケジュールから人員、予算を駆使して代理店とネゴをした結果、
“ただの一名でも欠員が出るとキャンセル扱いになる”
という、聞いているだけでヒリヒリするようなハードプランを選んだらしい。
ただ、観光業界は今やオーバーヒート寸前であることからも、なんとなくその想像はできた。
数日後。
打合せでその取引先へ行くと、社員一名がのっぴきならない事情により、どうも欠員が出てしまいそうだという話で持ち切りだった。
こちらは応接室で呑気に茶菓子をいただきながら話を聞いていたが、ドアの向こうから現れた社長が一言。
「そうだ田所さん、そういうことで一緒に行こう」
と言った。
“そういうこと”とは。
僕はスマホを取り出し、その連休はスケジュールで埋まっているはずだと思い確認したが、見事に空いていた。
そもそも、“一名でも欠けたら即キャンセル”という話を聞いている身分としては、安易にノーとも言えなかったのも事実だ。
生憎不参加となった社員さんからも、
「あとのことは頼みます」
という、時代劇のセリフにでも出てきそうな内容のメールを送られ、僕は急遽参加することとなった。
当日。
都内某駅に集合する。
顔見知りの皆さんと簡単な挨拶を終えると、その一人から旅程が書かれた手書きのプリントを渡された。
その紙にはスケジュールとイラストが描かれていて、いかに旅を満喫するかという気持ちが随所に感じられる、読んでいるだけで楽しくなる内容だった。
電車に乗り、一行は北へ移動した。
目的地の駅に辿り着くと、小さな駅前のロータリーには、小型のマイクロバスが停まっていた。
僕とさほど変わらなそうな年恰好の運転手さんが笑顔で迎えてくれた。後の会話により、彼とは同い年だとわかった。
旅慣れた社員たちは運転手さんと挨拶を交わし、ツマラヌモノですが……と、選りすぐりのであろうトーキョー土産を渡す。
社内には仲の良い担当が2名いる。
一人は“グッチー”という年下の彼と、もう一人は皆から“エっちゃん”と呼ばれる、四六時中冗談ばかり言っている愉快なおじさんだ。
僕を含めた3名は近くの席に座り、他愛もない世間話や、旅の土地の話をする。
マイクロバスなので路線バスよりは乗り心地は固めだが、ほどよく揺られるバスの車窓からは、長閑な景色が続く。
ちなみに社長は後席にちょこんと座り、ニコニコしながら社員達の話を聞いている。
旅行に関しては毎年、社員たちの行く・行かないの結論を訊くのが作業で、決行となれば、行き先やスケジュールに関しても口を一切挟まないスタイルを貫いているそうだ。
バスは予定通り、地元の名物であるという、うどん屋に到着した。
店は昔ながらの建屋で、連日やってくるであろう多くの観光客をあしらうのが上手そうな店主がいた。
うどんを食べている時も店主は抜かりなく、別の名物の紹介をした。
店内を見渡すと、奥の棚にはかなりの種類の麺があって、いま出されている食べている御前のうどんは、ここでしか買えないという。
店主が客の食べ終わる頃を見計るように、
「この麵はさきほども申し上げた通り、当店だけの限定です。百貨店にも卸していません」
と決め台詞を言うと、それを聞いたお客さんはこぞって棚に向かい、レジに長い列を作った。
多くの人は「限定」という言葉には耐性が無い。
ただ、店主が切り札として“百貨店”という名詞を出してきたことが、僕は急に面白くなってしまった。
僕は思わず、まだ食べ終わっていないグッチーとエっちゃんに小声で
「店主がいま“百貨店に卸していない”って言ってたけど、“百貨店に卸してます”の方がよくない?」
と言うと、二人とも同時にうどんを噴き出した。
その後も店主の熱いトークは続いているのだけど、僕が変なことを言ってしまったせいで、グッチーに関しては顔を真っ赤にして笑いを堪え、エっちゃんに関しては席を外してしまった。
二人はようやく食べ終えると、
「ちょっとタドコロさん!!! 急に変なこと言わないでくださいよ!!!」
と言った。
思うに、「百貨店には卸していない」という売り文句は、極めて秀逸だ。
本来であれば「〇〇百貨店に卸しています」の方がアピールとして本道に感じるが、卸していないとなると、万物をセールスできることになる。
そして本当に卸してないのだから、1つのウソも言ってない。
山深い店の主人がセールストークにいきなり「百貨店」を入れるだけで不思議と格調高くなるし、うっかり僕の心も揺さぶられた。
その後も土産屋などに立ち寄るたび、エっちゃんが小声で
「これも、あれも。おそらく百貨店には卸してないと思いますよ」
と不意に呟くので、その度に僕たちはグッと笑いをこらえた。
しっかりお土産として買った例のうどんは美味しかったし、旅籠でのご飯も、道中で買うスイーツも忘れられなかった。
時代は巡り巡るというが、いつの日にかまた社員旅行というモノが当たり前になったらいいなと思う。
田所敦嗣さんの著書

スローシャッター
田所敦嗣 | ひろのぶと株式会社
※ 本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています。
田所敦嗣
エッセイ
千葉県生まれ。水産系商社に勤務。エッセイスト。著書 『スローシャッター』(ひろのぶと株式会社)で、SNS本大賞「エッセイ部門」受賞(2023年)。フライ(釣り)、写真、野球とソフトボールが趣味。人前で声が通らないのがコンプレックス。