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ゲスト米澤萌【連載】米澤渉のふたりごと<第4回>

米澤渉


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NEO阿波踊り集団「寶船」のリーダー・米澤渉が、いま会いたい人・話したい人と、聞きたいことを語る「米澤渉のふたりごと」。第4回のゲストは、姉であり、寶船を運営する株式会社アプチーズの共同代表である、米澤萌さんです。

萌さんはこれまで、どのように阿波踊りと向き合ってきたのか。プロの阿波踊り集団として進む上での役割。『踊る阿呆の世界戦略』とは違う視点で、寶船のこれまでを見つめる今回。……さあ、“ふたりごと”を、ちょこっとのぞいてみましょう。
(構成・編集:廣瀬翼)

【 プロフィール 】

米澤渉(よねざわ・わたる)

NEO阿波踊り集団「寶船 」リーダー/株式会社アプチーズ 代表取締役

1985年東京都高円寺生まれ。幼少期より、徳島出身の父・米澤曜が東京・三鷹で発足させた阿波踊りグループ「寶船」に所属し活動する。高校卒業後、9年間バンドマンとして全国を巡った経験を持つ。2012年、日本芸能である阿波踊りを世界のエンターテインメントにするべく、寶船の運営元として一般社団法人アプチーズ・エンタープライズを設立。2024年4月には、マネジメント会社「アプチーズ」を設立し、第三者割当増資による資金調達を実施。2024年Forbes JAPANが選ぶ「カルチャープレナー(文化起業家)」30組の一人として選出された。芸能や表現を伝えるワークショップや講演なども精力的に行っている。日本盆踊り協会 芸術顧問。2025年、初の著書『踊る阿呆の世界戦略』(ひろのぶと株式会社)を出版。

米澤萌(よねざわ・めぐみ)

NEO阿波踊り集団「寶船 」プロメンバー/株式会社アプチーズ 代表取締役

1983年東京都高円寺生まれ。米澤家の長女。祖父に連れられ阿波踊りをはじめる。1995年、父・米澤曜が「寶船」を設立。以来、第一線で阿波踊りダンサーとして活躍する。高校卒業後、簿記一級を取得。税理士事務所で働き始める。2012年、一般社団法人アプチーズ・エンタープライズを設立、代表理事に就任。2024年、株式会社アプチーズの設立にあたり、米澤渉と共同代表として代表取締役就任。税理士事務所で働いていたノウハウを活かし、プロ活動の経営の基盤を支える縁の下の力持ち。寶船のメンバーやファンからは「めぐみ姉」と慕われている。

「なんで楽しそうじゃないんだろう?」

最初に聞いてみたかったのが、阿波踊りを始めた頃の記憶って、どれくらい残ってる?

おじいちゃんに連れられて三鷹の連に通うようになったのが、小学2年だったかな。寶船ができたのが、小学6年の年。だから、まあまあ覚えてると思う。

その頃の思い出とか、阿波踊りがどういう印象だったとかは?

当時思っていたのが、「なんでみんな、楽しくなさそうにやってるの?」って。

楽しくなさそう……?

その時は夏のお祭りに合わせて6〜8月の2ヶ月くらいだけの活動だったんだけど。お祭りの時だからとか、周りにいたのが子供だったからとかかもしれないけど、「出たらお菓子もらえるから参加しよう」「本番の後の打ち上げが楽しみ」みたいな子が多いなって。

それで私は、なんで阿波踊りを楽しみにしてるんじゃないんだろうって思ってたんだよね。

あと、連の拠点がちょっと家から離れたところだったから、地元の友達みたいな子が少なくて。他の子たちが「友達と一緒の打ち上げが楽しみ」ってなっていると、私は楽しみ方が難しいなって感じてた。

なるほど。じゃあ、萌ちゃんは最初から踊ってて楽しかった? なんか、このステージやお祭りは楽しかったとか。

もう、そういう記憶は全然ない。楽しかったとか嫌だったとかじゃなくて、とにかくおじいちゃんが「やる」「行け」って言うから行ってたっていう記憶が圧倒的に強いかな。

楽しくなってきたとか、責任感が出てきたとかは、いつ頃?

2年目で「先頭で踊ってみる?」「掛け声やってみる?」って言われたのね。だけど、まだ2年目ではそんなにできないじゃん。

特に掛け声は「アヤットサー」って最初に掛けるのと、「ヤットヤット」と返すのとって、全然違う。寶船はいつでも誰でも声出してOKだけど、普通の連って声出す人が決まっていて、大体がリーダークラスなのに、私でいいのかなって。

リズム感や音感もあまりなかったから、当時は自分の掛け声が正しいタイミングなのかもわからなくて、プレッシャーがずっとあったよね。

目立ちたくなかった

でも、「やってみない?」って言われるのは、周りの大人から認められているってことだよね。その、自己肯定感的にうれしかったみたいなのは……。

いやいや、その頃の私は「目立ちたくない」だったから。

そんなことしたら視線が集まるからきついな、もっとちゃんとやらなきゃいけなくなっちゃうなって思っていた記憶が。

確かに、萌ちゃんはみんなでワーワーやるよりも、本が友達って性格だったって言うよね。

そうそう。

あと、私自身は1回もまともに踊れている感覚がなかったから。私よりも何年もやっている子もいるのに、私のほうが贔屓されているような気もちょっとして、いいのかなって。

そこが、いつも話しているとギャップあるよね。

僕の中では、萌ちゃんは最初から踊りがうまかった印象があるし、今ビデオで見ても僕は踊れてなくて萌ちゃんは踊れてるなって思うんだけど。自己評価がすごく厳しい。

自分で言うのもなんかだけど、多分、年齢の割に大人びていたというか頭が良くて、できていないところがわかっちゃってたんだろうなと思う。

だから、できていることではなくて、できていないところに自分で注目しちゃって、「私はできていない!」って感覚がすごく強かったんだと、大人になってからだと思うんだけど。

うん、うん。

だから、見られたくなかったんだよね。見られたら、「あれと、あれと、あれができてない」ってバレちゃうから、見ないでっていう感覚がすごくあった。

でも、周囲には「なんで楽しそうじゃないんだろう」と思ってたんだよね……?

私はおじいちゃんに「行け」って言われたから行かなきゃっていうのでやってたけど、その私がこれだけ頑張っているのに、なんで自分で選んで来ている子たちがそんなに一生懸命じゃないんだろうって、不思議だったんだよね。

私よりも目立つのが好きな子もいたし、それならもっと踊りを楽しんで頑張ればその子が掛け声も先頭も取れるだろうにって。

ああ、なるほど。わかってきた。

米澤家の長女とし

寶船ができてからは?

できてからは、私じゃないとできないだろうなって立ち位置から、「やらないと」と思っていたというか。強制されたわけでも命令されたわけでもないんだけど、でも自分が1番できなきゃいけない、やらねばって責任感を持つようになったのね。

掛け声も踊りも自分がやる前提で動いていたから、もし逆にやらなくていいよって言われたらショックだったとは思う。

1995年、寶船結成当初の写真。右が萌さん。

それまではあまり目立ちたくないって言ってたけど、高校では阿波踊り部を自分で立ち上げようとしたりしてたこともあるよね。そこに至るまでには、どういう気持ちの移り変わりがあったのかな。

行動だけで見たら積極的に変わったように見えるかもしれないんだけど、それもやっぱり、寶船ができた時点で、自分の中で「やらなきゃいけないこと」というセットアップがあったからで。

やりたいとか、向いているとか、音楽が好きとか、人前に立ちたいとか、何かが当てはまればよかったんだけど、一個も該当しなかったのね。

だけど、米澤家の長女として生まれたからには、下手ですとも、わからないとも言っていられない。やらねばと思った時に、じゃあどうやってやり続けるのか。

そのモチベーションが私は「やらなきゃいけないからやる」っていう力技の責任感だったんだよね。

僕も、最初の頃は寶船を続けることにしんどさを覚えたり、阿波踊りへの抵抗感が膨らんだりしていたという意味では、近いといえば近いんだよね。

でも、僕の場合は辞めることも受け入れることもできずにいて。だからこそ「もっと阿波踊りがかっこいいって思われるものだったらいいのに」って考えるようになったんだけど。

その点、萌ちゃんは本当に責任感が強い。事務作業やメンバーの出欠確認とかも、寶船の最初の頃から萌ちゃんがやってて。

運営、それからスタープレーヤーとして真ん中で踊ること、振り付けをしたりメンバーに教えたり。それを、年上の大人のメンバーにもやっていたりして。

正直、中学生の頃は結構しんどかったけど、精神力というか覚悟でねじ伏せて持っていったっていうのはあったかな。

みんな、棚ぼたを待ってない?

でも、その責任感も少しずつ変わっていって。親や家族とは関係なく、「寶船のメンバーとして」だんだん芽生えていったんだよね。

どういうところで、変わっていったの?

いくつかあるんだけど、長女として寶船の運営を担うにあたって、いろんな阿波踊り関係の人と知り合いになったり、他の連の人と話したりする機会が増えたことがまずあるかな。

うん、うん。

そうやって外の人たちと関わっていくと、みんな親世代、あるいはもっと上の世代。

その人たちは阿波踊りをいいものだ、楽しいものだって言っているんだけど、楽しいと言う割には、「若い人がいないんだよね」とか、「拍手がもらえない」とか、「お客さんが少ない」とか言ってるんですよ。

で、「寶船はいいよね」みたいなことを言われることもあって、それが結構……イラッとしたのよ。いや、私たち頑張ってますけど? って。

ああ、なるほど。

私も阿波踊りが嫌いだったわけではないけど、でもしんどいなと思いながらやってるわけで。責任感で走ってきた分、楽しいってポジティブなモチベーションがあるのが羨ましいくらいなのに、もっと頑張れよって思っちゃって。

そこって、よく「夢中には勝てない」って言われるけど、結局、楽しい人には勝てない。だけど、その瞬間を楽しみたいだけみたいな、interestingじゃなくてfunの楽しみは、熱しやすく冷めやすいっていうのもあるよね。

そうなんだよね。

でも、その人たちは楽しいって言っているからには、阿波踊りの魅力をある意味知っているわけじゃない?

だったら、その魅力をもっと加速させるとか、周りに伝えていくとか。せっかく楽しいってポジティブな気持ちをわかっているなら、文句言ってないで何かやればいいのに、“棚ぼた”を待っているみたいな感じがして、それが私は嫌だったんだよね。

棚ぼた、うん。

私たちは棚ぼたはない前提で、自分たちで開拓していくしかないと思ってやってきたから。

大人が「若い人、入ってくれないかな〜」みたいに棚ぼたを待っているのを見て、なんというか、私たちが業界でやっていくのにこの人たちとは違う姿勢でありたい、棚ぼたを待つ人には任せていられないって思って。

寶船として、確実にそういう人たちより結果を出したいって。

プロ化して得られた安心感

萌ちゃんって思った以上に、僕よりもそういう闘争心あるよね。ある種、すごくベンチャー気質というか。

確かに。

実際、自分たちでイベントの主催をしはじめたり、海外に行ったり、プロ化したりという中で関わる人が広がって、スタートアップや中小企業で、第一線で自分がバリバリ何かを変えようとしている人や社長にお会いすることが増えて。

そうしたら私の気持ちも変わっていったんだよね。

そういう人たちにものすごく寶船を高く評価いただけている場に居合わせた時に、やっぱりやって来たことは間違ってなかったんだなって、やっと自分を肯定できるようになって。

本当に、そういう時ってありがたいよね。

すごく言ってもらえたのが、「ない道を拓くのって、やっぱり大変だよね」とか、「やり続けるということがそもそも大変だから、やっているだけでたいしたものだよね」というような話とか。

今でも、今年で30周年だけど、30年途絶えず辞めずに来ているだけでもすごいことだって、本当に言っていただけたり。

プロ化をしたぐらいから、そういう評価が私の中ではガラッと変わったなという感覚があって。

周りからの評価が圧倒的に高くなってきて、実際に自分でも成果が出てきたって思うことも増えてきた。

そこが、私にとってだいぶメンタルにいいほうに出るようになったんだろうね。プロ化して2年目ぐらいで、やっと気を楽に持てるようになったなって思う。

阿波踊りは、踊っていて楽しいなって思うようになった?

うん、なりました。

楽しい。楽しいって、思えるようになったね。

それもやっぱり、プロ化して2年目くらいから、踊ってて楽しいとか、見られている時の快感とかがわかるようになってきたかな。

今では「目立ちたくなかった」「うまく踊れたと思えたことがなかった」という話が想像できないほど、挑戦的な笑顔でエネルギッシュかつしなやかに踊る萌さん(寶船30周年記念ライブより/撮影:廣瀬)

プロ化して周りの評価を感じて、やってきたことが正しかったんだっていう安心感を得て。

そうだね、それで全部が相当変わった。

そういう意味では、アマチュアという感覚が私には合わなかったのかなって、今は思う。その、事業化とかお金をもらっているとかとは違う話で。

お父さんが、「本人がプロフェッショナルな感覚でやっていればプロだし、趣味だからと自分でアマチュアだと決めたらアマチュアになってしまう。全部、プロでいなさい」みたいなことをよく雑談でする人だったから。真面目にその感覚が自分に染みていたんだろうなと。

だから、プロ化して周りにも「プロなんで」って言えるようになったことで、逆に気持ちが楽になったみたいなのもあるかなとは思う。

そこは多分、他の人がイメージするのとは逆な感じだろうけど、でもわかる気がする。

私はどちらかというとクラスの端っこにいて、誰も話しかけなくていいですっていうタイプだったところから、今は人前に立つことをやっているわけで。

きっと同じように目立ちたくない、世の中で生きにくいなって思っている人はいて、でもそういう人もスポットライトの真ん中に出ないといけないことって、時にはあると思うんだよね。

その時に、どういうふうに気持ちをセットアップしたらいいかとか、自分を肯定する方法とかは、今の私だから何か教えてあげられるかなっていうのは、よく思ってる。

タイプが違うから、うまくいく

見られることは大丈夫になったけど、でもやっぱり元の気質はあるから、本当の意味でのリーダーは私には向いてはいないなとは思うのね。

今でも、スケジュールとかは私が組んでいるから、みんなに指示出すことはあるけど、でも全員に自分の言うことを聞かせるっていうのが生理的にあまり気持ち良くないっていうのはちょっとあって。

だから、寶船の運営において株式会社化した今は共同代表だけど、連としては渉くんがリーダーの今の形は、よかったなって。

うん。

『踊る阿呆の世界戦略』がわかりやすいと思うんだけど、渉くんはストーリーや情熱で語れる人じゃない?

私はそこが、理性が核になっているところがあるから、私自身にとってはそれが原点なんだけど、周囲の人たちを巻き込んでいくにはちょっと共感しにくいんだろうなって。

渉くんみたいに一人ひとりがわかりやすい情熱で喋れる人の方が、みんなも動きやすいと、結構思ったりする。

タイプの違う側面は持ってるよね。

その、最初のやりたくてやっているわけじゃなかったってところは一緒かもしれないけど、僕の場合は良くも悪くも周りのことを丁寧に考えられていなかったところがあって。

だから、本にもちょこっと書いたけど、周りとぶつかったりした部分があると思うんだけど。

あと、私と正反対な感じなのは、渉くんは友達が多いタイプ。

そこはなんか、同窓会とかがあったら、まず呼びたいって言ってもらえる気が、自分でもする。

そういうタイプだったから、阿波踊りをかっこいいと思ってもらえるようにプレゼンしたり、パフォーマンスをアレンジしたり。どうしたらわかってもらえるんだろうっていう、僕は説得的な能力に特化していった気がするんだよね。

私は問題解決型なんだよね。

だから、組織の中で、どうやってツアーを回ったらスケジュールがうまくいくかとか調整を私がして、渉くんは外に向かって語っていく。

そういう、組織の外と中みたいなところがちょうど分かれて良かったよね。

その分、話していてすれ違うこともあるけどね(笑)。

同じ話をしているはずなのに、絶妙に論点が違うせいでずっと噛み合わないというか。

あるある(笑)。

同じゴールを見ていても、登るルートが違うから、「え、それ絶対違うよ」「いや、それだと違うくない? それじゃたどり着かないじゃん」ってお互い言い合うみたいなのは、今でも時々あります。

「寶船」のスタイルに、別々のルートでたどり着いていた

同じゴールに別々のルートからという話でいえば、僕が『踊る阿呆の世界戦略』の第3章で書いた、少人数制の寶船のスタイルを考えた話。

あれは、萌ちゃんも別ルートで、同じ結論にたどり着いたんだよね。

そうそう。キャッシュフローの観点から、いろんな試算をしてみたりしてね。

津軽三味線の「吉田兄弟」とか、和太鼓の「鼓童」や「DRUM TAO」。芸能団体、マネジメント会社、劇団とかも参考に、公開されている劇場公演のキャパ数とチケット代からいくらぐらい売り上げているのか逆算したりして、ビジネスモデルや収入源を分析して。

だから私はビジネス、どちらかというと“商い”の話。お金に関するシステムとか、組織化にあたって必要なこととか、そちらから調べていったんだよね。

会計事務所の経験を駆使してる。

僕はどちらかというとブランド力をつけよう! という話から。やっぱり、ブランディングみたいな分野が好きだったんだと思う。

結果、たどり着いた結論は2人とも結構重なっていて、同じような話なんだけど、持っていき方が違う。

どちらから見ても同じ答えにたどり着くと、逆にこれ以外はないなって確信みたいなものが持てるよね。

少なくとも今の時点では、これ以外は無理そうだねっていうのは、あったよね。

米澤萌は「阿波の女

今日、こうやって話して改めて思うのが、父から聞くと徳島、阿波の女の人って、気が強くて勝ち気って言われているらしいけど、そういう意味では萌ちゃんって、徳島の血筋っぽいのかもしれないなって。

阿波踊りの歌にも「わたしゃ負けるの大嫌い」っていうのがあるけども。

つづくフレーズが「負けてお顔がたつものか」。

そうそう。「負けてお顔がたつものか」って、そういうところがすごく阿波の女の血を引いている感じがする。

しかも、その「負ける」って言葉が、勝ち負けの意味と、もったいないみたいな意味もあるらしくて、両方ともすごくわかるんだよね。

負けたくない、絶対勝ちたいって気持ちもあるし。

全部を最大化してちょっとでも利益を取ったり、いい思いを寶船のみんなにさせたいというところもあるし。

うん、うん。

その負けん気から、ある意味ちょっとケチなところもあって。フライトやホテルを取る時も、絶対1番安いやつ取ってやる!と思ってて(笑)。「絶対もっと安いのがある!」ってとことん調べたり。

そういう時、僕はいつも「どっちでもいいじゃん」って言っちゃうから(笑)。

「みんな、これ1人3,000円と4,000円があるんだけど、どっちがいい?」みたいなことを聞いて、みんなは違いがわからなくて困ってしまうっていう。

相談しても違いがわからないって言われるから、OK、じゃあもう1回自分で考えて決めるわ、みたいなことはよくあるよね(笑)。

でも、そういう負けん気の強さが、寶船のビジネスとしての側面をガシッと支えていると思う。

実は1番負けん気が強いのは私だったっていうね。

そうそう。兄弟3人の中で1番気が強いというか。

だから、僕から見た30年と、萌ちゃんが話す30年だと、萌ちゃんのほうが闘ってるって感じが強い。

うん、闘ってる。

それこそ、「アマチュアだからこのぐらいでいいか」って安住しちゃうような空気とかに対する反骨精神は、私が1番強いよね。

編集部セレクト 寶船の動画

寶船メンバーがゲストの回には、YouTube「寶船 TAKARABUNE」チャンネルから1本の動画をセレクトして紹介します。

今回は、米澤萌さんが1人で踊る演目「月光」。

10月18日の寶船30周年記念単独ライブでも踊られた一曲。そのしなやかな美しさ、月夜の天女のような神々しさに息を飲む、海外公演や単独公演でしか見る機会のない演目です。

演目の前後にある寶船メンバーのトークも見どころ。萌さんの繊細さと優しさ、そして肝が座って負けん気が強い「阿波の女」感と寶船の代表としての責任感が、どちらも見られる動画です。

(構成・編集:廣瀬翼)


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寶船30周年記念ライブ
オンライン配信決定!

2025年10月18日に渋谷ストリームホールで開催された30周年記念ライブ!

熱狂と感動に包まれた1時間半のステージの模様を、オンライン配信にて期間限定で発売決定!

  • ■ 配信期間:2025年10月25日(土)〜12月31日(水)23:59まで
  • ■ 視聴チケット:2,000円(税込)

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米澤渉さんの著書

踊る阿呆の世界戦略

踊る阿呆の世界戦略
世界26カ国を熱狂させた NEO阿波踊り集団 寶船の挑戦

米澤渉|ひろのぶと株式会社

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    NEO阿波踊り集団「寶船 」リーダー/株式会社アプチーズ 代表取締役。 1985年東京都生まれ。パフォーマー全員が赤い衣装をまとい、派手なメイクを施して激しく踊る独自スタイルの「NEO阿波踊り」で演者と観客が一体となる熱狂を生み、多数の海外ツアーも敢行。2025年までに世界26カ国で活動を展開してきた。2024年Forbes JAPANが選ぶ「カルチャープレナー(文化起業家)」30組の一人として選出された。2025年、初の著書『踊る阿呆の世界戦略』(ひろのぶと株式会社)を出版。